09 黒衣の騎士
夜の帳が降りて、静かな風が家のまわりを吹き抜けていく。
昼間の喧騒が嘘のように、町はすっかり落ち着きを取り戻していた。
夕ご飯は、野菜とお肉をじっくり煮込んだシチューと、焼きたてのパン。
お風呂も済ませて、今はぽかぽかの湯上がり肌で、フォルと一緒に暖炉のそばでのんびりしていた。
「ふわぁ……あったかいの、しあわせなの……」
フォルが、湯上がりでふにゃりと頬を緩めながら毛布にくるまっている。その髪は、今ではすっかり輝きを取り戻した銀色に変わっていた。
あの灰色がかった髪が、ここまでふわふわできらきらになるなんて。
私はその頭を撫でながら、ゆっくりと息をひとつ吐いた。
あの騒動があってから、ずっと胸がざわついていたけれど、ようやく少し、心が落ち着いてきた気がした。
クッキーでも焼こうかな?
――コン、コン。
そう思った時。静寂の中に、玄関扉をノックする音が響いた。
「……っ」
私は、ビクリと肩を跳ねさせる。先程の出来事が頭をよぎり、不安が胸に押し寄せる。
あの人たちは諦めて帰ったはずだ。
だけど、一度そう思ってしまえば、むくむくと勝手に大きくなる不安は拭えない。
そんな不安が胸を押しつぶしそうになったとき、隣にいたフォルがそっと私の手を握ってきた。
「ユーナ、だいじょぶ。ボクがいるの。もやせるよ?」
フォルがピシッと立ち上がる。
不穏な発言が聞こえたが、その表情は真剣で、瞳の奥にかすかな光が宿っている。
「……出てみるね」
私は玄関脇の小窓のつまみを回し、少しだけ覗く。
(……あれ、誰だろう? 昼間の人ではないみたい)
そこに立っていたのは――背の高い青年だった。
外套を羽織った肩は埃にまみれていて、小さな傷も見える。けれど、まったく見覚えのない顔だった。
この町の人ではなさそうだ。そう思ってふと見ると、彼の足元には男が二人倒れていた。
(……えっ!?)
「夜分にすまない。俺はクロード。リュシアンとマティルダに頼まれて、この家を訪ねてきた」
黒髪の青年は、低く落ち着いた声で名乗った。
目つきは鋭いけれど、真面目そうな雰囲気をしている。
そして彼が告げた名前は、リュシアンさんたちの名前だ。
「え、あの……おふたりのお知り合いの方ですか?」
「二人の孫だ。先に手紙を出すと言っていたが……届いていないようだな」
「すいません! すぐに開けます」
私はあわてて扉の鍵を外す。
リュシアンさんたちには王都の息子夫婦に孫が二人いると聞いている。片方がひ孫の親で、もう一人がクロードと名乗ったこの人ということなのだろう、きっと。
「こ、この人たちは……!」
扉を開けて、驚く。
こんな夜に何が起こっているのかわからないけれど、彼の足元に倒れているのは――昼間、食堂で絡んできた冒険者たちだった。
「この家を訪ねたら、怪しい男たちがうろついていたので倒した。ひとまず、ギルドに突き出してくるつもりだ。祖父たちの懸念が当たったようだな」
クロードさんにさらりとすごいことを言われた。私は言葉を失ったまま、ただ見上げるしかない。
この人たちがウロウロ? 倒した?
「ちょ、ちょっと待ってください……え、ケガはありませんか? ご無事ですか?」
「問題ない。むしろ……」
クロードさんが視線を横に動かした瞬間――
「うおおおおっ!」
倒れていた男の一人が、突如立ち上がり、短剣を抜いてクロードさんに飛びかかった。
倒れたまま機会を窺っていたらしい。
「……っ!」
クロードさんは、ほんのわずかに身体を傾けた。その拳が、まるで舞うように振るわれる。ドゴッという鈍い音とともに、男は地面に再び沈んだ。
私はほっと胸を撫で下ろしかけて――……
「ユーナ、さがって!」
フォルの鋭い声が飛ぶ。
――ゴォッ!
フォルの小さな体から、ふわりと赤い光が広がった。
床に倒れていたはずのもう一人が、ナイフを逆手に、すでにクロードさんの背中を狙って跳びかかっていたのだ。
「チッ、まだ動けたか……!」
振り返るクロードさんより先に、フォルの炎が冒険者の足元に炸裂した。
熱風と共に火の粉が舞い、男は地面に転がってジタバタと暴れる。
「な、なんだよ、こいつ……! ガキが……!」
「ボクは、ガキじゃない」
フォルの琥珀の瞳が、今は赤く燃えている。
炎に包まれた冒険者は、あわてて体を転がして火を消しながら、這うようにしてクロードさんから距離を取った。もはや抵抗する気力も残っていないらしい。
彼はそんな様子を一瞥し、無言のまま男の襟首をつかんで引きずり上げる。もう一人も、先ほど彼が殴り倒した位置で呻きながら身をよじっていた。
「ギルドに突き出して手続きをしてくる」
低く、落ち着いた声でそう言って、クロードさんは二人の冒険者をまとめて担ぎ上げる。
私はただ呆然と、それを見送ることしかできなかった。目の前で起きた出来事が、まだ現実だとは思えない。
扉の外に出る直前、クロードさんがふとこちらを振り返った。
「終わったらまた戻ってくる。鍵はしっかりかけておくように」
その一言だけを残し、彼は静かに夜の闇へと消えていった。
扉が閉まり、再び家の中に夜の静寂が戻ってきた。
私はようやく張り詰めていた息を吐き出し、扉に背を預けるようにしてその場にしゃがみ込んだ。心臓がまだドクドクと大きく鳴っている。
「はあ……なんとか、終わった……のかな?」
現実感のない声で呟くと、すぐそばでフォルが私の腕を掴んだ。小さな手のひらが、いつもより少し熱を帯びている。
見ると、さっきまで赤く燃えていたフォルの瞳は、ゆっくりと琥珀の色に戻っていた。けれど、彼の表情は不安げだった。
「ごめんね、ユーナ。ボク、こわくなかった?」
「ううん、全然。むしろ、フォルがいてくれて助かったよ。ありがとう」
そう言って頭をなでると、フォルは少し安心したように目を細める。かわいい。
床には、先ほどまで冒険者たちが立っていた足跡がうっすらと残っている。何もなかったように片付けたいけれど、現実の重さがまだそこに残っていた。
「……クロードさん、って言ったよね。二人のお孫さん……助かったけど、どうして……?」
ぶつぶつと独り言のように呟きながら、私は立ち上がり、片付けの残りに手をつける。ふう、と一度大きく息を吸う。
ドキドキしたときは深呼吸だ。
「フォル、ホットミルクでも飲む? 夜のあったかい飲みものは、心を落ち着けてくれるよ」
「うん、飲む!」
ぱあっと表情を明るくするフォルを見て、私はようやく、ほんの少しだけ微笑むことができた。
ああ、今日もいろんなことがあった。
静かな夜の中、私は小鍋に紅斑牛のミルクを注ぎ、火を入れる。
ついでに途中だったクッキーもささっと作ってしまおう。
クロードさんがこの家に戻ってきたのは、それから時計の長い針がぐるっと一周してから。その頃には、フォルはすっかり夢の世界へと旅立っていた。




