#2『鉱山にて 二』
「ありがとう、案内してくれて」
「なんで俺が……」
次の日、リンネは坑口の中も含めて調査を行うこととした。朝になって、場長に案内を頼んだところ、顔をぶちのめされて不貞腐れていたラルクが、リンネのもとに回されてきた。
実際に暇そうであったし、事実、彼の肉体では他の男たちよりも、掘削にあたっての機会損失が大きいと判断されたのだった。
彼の扱いの雑さは、この場所でのラルクの適当な地位を表すかのようだった。
互いに顔を見合わせ、少しだけ気まずい空気になったのは、言うまでもない。
「それで、何をしろってんだよ。俺だって、この鉱山の全部を全部、知ってるわけじゃ無えぞ」
「そうなんだ。それなら、ラルクは、どうしてここにいるの?」
リンネは首を傾げて、傍らのラルクを見上げる。二人が並ぶと、ラルクの方が頭一つ分は高い。
「そんなの、どうだっていいだろ」
「それはそうだ。じゃあ、ラルクのわかるところでいいから案内しておくれよ」
ラルクは苦虫を噛み潰したような顔をして、渋々リンネの前を歩き出した。
時刻はまだ午前だ。鉱山から鳴り響く音も、さほどうるさくはない。
「ラルクは、具合が悪くなった人たちを知っているの?」
「ああ、みんな知ってるよ。次は自分なんじゃないかって、びびってるやつも多い」
二人は鉱夫たちの食堂を訪れていた。もう既に食事の時間は過ぎているため、誰も残っていない。机の上も綺麗に片付けられていた。
「昨日、水場と便所を見てみたんだ」
「便所って、お前……」
ラルクは明け透けな物言いをするリンネから、少しだけ距離を置いた。
お世辞にも男だらけのこの場所において、綺麗とは言えない場所だ。
それに、この騒ぎ以降、病を恐れて近付かない者も多い。
「僕が見た感じは、そこじゃないと思う。病気が原因だったら、必ず痕跡があるんだ」
「なんだよ、そんなに自信があるのか」
これでも、厄介ごとの解決で稼いでるからね、とリンネは胸を張った。
ラルクはリンネをじっと見ていた。
「お前、そんなことばっかりやってるのか?」
「そうだけど。あー……信じてないね、その顔は」
リンネは頰を膨らませた。もともと童顔の顔が、さらにあどけなさを増す。
「だってお前、どう見たってガキじゃねえか。なんでこんなやつに、いい大人がこぞって厄介ごとを頼むんだよ」
ラルクの指摘は、ある意味でもっともだった。
手に職がないものが、この世界で食い扶持を稼ぎ続けるのは難しい。ラルクはそのことを身に染みて知っていた。
「僕は、召喚士だよ。それで生きてる」
「またそれかよ。一体なんなんだ、召喚士って?」
眉根に皺を寄せるラルクを見て、リンネは腕を組んで考える。
「ラルクは、それを見せたら僕がガキじゃないと納得してくれるかい?」
「あ? ムキになってんのか。だったらやってみろよ、ほら」
ラルクの態度は、どこからどう見ても、はっきりとリンネを舐め腐った態度だ。
まあいいかと言って、リンネは手のひらを彼の胸に当てた。
刹那、ラルクは強い衝撃を胸に受け、体一つ分ほど後方へ吹き飛ぶ。そのまま彼は板張りの床に、したたかに尻もちをついた。
「どわあっ?!」
「あ、ごめん。やり過ぎた」
リンネは倒れ込んだラルクに手を伸ばす。ラルクはその手を取らず、リンネに恐れの混じった視線を向けていた。
「あ……」
リンネは、彼からそっと手を引いた。
ラルクの反応は、明らかな拒絶だった。悔恨が、やって来る。
人にはない力、それを人前で振る舞う時は、特に慎重でなければならないと教わっていたのに。
リンネの胸が締め付けられる。まただ。また、失敗してしまう。
「そんなつもりじゃ、なくて」
ところが、身を起こしたラルクからは怯えた反応が失せており、好奇心に満ちた視線が、リンネを向いていた。
「なんだ今の? それが精霊ってやつか? 召喚士って、精霊使いのことか? なあ、どうなんだ?」
「……怖くないの?」
「は? ビビってるわけないだろ。お前みたいなガキに」
流石にリンネもカチンときた。
非礼はともかく、二度も侮辱されたのだ。
リンネの手の中で、目には見えない力の本流が渦巻いていく。
ラルクの転倒に巻き込まれて倒れた椅子や机が、びりびりと小刻みに震え出した。
「本当にいるんだな、精霊使いってのは」
緊張感のないラルクの声に、リンネはふと我を取り戻す。それと同時に、自分が抱えた力の大きさに気付き、慌ててそれを取り消した。
辺りが静かになる。ラルクは呆けたような表情を浮かべていた。
「その、精霊ってのはなんなの? 僕には、さっぱりわからないけど」
「俺だって知らねえよ。でも、世界にはなんかそう言う変なやつがいるって話だろ」
ラルクは服の埃を払って室内を後にしようとする。リンネもその後ろに続いた。
突き飛ばされたこと自体は、大して気にも留めていないらしい。
ラルクな何の気もなく呟いた。
「不思議な力がある奴は、いいよな」
「どうして?」
だって、世界から特別に選ばれてる感じがするだろ。
虚を突かれたリンネはラルクに言い返そうと、言葉を溜めた。しかし、その口から彼への反論は出てこなかった。
「それで、こんな歩き回ってばっかで、何かわかるのかよ」
「だいぶね……ねえ、坑口の中、入りたいんだけどダメかな?」
二人は屋外に出てきて、人の行き交う鉱山の施設を見回っていた。
リンネは横穴の空いた一角を指さした。
鉱山の坑口は木材の柱で四角の土留めをしてあり、落盤への対策がされている。
大量に使われる丸太は、近くの山から切り出されて持ってこられているようだった。
「人のいるところはやめとけよ。見つかったら、俺が何を言われるかわからねえ」
「ふうん。じゃあ、留守の場所なら良いんだね」
リンネは人差し指を立てて、坑道の入り口を歩いて回る。
ラルクはその様子を訝しんだ。
「何、やってんだ?」
「中の音を聞いてるんだよ。誰かいるなら、話し声とか、掘る音がするはずだろ」
試しにラルクも同じようにしてみる。
何も聞こえなかった。当然だろう。指は音を聞くための器官ではない。
「それも、精霊とやらの力ってやつか?」
「だから、精霊とか、そんな不確かなものじゃないと思うんだ。僕は、風そのものが視えるんだよ」
こともなさげにリンネが言ってしまったので、ラルクは何も言えなくなった。その感覚は、常人の自分にはわかるはずもない。
リンネが立ち止まった。どうやら、目的の場所に辿り着いたらしい。
「……こっちかな。君はどうする?」
「俺は外で待ってるよ。掘った後なら、普通は一方通行だ」
坑道にはいくつかの掘り方があるが、この鉱山では土竜掘りと呼ばれる原始的な掘り方がされていた。
鉱脈のある方へ、木枠の坑道を支えとして組み立てながら一直線に伸びていく掘り進め方だ。
簡便な掘り方ではあるが、奥に水が溜まったり、悪い空気が溜まったりする危険な掘り方でもある。
掘った後が樹木の枝のように縦横に分岐が伸びてしまうため、収拾が付かなくなることもあった。
「わかった。なら君は、仕事に戻るのかい?」
「……やっぱり、着いていく。仕事として、お前の相手を頼まれてるわけだからな」
ラルクは火打石を使い、腰に下げたカンテラに火を灯した。カンテラの中に油を吸う灯明がある限り、火が消えることはない。
「サボりたいだけじゃないの?」
「そんなはずないだろ。ほら、早く行けよ」
リンネは疑わしそうな視線をラルクに向けていたが、やがて諦めたように、自らの背丈よりも高く掘り抜かれた坑道へと入って行った。
さすがに、中は薄暗い。
人がいないせいで、据え付けのランプも焚かれていなかった。
空気が澱んでいるのか、汗と土と湿り気が混じった、饐えた匂いが鼻をつく。
リンネはひくひくと鼻を蠢かせた。
「どこも、こんな感じなのかな」
「そりゃそうだろ、鉱山なんだから」
リンネは闇の奥を睨んでいた。
彼は荷物から布切れを取り出すと、覆面のように巻き付けて鼻と口を覆った。
「何のつもりだ?」
「ラルク。君もこうした方がいい」
リンネの声色は真剣そのものだった。態度には紛れもない緊張感が含まれている。
「原因はこの鉱山の中にある。間違いない」
「おい、何が分かったってんだよ」
リンネはしばらく坑道の先から目を離さなかった。
一歩踏み出そうとしてーーリンネは困惑したままのラルクを振り返り、首を振った。
「今はここまでにしよう。これ以上は、働いてる人たち、全員が避難してからの方がいいと思う」
「はあ?! そんなこと、できるはずないだろ!?」
踵を返したリンネはラルクに有無を言わさず、服の裾を引きずるようにして坑道を後にする。その歩みは、入ってくる時よりも倍は速かった。
「おそらく、土だ。土が、良くないんだ」
「土……?」
屋外の広いところまで出てきて、ようやくリンネは覆面を外して息を吐いた。
ラルクも布を口と鼻に無理やりあてがわれていた。
「理由はまだ、詳しいことはわからない。だけど、奥の方から、物凄く嫌な感じがする。何かーー」
その時、遠くの方から悲鳴が聞こえた。
騒ぎになっている場所へリンネたちが駆けつけると、担架に載せられた鉱夫の男が坑口から運び出されてくる。
よく見ると昨日ラルクを殴りつけた大柄の男で、その口からは白い泡を吹いていた。
たちまち辺りは際限のない喧騒に包まれた。動揺する鉱夫たちを落ち着かせるために、飯場の近くに立つ、やぐらの鐘が幾度も鳴らされた。
今日の作業は、強制的に中止された。
「あまり時間がないかもしれません。僕が奥まで行ってきます」
「しかし……危ねえんじゃねえのか。あいつが倒れた理由だって分かってねえんだろう」
リンネたちは、人気が少なくなった鉱山の広場で場長たちと顔を突き合わせていた。
作業を止めた鉱夫たちが、見慣れない訪問者の姿を遠巻きに見ている。顔には不安の色が濃かった。
「この坑道って、換気はされていますか?」
「勿論ある。全部じゃねえはずだが」
鉱脈に続く坑道は、人の出入りが激しくなるため直上に抜ける換気口が掘られていた。
先ほど騒ぎになった坑道も、同じ作りをしていた。
「僕の考えが正しければ、倒れた人たちは換気口のある坑道で作業していた人ばかりのはずです」
場長たちは顔を見合わせた。
確かに原因不明の体調不良を起こした者には、古くからの坑道に入った鉱夫たちが多かったように思えた。詳細は調べないとわからないことではある。
「いや、多分そいつの言う通りだ。換気されてない坑道なんて限られてる。騒ぎがあって新しく掘り始めたところでは、何も起きてないはずだ」
意外なことに、ラルクがリンネに向けて助け舟を出した。彼は口を尖らせてリンネの方を見ていた。
「で、でもよ。それがどうしたってんだ」
「今日、この鉱山を歩いてわかりました。この山はすり鉢状に削られています。もともとの地盤より、少し低くなっているんです」
リンネの説明は、こうだ。
普通、坑道の中の悪い空気を抜くためには、逃げ道が必要となる。そのため換気口が無ければ、坑道の奥には澱んだ空気が溜まり続けてしまう。
換気するためには、坑道を貫通させるか途中に縦穴を掘るしかない。大抵の鉱山は、そのように出来ている。
「常識だろうが。鉱山で働く奴らなら、みんな知ってることだ」
場長が答えると、その場にいた者は皆が頷いた。
リンネは難しい顔を変えなかった。
「だから気付けなかったんです。皆さんの体調不良の原因は、坑道の上にある。僕がそれを調べます」
「危なくねえのか?」
リンネは口の端をわずかに上げ、呟いた。
「もう、お代をいただいてますので」
ラルクは、愕然とした思いを抱えていた。
自分より年下の子供が、対価の代わりに課せられた職責を全うしようと、危険な場所に飛び込もうとしてる。
それを止める者が、この場には誰もいなかった。
自分自身すらも、だった。
「おい、待てよ!」
知らぬ間に声が出ていた。
ラルクは、売れない絵描きだった。
ツケにツケた画材の代金がいよいよ払えなくなり、街から逃げ出そうとしたところを捕まって、借金のかたに我が身を鉱山に投げ売られた、どうしようもない男だった。
彼には金も計画性も根性も無かったが、年下のガキに舐められてはおしまいだと思う程度の見栄は残されていた。
「俺も、行く」
「どうして?」
ラルクは問い返すリンネから目を逸らした。
理由、理由が必要だろうか。
「昨日、飯をもらっただろ。俺は何も返してない」
明らかに、ラルクの本心から出た言葉では無かった。リンネにも、他の者たちにも、それはすぐに伝わった。
男としてのプライドと称するのは容易い。だが、未知の危険に自ら向かっていくのは、誰にでも決断できることではなかった。
「わかった。僕も、中を知ってる人がいる方が助かる。場長さん、いいですか」
リンネは責任者の許可を得てから、ラルクの同行を許した。
「他の人は、全員坑道から避難させてください。あまり、残されている時間はないと思います」
ただならぬリンネの雰囲気に、男たちが唾を飲む。
二人を飲み込むような黒々とした闇が、覗き込んだ坑道の先に拡がっていた。
次回は11月6日(金)21時に投稿予定です。




