非常に長く険しい序章 16
「めー」
自称「馬商人」のどっからどう見てもずるそうなおじさんから買った動物。
俺の常識では間違いなく「ヤギ」だった。
そんで、ここが異世界でも多分、間違っていない。
「めー」
近くで見ると、案外かわいいじゃないか。
「よろしくな」
「オウ」
ん? なんか喋った?
「めー」
だよな。ヤギが喋るわけないよな。
で、言葉が通じないのは承知の上で、俺はヤギに話しかける。
「あのさあ。荷物持ってくれないかな?」
両手に持った袋をかかげてみせた。
「めー」ヤギがうなずいた。
「お前、俺の言葉が分かるの?」
「めー」またヤギがうなずいた。
なんと、こっちのヤギは人の言葉を理解するのか! おお、よしよし。ういやつじゃ、ういやつじゃ。つい、頭をわしゃわしゃと撫でてしまう。
「めー」
気持ちよさそうに目を細めているぜ。ちくしょう、かわいいなあ。
「そうだ。名前をつけないとな」
「めー」ヤギがうなずく。
うーん、どうしようかな。いざ名前をつけようって段になると、特に思い浮かばない。あんまりとんがったのにして、人前で呼びかけるのが恥ずかしいのは嫌だな。……。かといって、あんまり長く考えるようなもんでもないしなあ。じゃあ、保守的な方向で……。ヤギということで。
「お前は『ヤギ太郎』な」
「めっ!?」
細い目が一瞬だけものすごく大きくなったような。
「よろしくな、ヤギ太郎」もう一回、押してみる。
「……め~」
微妙な声音だが、完全拒絶ってわけでもなさそうだ。ま、良しとしよう。
「で、相談なんだけど、俺の両手の荷物、持ってくれるか? 全部じゃなくてもいいんだけど」
「め~」
ヤギ太郎は、すたすたと俺の横を素通りしてしまった。やっぱダメかな……と思っていたら、向かう先には荷車がある。ちゃんと、手綱もあった。
「おっ、それを引っ張ってくれるのか!」
「め~」
ヤギ太郎がうなずいた。
俺はヤギ太郎の好意に甘えることにした。彼と荷車を手綱でつなぎ、荷車の上に食料品を置いた。
「ふ~助かった~」てのひらが食い込んでて、すげー痛かったんだよなー。身体をぐっと伸ばす。「あ~気持ちいい!」
「め~」
非難めいた表情で、ヤギ太郎が俺にいう。
「悪い悪い。お前は重いよな。時折、少し荷物を持つからさ。な、行こうよ。俺の家はこっちの方角なんだ」
「め~」
渋々といった感じで、ヤギ太郎がうなずいた。
ヤギ太郎のおかげで、帰路は楽しかった。やっぱり、一人きりじゃないって、精神的にすごくいい。そして、ここ数日の俺は相当、心がまいっていたんだと分かった。
ここは異世界。頼れる人はいないし、金もない。
どうしようもない状況なんだよな。
せめてもの救いは、金を稼ぐ道は見えているってことくらいだ。
あの武器屋であったシルバー・スプーンって人に、三日以内に武器を作ってもっていけばいい。その結果次第ではあるが、俺も鍛冶屋として生きていくことが可能になるわけだ。
……むずかしくない、それ?
ううう……もっと楽な人生がいい……。
「め~」
ネガティブなマインドに支配されていたが、ヤギ太郎の言葉で我に返った。
前を見ると、俺の家だった。
「ヤギ太郎、あれが巴里の灯だ」
「め~」
巴里じゃないけど、明かりはついている。
明かりはついている?
あれ? なんで?
あそこは、俺の家というか、まあ元々は師匠の家だけど。
じゃあ、師匠が戻ってきてるのか?
それはそれでありがたいんだが、一日しか会っていない俺でも、あの爺さんがそんなタマじゃないってことは分かる。
となると、まずい。非常にまずい。
かーなーり高い確率で、どこぞの誰か、見知らぬ人物がいるってことだ。
「ヤギ太郎、気をつけろ。俺は一人暮らしだ」
言葉にすると、なぜだか間抜けだ。
「め~」
ヤギ太郎も小さな声で返事をする。
荷車が立てるかたかたという牧歌的な音が、今は不自然に感じた。
一歩一歩、着実に危険に近づいている。うおお、嫌な気分。
緊張と恐怖で背中の毛が逆立っているみたいで、服とこすれてちくちくする。
ぬう。いっそ、ダッシュして、さっさと対面してしまうか。
いやいや待て待て、落ち着けえー、俺。いつも焦って失敗してるじゃないか。
「め~」
そうだよな。気を静めて、ゆっくりゆっくり、周囲の気配を探るように歩くんだ。
テンパると、頭の中が真っ白になって何もできなく俺だが、来ると分かっているものに対しては、相当にやれる。
やればできる子っていう意味じゃなくて、本当に強い。
自慢じゃないが、中学入学以降、正々堂々、一対一の立ち合いで負けたことはない。
正面切った戦いなら、五人までは楽勝でいける。
でも、体育はずっと2。なーんか、相手がいないとダメなんだよね。
走ったり、投げたり、飛んだりとか、一人でやるのはどうにも苦手。
かといって、スポーツが得意なわけじゃないんだけど。
殴り合いに特化しすぎたというか。
しかも、奇襲にはめっぽう弱かった。
歩いていて横から足を引っ掛けられるだけで、対応できずに負けてしまう。
もう全然だめなんだよなあ。
何をどうすればいいのか、さっぱり分からなくなるんだ。
ゴブリンとの戦いや山賊もどきのおっさんたちとのときが、まさにそう。
まあ、喧嘩が好きな不良だったわけじゃないから、そんなに困らなかったけど。
いやあ、まじめな生徒だったよ。うん。
時折、学校さぼったくらいで、成績は中の中だし、停学とかくらったことないし。
つうか、そもそも友達がいなかったから、悪いことしようがなかったんだった……。
あれ、どうしよう。目から水がこぼれているぞ。
いかんいかん。現実逃避が一周して、悲しい思い出を引き寄せていた。
で、今、俺の目の前には扉がある。もちろん、自宅の扉が。
鍵なんかかけてない。なので、もし何かあったときは、あっという間にご対面だ。
うわあ、嫌だ。本当に嫌だ。
「め~」
ああ、そうだ。ヤギ太郎と荷車をつなげてる手綱を外してやらないとな。
「め~」
お礼はいいから、黙っててよ。
ふー。ずっとこうしているわけにもいかないしな。そろそろ、覚悟を決めて開けるとするか。
俺は、ノブに手をかけた。ゆっくり回し、扉を引く――
「動くと殺すわよ」
なんて、のんびり考えている暇もなく。一瞬で、俺の喉元に剣の切っ先が突きつけられていた。
あの、ちょっと刺さってるんですが……。




