第1話 水の神様の仕事
さて。次は、どこを見に行きましょうか。
先日、見て回った場所を思い返しながら、私は成田せせらぎ緑道を歩いていました。
水路には、いつもと変わらないように見える水が流れています。
水面には木々の影が揺れ、風が吹くたびに小さな波紋が広がります。遊歩道の脇では、落ち葉が水の流れに乗って、ゆっくりと下流へ向かっていました。
人間にとっては、何気ない風景でしょう。
けれど、私にとっては、見るべきものがたくさんあります。
水の流れ、土の状態、地下を通る水の動き、山から流れ込む水の量。
それらを確かめることが、私の仕事です。
もっとも、毎日何かが起きるわけではありません。
何も変わらないことを確認する日もあります。
それも大切な仕事なのです。
そのときでした。
チン。
頭の中に、小さな合図が届きました。
近隣地域を担当する水の神様からです。
『そちらの山側の水の動き、何か気になるところはありませんか』
私は少し考えました。
「今のところ、大きな異常はありません。ただ、地下の流れについては、少し気になるところがあります」
『やはり、そうですか。こちらでも、わずかに違和感があるんです』
「何かが変わったと断定できるほどではありませんね」
『ええ。しばらく様子を見ましょう』
「そうですね。何か分かったら、また連絡します」
やり取りは、それだけでした。
神様同士の連絡というと、何か大げさなものを想像するかもしれません。
しかし、実際には、こんなものです。
私たちは、それぞれ担当する地域を持っています。
仙台にも名取にも水の神様がいます。地域によっては、小さな町や集落をまとめて担当している神様もいます。
山の神様、川の神様、海の神様もいます。
それぞれが自分の担当する場所を見守り、必要があれば情報を交換します。
もちろん、災害が起きたときには、担当区域に関係なく協力することもあります。
以前、仙台で大きな水害があったときには、周辺地域の神様たちも応援に入りました。
神様だからといって、一人ですべてを解決できるわけではありません。
そういう意味では、私たちの世界にも、ひとつの仕組みがあります。
私は、これを勝手に「神というインフラ」と呼んでいます。
まあ、誰かに正式に認めてもらった言葉ではありませんが。
ただ、私たちの仕事は、担当する地域だけを見ていればよいというものでもありません。
水は、ひとつの場所にとどまっているわけではないからです。
海の水は蒸発して雲になり、風に運ばれて遠くの土地へ向かいます。やがて雨や雪となって大地に降り、川や地下水を通って再び海へ戻っていきます。
水は、国境を越えて旅をするものです。
「水にも教えてもらったことがあります。ここで見ている水も、ずっと遠い場所からやって来たものかもしれません。私たちが担当している地域だけで、水の動きが完結するわけではないのです」
そう考えると、海外の水の神様と連絡を取り合うことにも理由があります。
ある国で蒸発した水が、別の国に雨を降らせることもあります。
遠い地域の気象や水の変化が、巡り巡ってこちらに影響する可能性もあるのです。
もちろん、どこで蒸発した水が、どこに降るのかを、私たちがすべて把握しているわけではありません。
水の動きは複雑です。
だからこそ、情報を交換する必要があります。
それに、私たちの仕事は、自然を思いどおりに動かすことではありません。
基本的には、自然に任せます。
人間にとって都合の悪いことが、自然にとっても悪いことだとは限りません。
何でもかんでも手を出していたら、自然も困ってしまいますからね。
ただし、必要があれば、ほんの少しだけ手を貸すこともあります。
水の流れをわずかに調整したり、何かが起きる前に様子を確認したり。
それ以上のことは、よほどの事情がない限り行いません。
私たちにも、できることと、できないことがあります。
それに、自然には自然の時間があります。
人間の時間だけで判断してはいけないのです。
私は水路の脇に立ち、流れていく水を眺めました。
水は、昨日と同じように見えても、まったく同じ水ではありません。
山から流れ、土を通り、地下を巡り、川へ向かう。
その途中で、さまざまなものと出会いながら、姿を変えていきます。
私たちは、その動きを見ています。
ところで、神様の仕事には、もうひとつ面白いものがあります。
記録です。
人間は、文字や写真、映像などで記録を残します。
私たちにも記録はありますが、自然そのものが残している記録を読むこともあります。
例えば、木です。
木は、毎年、年輪を重ねていきます。
そこには、その木が生きてきた時間が刻まれています。
雨が多かった年、乾燥した年、気温の変化、周囲の環境。
木は、言葉を使わずに、自分の生きた時間を記録しているのです。
私たちは、その記録を読み取ることができます。
ただし、すべての木が、何でも教えてくれるわけではありません。
木が記録しているのは、その木が生きてきた時間です。
私たちが都合よく書き残したものではありません。
そして、あの白い木は、少し違います。
私は、以前から気になっている白い木のことを思い出しました。
あの木には、普通の木とは違うものがあるようです。
人間がそこに残してきた願いや祈り、感謝や悲しみ。
そうしたものが、長い時間をかけて積み重なっているようにも感じます。
けれど、それがどういう仕組みなのか、私にも分かりません。
木が何を記録しているのか。
なぜ、あの木だけが特別なのか。
まだ、確かなことは何も言えません。
神様だからといって、何でも分かるわけではないのです。
チン。
今度は、海外にいる知り合いから連絡が入りました。
『そちらはどうですか。最近、忙しそうですね』
「まあ、いつもどおりですよ。そちらはどうですか」
『こちらも変わりません。雨が多くて、少し大変ですが』
「水の神様が雨に困っていては、困りますね」
『あなたに言われたくありませんよ』
思わず笑ってしまいました。
「それは失礼しました」
『無理はしないようにしてくださいね』
「ありがとうございます。そちらも、無理はしないように」
『あなたに言われたくありません』
同じ言葉が返ってきました。
まったく、困ったものです。
神様同士の会話など、こんなものです。
仕事の話もしますし、世間話もします。
遠く離れた場所で起きていることが、こちらの地域と無関係とは限りません。
水は、人間が引いた境界線など気にしませんからね。
国境も、市町村の境界も、水にとっては関係ありません。
山から流れた水は、土地を越え、川へ向かい、やがて海へ出ます。
空へ昇った水は、風に運ばれ、また別の土地へ降り注ぎます。
人間が地図に引いた線と、自然の動きは必ずしも一致しないのです。
もちろん、人間には人間の事情があります。
道路を造り、住宅を建て、生活を便利にする。
それ自体を悪いことだとは思いません。
ただ、その変化によって、動物たちの通り道や水の流れが変わることもあります。
人間には見えているものが、動物たちには見えていないこともある。
反対に、動物たちが気づいている変化を、人間が知らないこともあります。
私は、もう一度、水路の流れに目を向けました。
いつもと変わらないように見える水。
その下では、何かが少しずつ変わっているのかもしれません。
山側の水の動き。
白い木に残された記録。
そして、富谷の外にも広がっているかもしれない、何かの変化。
まだ、確かめなければならないことがあります。
それを確かめることも、私の仕事です。




