25 第二王子レオンハルト
クロードさんはバルガスさんに呼ばれて、王子様のところへ向かってしまったらしい。
店に戻ると、まだ仕込みの途中の香りが残っていた。
鍋の中のスープは湯気を立て、オーブンの中では下焼きした肉が休ませてある。
エプロンをつけ直し、手を洗っていると――こんこん、と遠慮がちな音がした。
「ユーナちゃん、少しいいかな」
顔を上げると、入口にオンケルさんが立っていた。
いつもの落ち着いた様子ではあるけれど、言い出しづらそうに眉尻が下がっている。
「はい、どうしました?」
手を拭きながら近づくと、オンケルさんは一度視線を外し、言葉を選ぶように小さく息を吐いた。
「実は……王都から来た調査隊の方々の昼食について、相談を受けていてねえ」
「昼食ですか?」
「うん。宿でも用意はできるんだが、レオンハルト殿下がね」
そこで少し苦笑する。
「町の食事を食べてみたいと仰ってな。そしてできれば、この食堂がいいと」
え、と声が出そうになる。
「ここでですか!? あの、特別なおもてなしなんてできませんし、一般的なお食事しか作れないのですが」
おそるおそるそう言うと、オンケルさんはやわらかく目を細めた。
「それで十分だよ。というかね、ユーナちゃんの料理は、町じゃもう評判だろう?」
「え、でも……」
「皆が楽しみにしてる味なんだ。それをそのまま出してくれればいい」
気遣うような声音に、少し肩の力が抜ける。
王族に出す料理、と考えると身構えてしまうけれど、特別なことをしなくていいと言われると、逆にやるべきことがはっきりする。
(いつも通りで、いいんだ)
それなら、できるかもしれない。
「……わかりました。できる範囲で、用意します」
そう答えると、オンケルさんはほっとしたようにうなずいた。
「助かるよ。町の者にも配膳を手伝わせよう」
それから、少し言いにくそうに頭をかく。
「……実は、もう近くまで来ていらっしゃってね」
「えっ!?」
声が裏返った、その瞬間――からん、と軽やかな音を立てて、食堂の扉が開いた。
「やあ、失礼するよ。ここが噂の食堂かな?」
明るく通る声が店内に響く。
振り向くと、扉のところに立っていたのは、先ほど大通りで見かけた金髪の王子様――レオンハルト殿下だった。
「やっぱり匂いの元はここかあ。ちょうどお腹が空いてたんだ」
そう言って、楽しそうに店の中を見回す。
私は慌てて姿勢を正した。
「え、あの、その……いらっしゃいませ……?」
王子様相手にそれでいいのか分からないまま口にすると、レオンハルト殿下はくすっと笑った。
「うん、それでいいよ。今日は客として来たからね」
気負いのない調子でそう言うと、近くの席に当然のように腰を下ろす。
「おすすめをお願いできるかな?」
「はい。すぐにご用意しますね」
いつも通り、いつも通り。私は自分にそう言い聞かせる。
殿下は楽しそうに店内へ視線を巡らせ――そこで、ふと動きを止めた。
「おや……」
フォルと目が合ったらしい。フォルも私のエプロンをぎゅうっと掴みながら、殿下の方を真っ直ぐに見ている。
瞬きもせず、何かを考えるように首を傾げている。
「……フォル?」
殿下もその様子に気づいたらしく、自分の腕を見下ろしてから、軽く笑った。
「どうしたのかな? 僕、そんなに変な格好してる?」
フォルは少し考えるように黙り込み、それから私をちらりと見て、首を横に振る。
「……てが、ちがう」
「ちがう?」
「なんか……へん!」
それだけ言って、ぷいっと顔を背けた。
(国の偉い人なんだよね……!?)
フォルの態度に私の方が焦ってしまう。でも、殿下は一瞬きょとんとしたあと、くすりと笑った。
「なるほど。子どもは正直だね」
気にした様子もなく椅子に腰を下ろし、それ以上、その話題に触れることはなかった。
(よくわからないけど、急がなきゃ!)
これから、たくさん食事を用意しないといけない。私は急いで厨房へ向かったのだった。
***
まだ暗い玄関先で、クロードさんは荷袋の中身を確かめていた。
昨日、クロードさんも調査隊に加わることになったと告げられてから、頭の中がずっと落ち着かないままだ。
どうやらレオンハルト殿下とクロードさんは顔見知りらしく、調査に同行することも、その場で決まってしまったのだという。
冒険者たちも数名選ばれ、町としても協力する形になったらしい。
今回向かうのは、霊峰だ。名前だけは何度も聞いているけれど、実際どんな場所なのか、私にはうまく想像できない。
危険な場所なのだろう、ということだけは分かる。
食堂で食事をしていた調査隊の人たちは、みんな楽しそうだった。けれど、ふと黙り込んだときの横顔や、地図を広げる視線の鋭さに、緊張が隠れているのが見えた。
そしてきっと、私も同じ顔をしている。
そんな私の様子に気づいたのか、荷物から手を離さないまま、クロードさんがぽつりと言った。
「聖竜の祠には、一度行ってみたいと思っていた」
「え……?」
私は聞き返した。
危険な調査に向かう人の言葉には聞こえなかったから。
クロードさんは手を止めず、続ける。
「子どもの頃、竜の話をよく読んだ。強くて、賢くて、気高い存在だと」
淡々とした口調なのに、その言葉だけ少し熱がこもる。
だから、と視線を上げる。
「今回、正式な調査として入れるのは、聖騎士としては名誉だ」
わずかに声がやわらいでいた。
クロードさんが憧れていた仕事を、長年してきたのはリュシアンさんだ。
自然と、その背中を思い浮かべる。クロードさんは、最後の留め具を締めながら、少しだけ言いよどんだ。
「それに……祠に行けば、フォルのことも何かわかるかもしれない」
珍しく、言葉を選ぶ間があった。
フォルは竜だけど、本人も普段はその話を全くしない。瞳の色が急に変わる以外は、側から見たら普通の幼児に見える。
「俺は、あの祠にいると言われる聖竜が、フォルと関係していると思っている」
クロードさんはわずかに目を細めた。
「祠で眠っている聖竜が、フォルの親かもしれないってことですか?」
「そこまではわからないが、聖竜に会えば、フォルの出生や力のことも少しは分かるかもしれない」
「他にも竜の仲間が見つかったら、きっとフォルも喜びますね」
眠っているフォルがいる寝室に、私たちは視線を向ける。クロードさんの視線もやわらかい。
もうすぐ出発の時間だ。
私は少し迷ってから、用意していた小さな包みを手に取った。
「これ……よかったら、持っていってください」
差し出したのは、平たい焼き菓子を何枚か重ねて包んだものだった。
「保存がきくように、穀物と豆をすり潰して、蜂蜜と木の実を混ぜて焼いたものです。甘さは控えめですけど、腹持ちがいいので」
昨夜のうちに焼いておいたものだ。
水分を飛ばして固めに仕上げてあるから、持ち歩きにも向いている。
「忙しいときでも、これなら片手で食べられますし」
役に立つかどうか分からないけれど、何も持たせないよりはいいと思った。
前に私の作った食事が、クロードさんの傷を癒したと聞いた。それが本当なのか私自身にもよくわからないけれど、もしそんな力があるなら、ぜひ発揮して欲しい。
「……ありがとう。恩に着る」
クロードさんは少し驚いたように目を瞬かせ、それから受け取った。
包みを大切そうに荷袋へしまう。
「必ず帰ってくる」
真っ直ぐそう言われて、私はうなずいた。
「はい、いってらっしゃい。気をつけてください」
外は、空の端がうっすら明るくなり始めている。
夜明け前の冷たい空気が、今日が特別な日だと知らせているみたいだった。
「んん〜ユーナ、ごはん〜〜〜〜」
クロードさんを見送ったあと、私は家のキッチンで食事の準備をしていた。
とてとてと小さな足音が聞こえ、フォルが眠そうに目をこすりながら現れる。
変な方向に寝癖がついた髪に、まだ半分寝ているかのように半開きの目。それでもお腹の音がぐうぐうと聞こえてくる。
「ふふ。ちょっと待っててね」
私はくすっと笑ってうなずき、焼きたてのパンの上に、フォルの大好きなベリーのジャムをたっぷりと載せたのだった。




