第2話 夜に働く男
自分の生活は、夜を中心に回っていた。
周囲の人たちが一日の仕事を終え、家でくつろぎ始める頃、自分は仕事に出かける。反対に、街が朝の支度を始める頃には、仕事を終えて帰宅する。
夜勤が生活の中心になってから、それなりの時間がたっていた。昼間に働く人たちとは生活のリズムが違う。それでも、毎日繰り返していれば、それが当たり前になっていく。
仕事へ出かける前、椅子から立ち上がった。
そのとき、膝にわずかな違和感があった。
「……またか」
思わず口にしたものの、立ち止まるほどの痛みではない。少し気になっただけだ。自分はそのまま支度を済ませ、家を出た。
夜の空気は、まだ冷たかった。
職場に着くと、いつもの仕事が始まった。作業の手順を確認し、必要なところで同僚と声を掛け合いながら、一つずつ仕事を進めていく。
機械の動く音が、静かな職場に響いていた。
時計を見ると、まだ夜は長い。
深夜になるにつれて、身体に少しずつ疲れがたまっていく。大きく口を開けそうになるのをこらえ、目の前の作業に集中した。時計を確認しながら、手を動かし続ける。
「今日は、朝方に冷え込むらしいですよ」
作業の合間に、同僚が声を掛けてきた。
「まだ寒い日があるな」
「そうですね。もう少し暖かくなってもよさそうですけど」
短い会話を交わし、再び仕事に戻った。
休憩時間になり、椅子に腰を下ろした。
何気なくスマートフォンを取り出す。ニュースを眺めていると、野球の話題が目に入った。
WBCで日本代表が優勝したというニュースが、まだあちこちで取り上げられていた。大谷翔平をはじめとする選手たちの活躍は、野球に詳しくない人の耳にも届いている。
「野球、盛り上がってますね」
近くにいた同僚が、スマートフォンの画面をのぞき込んだ。
「優勝したからな」
「大谷は、やっぱりすごいですよね」
「そうだな」
自分は短く答え、画面をスクロールした。
物価上昇に関するニュースも目に入った。食料品や日用品の値上がりは、日々の買い物にも関係してくる。経済の難しい話はよくわからなくても、買い物をするたびに値段が上がっていることは実感できた。
「何でも値上がりですね」
同僚がため息をついた。
「そうだな。買い物に行くと、そう思うよ」
そんな話を少し交わして、休憩は終わった。
スマートフォンをしまい、再び仕事に戻る。
朝6時、ようやく仕事が終わった。
職場を出ると、東の空が少しずつ明るくなっていた。日が長くなってきた。道路には通勤する車が増え、街が目覚め始めている。夜の間は静かだった道も、これから忙しくなっていく。
自分は帰り道を進んだ。
住宅地の庭先では、梅の花が咲いていた。
朝の空気には、まだ冷たさが残っている。それでも、枝に開いた花を見ると、季節が少しずつ進んでいることがわかる。
テレビやニュースサイトでは、桜の開花も話題になっていた。
各地から届く開花の知らせ。春の訪れを告げるニュースが、少しずつ増えている。
富谷の桜は、どうだろうか。
そんなことを考えながら、車を走らせた。
家に着くと、いつものように食事を済ませた。夜勤明けの身体には、眠気がまとわりついている。
食事を終え、身の回りのことを済ませると、寝る準備を始めた。
布団に入る前、ふと自分の身体のことが頭をよぎった。
体重は、105キロ。
あの数字を見たときの驚きは、まだ記憶に残っている。膝の違和感も気になる。今すぐ仕事に支障が出るほどではないが、このままでいいとも思えなかった。
だから、歩くことにした。
激しい運動は、最初から無理だと思っていた。食事を減らすつもりもない。何しろ、食べることが楽しみなのだ。
夜勤を終えたあとか、それとも仕事に出かける前か。生活の中に歩く時間をつくることはできるだろう。
明日から、少しずつ準備を始めよう。
そう考えながら、自分は目を閉じた。
第2話 了
次話「歩く準備」へ続く。




