↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜道の向こう側 ―― Beyond the Night Road ――  作者: 静間 透
第三章 人間の知らない森
PR
25/39

第5話――その4 神様の見ているもの

雨は、少しずつ弱くなっていました。

成田せせらぎ緑道を流れる水は、まだいつもより勢いがあります。雨水を集めた小さな流れが、落ち葉を押し流しながら、下流へと向かっていました。

私は、その水のそばにいました。

雨が降れば、水の流れは変わります。普段は静かな場所でも、一時的に水かさが増すことがあります。人間は天気予報を見て、道路の状態を確かめ、雨がひどければ外出を控えます。

以前なら問題のなかった場所が、ある日突然、危険な場所になることもあります。

自然の変化は、いつも人間の想定どおりに進むわけではありません。

もっとも、これは人間だけの話ではありませんけれどね。

水の流れも、山の様子も、そこに暮らすものたちの動きも、少しずつ変わっていきます。

そんな水辺に、一羽のゴイサギがいました。

水際に立ち、じっと水面を見つめています。

首を縮め、ほとんど動きません。

雨上がりの水は濁り、流れも速くなっています。水の中にいる小さな生き物を見つけるのは、いつもより難しいでしょう。

それでも、ゴイサギは待っていました。

やがて、水面に小さな動きがありました。

ゴイサギの首が伸びます。

くちばしが水に突き刺さりました。

しかし、獲物は捕れなかったようです。

ゴイサギは、何事もなかったように、また水面を見つめ始めました。

「水が騒がしい」

私は声をかけました。

ゴイサギは、こちらを見ません。

「水の中が見えにくい。流れも違う」

「雨のせいですね」

「そうだろうな」

それだけ言うと、ゴイサギは再び水面に意識を戻しました。

今夜、このあたりでは、いくつもの動きが重なっています。

けれど、ゴイサギにとっては、目の前の水の中に獲物がいるかどうかが大切なのでしょう。

それは、それでよいのです。

私も、すべてのものに同じ景色を見てほしいとは思っていません。

水辺から少し離れたところでは、別の動きがありました。

山のほうから、いくつもの気配が届いています。

熊が動いています。

カモシカも、イノシシも、タヌキも、それぞれの場所から移動を始めているようです。

カラスの姿は、今は見えません。イタチの気配も、草むらや細い通り道の向こうにあります。

それぞれが、何かを感じ取っているのでしょう。

熊は、大清水へ向かっています。

カラスが、動物たちに集まりのことを知らせて回っていたのを、私は知っています。

ただ、何の話をするために集まるのかまでは、私にも分かりません。

動物たちが同じ場所へ向かっているからといって、同じことを考えているとは限らないのです。

彼らには、それぞれの事情があります。

腹を満たすため。

水を探すため。

安全な場所へ移るため。

通り慣れた道を探すため。

あるいは、ほかのものたちの動きに気づいたからかもしれません。

私は、このあたりの山を長く見てきました。

道路ができる前から、ここには水が流れ、木々が育ち、動物たちが暮らしていました。

熊が通る道もありました。

カモシカが斜面を歩き、イノシシが土を掘り返し、タヌキが夜の山を行き来していました。

そのころ、このあたりに今のような道路の名前はありませんでした。

もちろん、住宅地もありません。

やがて人間がやってきました。

土地を測り、道を造り、家を建てました。

それぞれの場所に名前をつけ、境界を決め、暮らしのための場所を広げていきました。

人間には、人間の暮らしがあります。

道も家も、その暮らしを守るために必要なものなのでしょう。

けれど、その土地には、もともと別の暮らしもありました。

長い間、そこを通っていたものたち。

そこで食べ物を探し、水を飲み、身を休めていたものたち。

土地に名前がつき、境界が引かれたとき、その土地に暮らしていた者たちは、どこへ行けばよかったのでしょうね。

私は、その問いに答えを持っていません。

ただ、道ができる前から、そこには道があったのです。

人間が道路と呼ぶものとは違う、動物たちが歩いてきた道が。

水は、土地に引かれた境界を知りません。

雨が降れば、斜面を流れ、低いところへ集まり、土の中へ染み込んでいきます。道路の脇を流れることもあれば、木々の根元へ向かうこともあります。

人間が決めた境界とは関係なく、水は流れていきます。

もっとも、私も水の流れについては、あまり人のことを言えないのですが。

なにしろ、こちらも兼務ですから。

私は水の動きを感じながら、山のほうへ意識を向けました。

大清水に、いくつもの気配が集まり始めています。

熊だけではありません。

それぞれ違う場所から、違う理由で動いてきたものたちが、同じ場所へ近づいているようでした。

今夜は、少し賑やかになりそうですね。

ただ、その中に、私にもよく分からないものが混じっていました。

水の流れとも違う。

風の動きとも違う。

先ほど聞こえた、あの声のようなものと同じなのでしょうか。

どこから届いているのかも、はっきりしません。

けれど、確かに何かがそこにありました。

私は、しばらくその気配を追っていました。

どうやら、今夜は私にも分からないことが起きそうです。

……神様なのに、困ったものですね。

ゴイサギは、まだ水面を見つめていました。

何も知らないような顔で、じっと獲物を待っています。

その間にも、水は流れ続けていました。

夜は、まだ終わりそうにありません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。