閑話 聖竜の祠②
◆クロード視点
本来なら聖竜の気配を恐れて近づけなかった者たちが、縄張りを巡って争い始め、敗れた個体や溢れ出た魔獣が、森へ、そして人の生活圏へと押し出されていった。
(あの南の森も、その流れの中にある)
子どもたちが足跡を見たと言っていた場所が、脳裏をよぎる。
偶然ではない。ここで起きた異変は、確実に山を越えて広がっている。
「このことは、すぐに国へ報告しないといけないね」
沈黙を破ったのは、レオンハルト殿下だった。
珍しく神妙な面持ちで、祠の中心を見つめている。軽口めいた調子は影を潜め、声には王族としての判断が滲んでいた。
「今のところ、この祠そのものからは強い魔獣の気配は感じない。結界も、辛うじてだが機能しているように思える」
そう前置きしてから、殿下は俺を見る。
「クロードくんはどう思う?」
俺は短く息を整え、周囲の魔力の流れに意識を集中させた。
冷たい空気の中に、乱れは残っている。だが、今この場で牙を剥く気配はない。
「はい。入口付近にあった骸以外に、強い魔力反応は感じません。少なくとも、この祠の内部に魔獣が潜んでいる様子はないかと」
術士たちも小さく頷く。
「魔力の揺らぎは残っていますが、巣の形成や集積反応は確認できません」
それを聞いて、レオンハルト殿下は小さく肩をすくめた。
「なら、この場での戦闘は不要だね。無理に踏み込む意味もない」
視線を巡らせ、はっきりと告げる。
「一度ミレスタの町へ戻る。状況を整理して、正式に再報告だ。ここでの調査はこれまで!」
「「はっ!」」
その判断に、異論を挟む者はいない。
命が下り、張り詰めていた肩の力がわずかに抜けた。
ひとまず町へ戻れる。その事実だけで、胸の内に溜め込んでいた重さが、ほんの少し緩む。
(できるだけ早く戻ろう)
ユーナは随分と心配していたから、きっと安心してくれるだろう。
足早に祠の外へ進む。
「レオンハルト殿下! レーヴェ副団長!」
そのときだった。
祠の入口付近で待機していた偵察部隊が、雪を蹴立てる音を響かせながら駆け寄ってきた。
息は荒く、肩で大きく呼吸をしている。切迫した様子が一目で分かった。
「報告です! ミレスタ近郊、南の森で強力な魔力反応を確認しました! 規模は中型以上、下位魔獣を複数引き連れている可能性があります!」
「なんだと?」
南の森。頭の中で、あの場所の景色が一気に立ち上がる。ベリーを摘みに行った、あの林。子どもたちが足跡を見たと言っていた場所。町のすぐ外だ。
一気に血の気が引くのが分かった。
「それと、この周辺でも確認しています。巨大な足跡と……尾を引きずったような痕跡です。数は一つ、深さがあります。かなりの重量だと判断しました」
その一言で、点が線になる。
祠の前に残されていた森狼の骸には、刺突痕が残されていた。もし、あれを屠った魔獣がうろついているとしたら。
「正確な位置は?」
声が、自分でも驚くほど低くなった。
「は、はい。南の森、北寄りです。街道から外れてはいますが……町へ向かう導線上にあります」
(なぜ、ここに来るまで気づけなかった)
自分でも不自然に思うほど、疑問が遅れて浮かんだ。
それほどの魔力反応だ。通常なら、霊峰に入った時点で兆しを感じ取っていてもおかしくない。
その違和感を拾い上げたのは、レオンハルト殿下だった。
「不思議だよね。本来なら、その規模の魔力反応があれば、もっと早く感知できたはずだ」
殿下は祠の方を一瞥し、探索魔法の術士へと視線を向けた。
「なぜか説明できる?」
問われた術士は、短く息を整えてから答える。
「現在、霊峰の魔力の流れが極端に乱れています。さらには祠の傍ということで、さらに聖力も入り乱れていまして……」
「ふうん。魔力の歪みが、隠れ蓑になったということか」
「はい。祠周辺の魔力が乱流のようになっており、外部の反応を打ち消していた可能性があります。強い光の中では、別の光が見えなくなるようなものです」
「ギルド長、今町には冒険者は残っている?」
「はい。しかし現在、南の森付近には数名しか配置していません」
レオンハルト殿下やバルガスさんの声が少し遠く聞こえる。
今こうして話している間も、危険な魔獣がミレスタの町に迫っている。
「クロードくん、あのさ――」
背後でレオンハルト殿下が何か言いかける気配がした。だが、その声が形になる前に、俺は踵を返していた。
風の魔力を、身体中に纏わせる。
「申し訳ありません、殿下。失礼します」
振り返らない。説明している時間はない。
雪を蹴り、斜面を一気に駆け下りる。肺が焼けるように痛むが構わない。足場の悪さも無視した。視界の端で騎士たちがざわつくのが分かる。
「……っ、間に合え」
もし、あれが祠を荒らした魔獣だとしたら。
町は近い。人の生活圏は、もう目の前だ。
フォルとユーナが、そこにいるかもしれない。
そう思うだけで、胸の焦燥感は一層強くなる。
背後から殿下の鋭い号令が飛ぶのを、風切り音の向こうに聞いた。追ってくる足音も増える。だが、先頭は譲らない。
俺はただ、縋るような気持ちで山を駆け下りた。




