05 火の魔法
「ん〜〜〜、きもちいい〜〜〜……!」
湯気の立ちこめる湯船の中で、フォルは文字通りとろけそうな顔をしていた。
「こんなにあったかいの、はじめて……! しっぽまで、ぽかぽかだぞ〜……」
お湯にぷかぷかと浮かびながら、髪をふわふわ揺らしているフォル。しっぽは出ていないはずだから、おしりのことを言っているのだろうか。
顎のところまでしっかり浸かっている様子がなんともかわいらしくて、私は自然と笑顔になる。
「そんなに気持ちいいならよかった。いっぱい歩いて疲れたでしょ」
家の奥にある小さな浴室は、薪式の湯釜だ。慣れるまで時間がかかったけれどこうしてゆっくり温まれるのがいいところ。浴槽もふたりなら十分入れるくらいの大きさがある。
「フォル。町の人には、絶対に竜の姿を見せちゃダメだよ」
私は声をひそめて、改めて念を押す。
「竜のフォルはとっても大きいから。驚かせたり、怖がらせたりしないように、ね?」
「うん。ひみつだね! ぜったい、ないしょにするよ」
フォルは胸に手を当て、こくこくと真剣にうなずいた。
私は内心ほっとしながら、今度は桶にお湯を汲み、手ぬぐいを絞ってフォルの頭を軽くぬらす。
「じゃあ、洗うよ。じっとしててね」
「はーい!」
もこもことした泡で、優しく、丁寧に洗っていく。フォルの髪はさらさらで、ほんのり甘い香りがした。きっと竜のときは、森の風や草の匂いに包まれてたんだろうな。
頭を洗い終えると、続けて背中を流してあげた。小さな肩甲骨が、まだ頼りなくて、それでもどこか芯の強さを秘めているような背中。
擦り傷や切り傷があるその小さな背中を、傷つけないように優しくガーゼで拭う。
「……くすぐったい〜〜」
「ごめんごめん。くすぐったかったね」
「でも、きもちいいから、だいじょうぶ……えへへ」
フォルは笑いながら、きゅっと膝をかかえて、泡だらけの背中を預けてきた。
(なんだろう、この感じ。誰かのお世話をするのって、こんなに心があたたかくなるものなんだ)
小さな命を預かるって、責任重大だ。でも、怖いばかりじゃない。幸せがひとつ、確かにここにある。
(竜って、私にとっては絵本の中の存在だったなあ)
幼いころ、両親が読み聞かせてくれたファンタジーの絵本。山の奥に眠る宝物を守る恐ろしい竜とか、お姫様をさらう悪い竜とか――でもそのたび、最後には勇者に退治されてしまうのがお決まりだった。
だけど、目の前のこの子は――フォルは、あんなお話に出てきた竜とはまるで違う。
食いしん坊で、ちょっと甘えんぼうで、あったかいお風呂に目を細めて幸せそうに笑う、ただの小さな子どもだ。
(この世界での竜は、どんな存在なんだろう?)
フォルの体を流してあげながら、私は改めてそんなことを思う。
もし、討伐対象とかだったらどうしよう?
そんな不安が胸をよぎる。
(……冒険者に見つかったら、討たれたりするのかな)
フォルの小さな背中を、そっと抱きしめたくなった。
この世界には、ギルドがある。冒険者や傭兵たちが所属し、依頼を受けて魔物退治や護衛などをこなす組織だ。
もちろん、魔物にもさまざまな種類がいて、小さなスライムや鳥のような魔獣から、牙を持つ大型のオーガや人を襲うワイバーンまで……。
討伐依頼が出される魔物にはそれなりの理由がある。人里を荒らすもの、毒を持つもの、危険性の高いもの。ギルドでは、それらを「脅威度」で分類し、依頼の難易度と報酬を調整しているという話を聞いた。
この町にもたまに冒険者が立ち寄って、食堂でそんな話をしていくから自然と覚えてしまったのだ。
「よし、頭からお湯を流すよ〜。目、つぶっててね」
「うん!」
お湯をかけると、フォルの髪から泡がすうっと落ちて、光を反射するようにきらきらと揺れた。
(きれい……フォルの髪は灰色じゃなくて銀色だったんだ)
くすんでいた灰色が、洗ったことで美しい輝きを取り戻している。
どこか神聖な、幻想のような瞬間。私は、その不思議な光景を見つめながら、小さく息をついた。
お風呂から上がったあと、私はガーゼの位置を確認して、フォルの前にしゃがんだ。膝の傷は思ったよりもひどくなかったみたいだ。良かった。
「よし、これでばっちり。あとは髪を乾かして寝るだけだね」
「うん、ありがと、ユーナ!」
フォルはふにゃっと笑うと、くるりとタオルを外して、まだ湿った髪に手をかざした。
「ねえ見て、ユーナ。ふぁいあ、ふぁいあ、ふわふわ〜!」
どこかで聞いたことがあるような呪文を口にしながら、ぴょこんと立てた両手から、ほわっと温かな光が生まれる。ぱちぱちと音を立てるでもなく、やわらかくて、まるで小さな焚き火のような光の玉だった。
その火が、フォルの頭を包み込むように浮かぶと――しゅんっ! と一瞬で髪が乾いた。一瞬、目の色が紅く輝いた気がする。
「すごい……それってもしかして、魔法……?」
私がそう言うと、フォルは得意げに胸を張った。
「うん! 火のことはボク、大好きだもん! ボクは火の竜なんだよ」
無邪気な笑顔と、ぽんと鳴るような声に、自然と口元が綻ぶ。
「すごいね。フォルは魔法が使えるんだ」
この世界には魔法がある。火・水・風・土の四大属性を基本として、それぞれ得意な属性を持つ人々が、生活の中で当たり前のように魔法を使っている。
けれど、それは誰でも使えるというわけではない。
生まれ持った体質や素質によって、魔力の有無や、どの属性に適性があるかが決まってしまうのだ。
魔法の適性は、教会やギルドなどの機関で調べてもらえると聞いた。
この小さな町には、大きな施設なんてないけれど――代わりに、ギルドの出張所と教会、道具屋が合体したような建物が町の広場にぽつんと立っている。まるで「何でも屋さん」みたいなその場所で、私もこの世界に来てすぐ、魔力検査を受けた。
(結果は、魔力量ゼロだったんだよね……)
なんともあっさりした宣告だったけれど、あのときはさすがに少し落ち込んだ。
もちろん元々そんな力はないことはわかっていたけど、もしかしたらと思ってしまったんだよね。
だって、子どものころから絵本の中の魔法使いに憧れていた。
手をかざすだけで空を飛び、雨を晴れに変える――そんな夢のような力に触れられる世界に来たのに、自分には何の魔力もないなんて。
「でも、ユーナも魔法みたいだった」
「え?」
「なんであんなに美味しいものがつくれるの? あれは魔法じゃないんでしょ?」
「そうだね。料理は、ずっと練習してたんだ」
――お父さんとお母さんと一緒にお店をやりたくて。
そう考えてしまったら、だめだった。フォルの質問にさらりと答えたはずなのに、またあの日のことを思い出してしまう。
じわ……と目の前が滲むのを感じて、私はさっと後ろを向いて、フォルに気付かれないように明るい声を出した。
「じゃあ、少し早いけどもう寝ようか! ベッド、ふかふかにしておいたよ」
「……ふかふかベッド?」
フォルはきょとんとした顔をしている。
「うん。お布団で寝るんだよ。ちゃんとシーツも敷いてあるし、今日は天気がいいからお外に干してたの。お日様の光でふわふわだよ」
「ボク、お布団で寝るの、はじめて!」
「えっ、ほんとに?」
「うん、いつも……岩とか、葉っぱの上だったから……。ふかふかって、どんな感じ?」
「ふかふかはね、包まれるみたいな感じ。あったかくて、気持ちいいよ」
「わあ……楽しみ!」
フォルは目を輝かせて跳ねるように立ち上がると、ぱたぱたと私の周りを走り回っている。
そのフォルを捕まえて、しっかりと手をつないだ。
私には魔法は使えないけれど。それでも、料理を作ったり、誰かの手を包んだり、そういうことならできる。
それもきっと、私なりの――この世界での生きる力なんだと、思いたい。
(……難しいことは、明日また考えようっと)
そうして私は、フォルと同じベッドでくっついて眠った。
誰かと眠るのは温かくて、とても幸せな夜だった。




