#1 『鉱山にて 一』
「あんなガキ、なんでわざわざ荷車に載せてやってるんだ?」
「おい、やめとけよ。会長の客らしいぞ。噂じゃあ、なんとか使いだって」
よく晴れた昼下がり、数十輌にも及ぶ馬車の商隊は、整備された街道を進んでいる。
往来が活発なため、道はよくこなれていて、雑草が生い茂ったり、小石が転んでいたりすることはない。
この世界ではよく見られる、日常的な風景だった。
その中に、一つの違和感がある。
馬が食すための藁がうず高く積まれた荷車に、小さな影がちょこんと乗っていた。
こう言った旅路に慣れているのだろう。
外套のフードを深く被って表情を隠したその人物は、荷車に背を預け、暢気に横を向いて、過ぎゆく風景を眺めていた。
訝しんでいたのは、先を行く隊商たちである。彼らとて、慈善で街から街へと行き来しているわけではない。
荷駄となるなら他の荷物を減らす分だけの金が要るし、そうでないなら人手となって働かねばならないからだ、
見たところ、その小さな影はどちらの条件も果たしていなさそうに見える。
「もう、仕事はしてるよ。それにガキじゃない。僕にもちゃんとした名前があるから、名前で呼んで欲しいな」
影はフードを外し、不躾な視線を送った男たちに臆せず、自らの名を名乗った。
淡い色の前髪が揺れ、その奥に意志の強い瞳が、陽光を反射する。
「僕はリンネ、召喚士のリンネ」
リンネの声は、声変わりのない、高く透き通る少年らしい声音だった。
歳の頃は十代の半ばと言ったところだろうか。小柄と言うよりは、華奢に過ぎる出で立ちだった。服装の揺らぎがなければ、子供と身紛われてもおかしくはない。
「ショウカンシ……って、なんだ?」
「知らねえ。それでよ、仕事してるって、お前はぼんやりしてるだけじゃねえか。客がなんだか知らんが、忙しいのにだらだらされてっと気が散るんだわ」
リンネの名乗りは、むしろ男たちに好意を感じさせるものでは無かったらしい。彼らは仕事をしている最中だった。
当然、働かない者に対して容赦がない。
「馬を見てみればわかるよ」
「馬だぁ……?」
こともなげに言ってのけたリンネの言葉に、彼らは荷駄を引く悍馬に目を向ける。
彼らはすぐに目を見張る。普段とはその様子が違っていた。
「……汗をかいてねぇ」
「は!? なんでだよ?」
彼らは荷を曵かされている馬が、汗もかかずに前へと向かって進む姿に仰天した。
手をかざそうとした男の片割れが気付く。
「風が、吹いてる」
心地よくそよぐ追い風が、馬の体を冷やしているのだった。それだけではない。
「なんか、足も早くねえか?」
引き馬の闊歩する歩調は軽く、彼らの乗る荷車を軽快に進めていた。
彼らは目の前で起きている事態に、ひたすら困惑した。風が逆方向から吹いている。尋常な事実ではない。
しばらく気味悪そうにリンネを眺めていた男たちは、ようやく得心したように口を開いた。
「なるほどな、あんたが精霊使いってやつか」
「精霊使い?」
今度は逆に、リンネが聞き返す番だった。
「そうだ、この世界には目に見えない精霊とやらの力で、不思議なことをするって野郎がいるらしい。俺も実際に見たのは初めてだ。いやあんた、見かけによらねえんだな」
「違うよ。僕は、召喚士だって……」
彼らはリンネの話に取り合わず、前を向いて互いに喋り出してしまった。
リンネはがっかりと肩を落とした。
彼らには、見えていないのだった。
「こんなにはっきり、風の塊が押しているのに」
リンネの目には、たゆたう緑色の筋が姿形を成して、荷駄に追い風を送っている光景が確かに見えていた。
しかし、リンネにそれを人に向けて説明する語彙はなかった。見えるものは見える、そうとしか言いようがない。
内心のわずかな苛立ちを察したのか、前の二人に絡みつくようにしている風を、リンネは手のひらを伸ばして掴み取った。
会話に興じている男たちは、それに気付くことはなかった。
「僕と同じものが見える人は、どこに居るんだろう」
リンネの呟きは、肩を切る風に流れて溶け消えていった。
「降りな」
泥と汗と粉塵にまみれた筋骨隆々たる男たちが、そこかしこを歩いていた。視界の隅から隅まで、灰と茶を混ぜたような、荒涼とした色のない景色が広がっている。
馬車に乗せられたリンネがやってきたのは、山奥を削って作られた鉄鉱山だった。
「お前さんに働いてもらうのは、ここだ」
「ずいぶん埃っぽいところだね」
馬車から降りたリンネは、自身が初めて見る風景に思いを巡らせた。
騒音、ぬるい風、砂埃が、自らの身体にまとわりついてくる。
どこかで水車が使われているのか、選別された鉄の塊がごとごとと音を立てて運ばれていく。
「それに、カラカラに乾いてる」
「こっちだ、着いてきてくれ」
リンネは太々とした丸太で作られた小屋に案内された。
どうやら、作業員たちを監督する、雇い主の建物であるようだった。
「改めて、こんなところまですまねえな。なんせ原因が分からねえんだ。あんたの噂は聞いてる、金も出す」
旅の外套を脱いだリンネは、綿のない椅子に座らされ、ことのほか丁重に扱われた。
周りは四十や五十を過ぎた、いい歳の男ばかりだ。いずれも無骨ではあるが、リンネへの物腰は柔らかい。
リンネの線が細い、華奢な見た目に、意外そうな表情を浮かべる者もいた。
「まずは、話を聞かせてください」
「ああ、おい。話してやれ」
おそらく、前の男はこの鉱山の長か、それに近い人物だろうとリンネは当たりをつけた。
それは正解だった。彼は今、この現場を悩ます問題に頭を抱えているところだった。
「ふうん。鉱夫たちの病気ですか。それに、急に鉄鉱石が採れなくなってきたと」
「こういうことが、前にもなかったわけじゃねえんだが……今回はいつもと違うんだよな。腹を壊しているわけでもねえ、かと言ってガスや腐った水なんかの、変なものを掘り当てた感じでもねえ」
頭に手ぬぐいを巻いた髭むした男は、今にも泣きそうな表情を浮かべている。
彼らの話は、こうだ。
ひと月ほど前から、この鉱山では体調を崩す鉱夫たちが続出し始めた。
流行り病を疑い医者も呼んで診せたが、原因はわからなかった。さらに悪いことには、鉱石の産出量が目に見えて減り始めた。
目標の達成が厳命されている以上、働き手たちはより過酷な労働に身をやつさねばならない。
鉱山の労働状況は、急速に悪化していった。
ついに単独での解決は不可能だと判断した場長は、自らの主人に泣きを入れた。その解決策として、あやしげな力を持つというリンネが呼ばれたのだった。
場長は突然の災難に、ほとほと困り果てているーーリンネにはそう読み取れた。
「僕にもできることと、できないことがあります。例えば鉱脈が無くなっているとかーー」
いや、そんなはずはねえと目の前の男が遮った。周りの男たちも、同じように頷いている。
「山男のカン、だけどな。鉄が無くなる時ってのは、今まで同じくらい産出してたものが、だんだん減っていく感じだろ? ぷっつり途切れやがることは、そんなに無えはずなんだ」
「勘か。信じます。それが一番大事だから」
リンネは顎に手を当てて考え込んだ。
既に昼を過ぎており、これから調査を始めるには時間がかかりそうだ。
「もし、この鉱山が終いになるなんて話になったら、俺たちは首をくくるしかねえ。しっかり調べてくれよな、ショウカンシさんよ」
「そう言ってくれて、やる気が出てきました」
リンネは自らの名乗りを彼らが用いたことに、いくらか気を良くした。胡散臭がられることも多い身の上では、最初から依頼人に怪しまれることも少なくなかった。
「それでは、報酬の話を。僕は、お話を受ける時には、街で一週間に三食ずつ食べられるだけのお代を頂くこととしています。宜しいですか」
「わかってるよ。前払いで三日分出せってのも、知ってる」
ほら、と皮袋に包まれた銭貨がリンネの目の前に置かれた。リンネは袋を開けて、律儀に一枚ずつ数え出した。
しばらく、机の上に金属が擦れるだけの、気まずい沈黙が流れる。
リンネは数え終えたそれらを、丁寧に袋にしまい入れた。
「確かに。このお話はお受けします。僕は勝手に野営しますので、邪魔にならなそうなところを教えてください」
「あんた小せえだろ? どこか、雨の当たらねえ軒くらい貸してやるぞ」
男たちに裏はなく、親切心で言っているようだ。
正直なところ、鉱山の男たちは目の前の小さな人物を信じ切れてはいなかったが、召喚士とやらが仕事に対して手を抜くことは避けなければならなかった。
リンネはにこりと笑った。
「ありがとう。お気持ちだけで大丈夫です。外で過ごして、初めて見えるものがあるので」
「お、おお……じゃあ、あんたに任せるぞ。みんなには話しておくが、素人さんが坑口の深いとこまで勝手に入るなよ。出られなくなっちまうぞ」
話が終わりかけると、あ、とリンネが思い出したように言葉を口にした。
「水場と便所だけ、案内しておいてもらっても良いですか?」
リンネを囲んでいた彼らは、唐突だが人として当然の要求に、顔を見合わせ肩をすくめた。
この鉱山は、すでに十年ほど稼働している鉄鉱石を採掘している鉱山だった。大商人が土地ごと権利を買い取り、地中から得られた鉱石を自前の商人隊が売り捌いている。
鉄が多かったが、錫や鉛も産出する、この国には良くありふれた鉱山だった。
「鉱夫たちは、専門に働く人がほとんどか」
リンネはうろうろと周辺を歩いていた。
外套を着ており、口に覆面もあてている。この場所はひどく埃っぽかったからだ。
昼間は皆、忙しくしているらしい。
休みの作業員でもいないかと、リンネが首を巡らせた時ーー。
「こ……の野郎っ! 何しやがる!!」
ごろごろがらがらと、痩せた男が目の前に転がってきた。彼は飛ばされてきた方を向いて悪態を吐いている。
「お前が先に手を出したんだろうが! 絵を貶されたくらいでのぼせやがって!」
大柄な男たちが歩いてくる。鉱夫なのだろう。先ほど相手にしていた男たちとは違い、見るからにがらが悪く、喧嘩っ早そうだ。
「絵?」
ひらひらと、男の手から舞い上がった紙切れがリンネの手の中に収まる。
炭だけで描かれているそれは、一目見ただけでは何を示しているのか分からなかった。
「おい、返しやがれ!」
「あ、ごめんなさい」
男はリンネから紙を奪い取ると、それを懐に大事そうにしまい入れた。
リンネとやり取りをしている間にも、喧嘩をしていた男たちは近づいてきておりーー。
鈍い音が顔面一発。
痩せぎすの男は鼻血を吹き出して、その場に伸びてしまった。
「う……」
「あ、生きてる?」
石を枕にさせられていた男が、目を覚ました。
時刻は既に夕暮れを過ぎていて、辺りは薄暗い。鉱山には仕事の終わりの鐘が鳴らされ、飯場の灯りが次々に灯され始めていた。
「食べる?」
「誰だ、お前」
汁物の入った椀を差し出したリンネの問いかけに答えず、男は無愛想に意気がった。
「僕はリンネ、召喚士のリンネ」
ショウカンシーー聞き慣れない単語に、男は眉間に皺を寄せた。舌打ちして、体を起こそうとしたところで、彼の腹の虫が鳴った。
リンネは目敏くそれを逃さなかった。
「事情は知らないけど。君の分もあるんだ。食べていいよ。お腹が減ってると、いいことないから」
「くそっ……!」
リンネの手から湯気の立つ食器を奪い取り、彼は食道の奥まで流し込むようにかきこんだ。
リンネは無言でその様子を眺めている。
自分の荷物から、一杯の水も渡してやった。
「食べたら、戻った方がいいよ。喧嘩が弱いなら、あんな人達と争うべきじゃない」
「うるせえ! 俺だって意地があらあ!」
男はそうまくしたてるが、鼻の穴に血止めの布を詰められたままでは説得力がない。
滑稽な怒り顔に、リンネは思わず吹き出した。
腹に物が入り、落ち着いた頃合を見計らってから、リンネは男に疑問を投げかける。
「それ、君が描いたの?」
「……ああ」
男は目も合わさずに答えた。
流石に悪いと思ったのか、少しは話をする気になったようだった。
「炭だけで、よく描こうと思ったね」
「仕方ねえ、金が無えから絵の具なんて買えねえし」
男は両腕を大きく広げ、仰向けになって寝転んでしまった。ぱちぱちと、焚き火が熾る音がこだまする。
「悪かった。世話になった。ガキの世話になるなんて、俺も焼きが回っちまった」
「ガキじゃない。リンネって名前がある」
ようやく、男が目を合わせた。
痩せており、無精髭も伸びてはいるが、瞳の輝きは力強くリンネを見据える。
「俺はラルク、ラルクだ。絵描きになるはずだった」
はぁ、とため息を吐いて、ラルクは立ち上がり、その場を後にして行った。
リンネは思い出したように声をかけた。
「その絵、何を描いたの?」
ラルクは振り返りもせずに答える。
「ただの想像だよ、想像。こんなところにぶち込まれた、俺の絶望ってやつさ」
「絶望? 君は、絶望ってやつが見えるの?」
思わず、リンネはラルクの手を引いていた。
いきなりの行動に、彼はぎょっとして足を止める。リンネの表情は、真剣そのものだった。
「そんなもん、知るかよ。ほら、邪魔すんな。俺はお前みたいに暇じゃ無えんだ」
ラルクはリンネの手を強引に振り払って、飯場の灯りの方へと歩いて行った。
リンネは払われた手を胸に当て、夕闇に消えていく彼をじっと覗き込んだ。
その背中に黒く靄がかった何かが、リンネの視界に映った。
「知らない、そんなやつは」
本日から隔日更新5000字を目標に連載を開始します。
次回は11月4日(水)21時に投稿予定です。




