08 怪しい人たち
「フォル坊、ユーナちゃんに拾ってもらってよかったねえ」
オンケルさんは朗らかに笑いながら、カウンターの上に両肘をついて身を乗り出す。
「さて、今日のランチは何だい? 腹を空かせて待ってたんだ」
「はい、今日は銀蹄鹿のミートローフと、紅斑牛のミルクグラタン、それにミレスタ野菜たっぷりのスープです」
そう答えると、オンケルさんが目を丸くして、すぐに嬉しそうに頬を緩めた。
「おお、銀蹄鹿かい。あれは森の木の皮をやたらと食べるから、木こりの皆が困ってたやつだ」
「はい。たくさんいただいたので、美味しく調理できたらと思って……」
銀蹄鹿は、蹄が銀色に光る鹿の魔獣だそうだ。
森の奥で見かけることもあるけれど、人里に近いところまで降りてきて若い木の皮を削り取るせいで、森の環境に影響が出るらしい。だから木こりさんたちは定期的に狩るようにしている、と聞いた。
「聞いただけで旨そうだ。お、フォル坊も手伝ってるんだって? じゃあなおさらうまそうだ!」
「えへへ……ボク、葉っぱちぎったの!」
「そいつはすごい。もう立派な厨房の一員だな」
フォルは胸を張って、「えっへん!」と声を上げる。その様子に、周りの常連たちも笑みをこぼしている。
私はその様子を微笑ましく思いながら厨房に戻って、オーブンを開けた。
途端に、焼けた肉とハーブの香りがふわっと食堂へ流れていく。
銀蹄鹿のミートローフは表面にこんがりと焼き目がついていて、角ばった形がきちんと保たれている。焼き上がりを待つ時間は短くないのに、そのぶん香りがきれいにまとまっていて、ちゃんとご褒美が返ってくる。
包丁を入れると、すっと刃が沈んで、断面がふわりとほどけた。
じゅわっと肉汁が滲み、刻んだ玉ねぎの甘さとハーブの香りが立ち上る。
銀蹄鹿の肉は力強い味がするけれど、火を入れすぎると固くなりやすい。だから中はしっとり保てるように、少しだけパン粉と紅斑牛のミルクを混ぜて、ふっくら仕上がるようにしてある。
「よし、グラタンもいい感じ」
隣のオーブンではミルクグラタンが完成していた。
紅斑牛のミルクは質が良くて、油分がまろやかで、煮詰めても重くならない。牧畜用としてこの辺りで大事に育てられている牛で、味も香りも上品だから、ホワイトソースにすると優しい甘みが出る。
表面のチーズはこんがりと色づいて、ふつふつとソースが踊っているのが見えた。
「おいしそう……!」
後ろで見ていたフォルが、喉を鳴らすみたいに小さく呟く。
「フォル、熱いからこっちは触らないようにね。サラダをお願い」
「うん!」
火の竜だから熱いものは平気なのかな、と疑問に思いつつも、きちんと声をかけておく。グラタンは見た目よりも熱々で火傷をしやすいから要注意だ。
配膳を終えると、食堂にはナイフとフォークの音が軽やかに響きはじめた。
最初のひと口は、いつも少しだけ緊張する。大丈夫。ちゃんとおいしいはず。それでも、食べた人の顔を見るまでは落ち着かない。
「……っ、やっぱりユーナちゃんの料理は格別だねえ」
オンケルさんが目を細め、ミートローフを噛みしめながら頷いた。
「ほら、噛むとじゅわって肉汁が……うん、しっとりしてて、でも重たすぎなくて……最高」
「銀蹄鹿って、もっと獣臭いと思ってたのに、全然そんなことないわ」
「このグラタンも! 中のお芋がほろほろで甘いし、紅斑牛のミルクのソースが優しくて、いくらでも食べられる……」
「スープも好きだなあ。身体が落ち着く。こういうのを食べると、午後も頑張れるんだよねぇ」
そんな声を聞いているうちに、私の肩の力がふっと抜けた。
ちゃんと喜んでもらえている。
フォルもにこにこしながら、配膳の手伝いを終えたテーブルの端に腰を下ろし、お子様ランチみたいに小さく盛り付けた皿をもぐもぐ食べている。
「おいしい……ユーナのごはん、みんな、うれしそう。ボクもうれしい!」
まっすぐな言葉に、頬が緩む。
「そうだね。みんなが笑顔になってくれると、私もすごくうれしいな」
見回してみれば、本当にみんな笑ってくれている。
食堂の初日はすごく上手くいった。こんな日が、ずっと続いたらいいな。
夕方の気配が町を包み始めたころ、私は食堂の片づけと明日のお昼の仕込みを終えて、フォルと一緒に裏口から家に戻ろうとしていた。
そのときだった。
フォルがふいにぴたりと足を止め、外を睨むように振り返る。小さな体から、ふわりと警戒の気配が伝わってきた。
「……フォル、どうかした?」
思わず問いかけたその瞬間――
ドン、ドンッ!
扉が激しく叩かれる音が食堂に響いた。
(こんな時間に誰? もう鍵はかけたはずなのに)
ランチが終わった時に、表に閉店の札を下げたはずだ。
私は戸惑いながら、そっと扉に近づく。
入り口の扉の横には小さな窓がついている。私はそこを少しだけ開けて、恐る恐る声をかけた。
「申し訳ありません。しばらく夜の営業はしていないんです。また明日のお昼にいらしてください」
しばらく沈黙があった。やがて、がらついた低い声が返ってくる。
「へぇ。こっちは客だってのに、そりゃあ冷てえな!」
外にいた男が、一歩前に出て、小窓を覗き込んでくる。
ごわついた髭に、油じみた革のジャケット。肩には傷んだケープを引っかけていて、何本ものナイフを無造作に腰にぶら下げていた。
後ろにいたもう一人は、片方の袖が破れたシャツに、鉄片を打ち込んだ革手袋。足元には泥の染みた重たいブーツ。そこから立ち上る、獣のような匂いが鼻をついた。
いかにも荒くれ者といった風体の彼らは、通りをうろつくよりも、魔獣の巣に踏み込んでいるほうが自然に見えるような、そんな雰囲気だった。
「……黒髪、か」
ぼそりと、ひとこと。
その目が、品定めするように私を見ているのがわかった。
(危なそうな人たちだ……!)
すぐに小窓を閉めようとしたけれど、男はそれを手を差し入れて阻止する。
ガン、と少し鈍い音がした。
「よぉ嬢ちゃん、ちょっとだけでいいんだよ。オレらも疲れて帰ってきたんだ、一杯だけでも酒を出してくれや」
もう一人、連れの男もにやにや笑いながら言葉を重ねる。
「そうそう。最近、この近くで竜が出たって話もあって依頼も出てるしな。俺たちがこうして危険を防いでやってんだぜ? 町のためにさァ? 労ってくれよ〜」
「……竜……!」
男たちの言葉に、私の声は自然と震える。
(やっぱり、竜は討伐対象なんだ。フォルのことがバレたら、だめ……!)
私のその怯えを、竜への恐れだと勝手に感じ取ったらしい男たちの声は、どんどん調子づいていく。
「だからさ、いいだろ? 礼くらいしてくれても。なぁ? どこの出身なんだい、その黒髪。珍しいなァ」
――その時だった。
「ユーナに、へんなこと言うな!」
鋭く、フォルの声が響いた。
小さな体で、私の横にぴたりと立っている。まっすぐな瞳が、扉の向こうをにらんでいた。琥珀色の瞳の奥に、赤い光がちらりと揺れている。
でも、フォルに反応した男たちは――嘲るように笑った。
「おやまあ、弟くんか? なんだいなんだい、ずいぶんしっかりした口聞くじゃねえか」
「俺たちを相手にするには、まだミルクが抜けてねぇんじゃないか、坊主?」
「そうそう、ミルクでも飲んでねんねしてなあ〜。竜はこわいよ〜〜」
男たちは調子に乗って、今度はフォルをからかおうとしている。
(いやいやこの子が竜なんです。命が危ないのは絶対にあなたたちの方だと思います!)
「……フォル、だいじょうぶ、おちついて。魔法はだめだよ」
私はフォルの肩に手を置き、小声でそう囁いて必死にその場をなだめようとする。
ビリビリとした力をフォルの小さな肩から感じるけれど、ここでフォルの正体がバレてしまっては元も子もない。
男たちはまだ酒に酔っているわけではない。だがその態度には、尊大さと横暴さが滲んでいた。
「申し訳ありません。現在はお酒の提供もしていません」
なるべく柔らかく、しかし毅然と伝えたつもりだった。けれど、小窓の向こうの男は鼻で笑うように肩をすくめる。
「はあ? 夜にゃ何も出せねぇってのか? 俺たちゃ命張って魔物退治してんだぞ?」
どうしよう、話が通じない。このままだと埒があかない。
フォルもそろそろ爆発しそうだ。こっちのほうがこわい……!
「――おい! そこで何をしているのかね!」
鋭い声が、通りに響いた。振り返るように男たちが顔を上げると、夕暮れの赤い光を背に、オンケルさんが歩いてくるのが見えた。
背は高く、体格もがっしりしていて、胸元には町の紋章が刻まれた外套を羽織っている。普段は気さくなおじさんのはずなのに、今はまるで別人のような迫力だった。
「ここは昼しかやっていない食堂だ。冒険者の迷惑行為は感心せんな。ギルドにも伝えておこう」
「んだと、ジジイ! 偉そうに!」
「おい待て。……あの紋章を見てみろ」
静かで、それでいて圧のある言葉。男たちは一瞬反発しながらも、一人が何やら耳打ちすると、静かになった。
「ちっ……なんだよ、つれねぇな。行こうぜ」
ぶつぶつと言いながら、踵を返した男たちの足音が遠ざかっていき、店には静寂が戻った。
私は胸をなで下ろしながら、小窓を閉める。そして、まだ強張っていたフォルの肩に、もう一度そっと手を添える。
「フォル、ありがとう。もう大丈夫だよ」
フォルはゆっくりと頷いた。琥珀の瞳に、ほんの少しだけ赤みが残っていたけれど――その光は、もう穏やかになりつつあった。
オンケルさんに礼を言って、私はフォルと食堂を出た。帰り道はあの人たちに遭遇することなく、なんとか帰ることができた。




