閑話 王都の元騎士②
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謁見の間に通されるなり、玉座の上から張りのある声が飛んできた。
「よお、リュシアン! 久しいな!」
重々しい場に似つかわしくないほど、からりとした声だった。
国王は玉座に腰掛けたまま、懐かしむように片手を上げる。
「はっ。ご無沙汰しております、陛下」
「そんな堅い挨拶はよせ。もう現役でもあるまい」
そう言って、国王は口の端を上げた。
かつて聖騎士だった頃、幾度となく剣を交えた相手だ。当時王子だった国王の鍛錬のためという名目ではあったが。
「いやあ、悪いな。さっさとミレスタへ帰してやりたいところなんだが――」
ちらりと視線を横に流す。
重臣たちの並ぶ列の中に、ぴりりとした空気が走った。
「うるさい奴らが多くてな。どうにもこうにも、お前を帰せんのだよ」
愚痴めいた口調だが、軽くはない。
リュシアンは一歩前に進み、背筋を伸ばした。
「承知しております。ですので、本日はご報告に参りました」
「急ぎだと聞いている。なんだろうな」
国王は即座に話を切り替え、肘掛けに頬杖をついた。
その態度は一見すると気さくで、大雑把ですらある。だが、実際には隙がない。
リュシアンを王城に留め置きながらも、外部との連絡を断ってはいない。
孫であるクロードをミレスタへ派遣することも、手紙のやり取りも、あえて制限されていなかった。
それは単なる温情ではない。
疑念を向ける貴族たちに対し「リュシアンは監視下にある」と示しつつ、同時に辺境の状況を正確に把握するための“目”と“手”を残す――そのための措置だ。
もし本当に不正や隠匿があるなら、動きは必ず表に出る。
逆に、何もなければ、過剰に締め付ける必要はない。
(昔から読めない御方だった)
王子時代、ただの若造と裏で言ってこの人を侮った貴族たちが痛い目に遭うのをリュシアンはよく見ていた。
この人は溌剌と笑い、豪胆に振る舞う一方で、盤面全体を見渡す冷静さを失わない男なのだ。あえて縛らず、あえて泳がせる。その判断の裏に、明確な意図があることを、リュシアンは理解していた。
静かに息を整え、言葉を選ぶ。
「霊峰の魔力の流れに、明らかな乱れが生じているようです。結界自体は維持されていますが、周辺の魔獣の動きが以前とは異なると、ミレスタの町長から」
「ふむ」
「雷嘴鳥や二角獣など、高位魔獣の出現が相次ぎました。討伐は成功しておりますが、この頻度は看過できません」
国王の表情から、軽さが消えた。
「……そうか」
低く呟き、しばし黙考する。
国王は玉座の肘掛けから身体を起こし、背を預けるようにして天井を仰いだ。
「霊峰か……」
その一言に、この国が長く抱えてきた歴史の重みが滲む。
霊峰は、フィルデンリア王国の西端にそびえる山だ。
そこには、かつて国を救った聖竜の眠りし地があり、その加護が地脈を通じて王国全土を巡っていると伝えられてきた。
聖竜は、王国の魔力循環そのものを支える存在。
魔獣の暴走を抑え、精霊の流れを整え、人の営みが成り立つための“土台”だ。
そして――その聖竜と対になる存在が、聖女だった。
遠い世界から稀に現れる落ち人の中でも、特別な資質を持つ者。
癒しと浄化、結界を司り、聖竜と共に国難を退ける役目を担う存在。
二百年前、王国全土を襲った魔獣災害の折にも、ひとりの落ち人の少女が聖女となり、成竜した聖竜と共に災厄を鎮めたと記録されている。
だがその後、聖女は寿命を迎え、聖竜もまた長い眠りの果てに命を終えた。
以来、霊峰にはその痕跡だけが残り、加護は結界として辛うじて維持されてきた。
それを見守る役目を負っているのが、リュシアンだった。つい先日までは、問題はないように思えたが……。
「加護が薄れ始めている兆しは、以前からあった。だが……高位魔獣が動き出すほどとなると、話は別だな」
国王は視線を戻し、リュシアンを見る。
「はい。結界そのものは維持されています。しかし、内部で均衡が崩れ始めているように見えます」
リュシアンは深く頷いた。
聖竜はすでにこの国になく、そして新たな聖女も現れていない。
本来ならどちらかが補うはずの力が空白のままなら、いずれ大きな歪みが表に出る。
ミレスタ周辺で高位魔獣が相次いでいるのも、その前触れと考えて不自然ではなかった。
国王は短く息を吐く。
「お前が面倒を見ている落ち人は、聖女の力はないんだったな?」
その問いには、探る色が混じっている。
リュシアンは即座に首を横に振った。
「はい。教会の正式な検査を受け、魔力量も加護反応も確認されておりません。聖女としての資質はない。それが教会の結論です。そうでしたな、エッカルト卿」
名を向けられた男は、わずかに顎を引いて頷いた。
「ええまあ、記録の通りではそうございますなあ。特別な力のない娘だったかと」
その言い回しに、リュシアンの胸の奥で、何かが軋んだ。
教会と懇意にしているこのエッカルトが今回の留置に関わっているのだろうと容易に想像がつく。特別ではないというその言葉に、どれほど多くの落ち人が切り捨てられてきたかを、リュシアンは知っている。
癒しも、浄化も、結界も使えない。聖女ではないと判じられた瞬間、保護の名目は消え、あとは管理外だ。その先に待つのは、行き場のない放逐か、裏で手を伸ばす人身売買屋か、あるいは誰にも記録されない悲惨な最期。
それを方針として示したのは、ほかでもない中央だ。
歴史書には語られない、落ち人たち。先の聖女の時代にも他にも落ち人はいたが、皆そのまま行方知れずになっているとレーヴェ家の書庫にある書物にひっそりと記されていた。
謁見の間に、わずかな沈黙が落ちた。
玉座の上で、国王はゆっくりと背を預け直す。その視線は軽くも重くもなく、だが確実に場の全員を見渡していた。
「……落ち人というのは、後から力を発現することは本当にないのか?」
何気ない問いのようでいて、核心を突く一言だった。
重臣たちの間に、かすかなざわめきが走る。その中で、エッカルト卿が一歩前に出た。
「そのような例は、聞いたことがございません」
断定的な口調だった。
「聖なる力は神より授けられるもの。聖女の資質がある者であれば、最初の検査で必ず兆候が現れます。後天的に発現するなどあり得ないでしょう」
「ふむ」
国王は短く相槌を打ち、肘掛けに指をかけた。
「では、その娘にもし仮に何らかの力があったとすれば――」
視線が、ゆっくりとエッカルトに向く。
「教会の検査が誤っていた、ということになるな?」
一瞬、空気が凍りついた。
「け、結果を不正に報告するなどがあるやもしれません」
エッカルトがもごもごと言葉に詰まる。
「だが、お前の理屈ではそうなる」
国王は淡々と言った。
「聖女の力は後から発現することはなく、最初からあるものだとすれば。そのとき見抜けなかった教会に落ち度がある。違うか?」
「そ、それは……」
反論は、すぐには出なかった。
リュシアンはかつての教え子を見つめる。どうやら国王がこうして謁見の場に彼らを並ばせたのは、この話をするためだったらしい。
どう考えても矛盾している理論を、あえて発言させるために。
重臣たちの間に、重たい沈黙が落ちた。
誰もが言葉を探し、同時に口を噤んでいる。ここで不用意に声を上げれば、自分が矛盾の矢面に立つことになると理解しているのだ。
国王はその空気を一瞥し、ふっと鼻で笑った。
「よろしい。ならばこの件は、国として動く」
声は明朗だが、そこに迷いはない。
「第二王子をミレスタへ派遣する。正規軍も同行させろ。霊峰周辺の魔獣討伐と地脈の調査――名目はそれで十分だ」
ざわ、と小さなどよめきが広がった。
辺境への王族派遣は軽い決定ではない。それだけ事態を重く見ているという宣言に等しかった。
「国の根幹に関わる兆しを、見過ごさぬためだ。では、以上!」
それ以上の議論は許さないと告げるように、玉座の肘掛けを軽く叩く。
謁見の終わりを察し、重臣たちは次々と頭を下げ、退室していった。
やがて、広い謁見の間に残ったのは、国王とリュシアンだけになる。
扉が閉まり、足音が遠ざかると、国王は大きく息を吐いた。
「……やれやれ」
肩の力を抜き、先ほどまでの張りつめた空気を脱ぎ捨てるように笑う。
「相変わらず面倒な連中だ。お前を城に縛りつけておけば安心だと思っている」
玉座から降り、ゆっくりと近づきながら、ふと国王はリュシアンの足元に視線を落とした。
「ところで」
何気ない口調で、しかし目は鋭い。
「お前の足だ。昔の傷……まだ痛むか?」
リュシアンは一瞬、答えに詰まった。
左足の脹脛に受けた傷。引退することを決めたのもこの傷が原因だった。
寒い日には疼いて仕方なく、マティルダに痛み止めを煎じてもらうのが常で……そこまで考えて、リュシアンはふと足に視線を落とした。
「ふむ」
国王は頷いたまま、ふっと笑って言った。
「今日のお前は、当時と比べてずいぶん歩き方が軽い。引きずり癖も出ておらん」
その言葉に、リュシアンははっとする。
(……そういえば)
ここ最近、あの鈍い痛みを思い出していない。
寒い朝も、長く立ち続けた今も――。
国王はリュシアンの沈黙を見逃さなかった。
「はは!」
腹の底から楽しそうに笑う。その笑い声は、静まり返った謁見の間に軽やかに響いた。
「落ち人に、聖女に、聖竜……この国は、ずいぶんと都合よく線を引いてきたものだ。そろそろ、考え直さねばならん時期だな」
国王は、にやりと口角を上げる。その言葉を受けて、リュシアンは深々と頭を下げた。
「太陽の御心のままに従いましょう」
「いいさいいさ。どうせ動くのは若い連中だ。この先の采配は息子に任せておけばよい」
国王は手をひらひらと振る。
そして、いたずらを思いついた少年のような顔で続けた。
「お前はしばらく、前侯爵夫人と共にここにいなさい。余の話し相手だ」
「……は」
一瞬だけ間の抜けた声が出そうになり、慌てて口を閉じる。
「はは、嫌そうな顔をするな。城に閉じ込めておく理由にもなるし、一石二鳥だ」
「承知いたしました」
苦笑を飲み込み、リュシアンは頷いた。
「ああ、それと。マティルダ夫人に伝えてほしいんだが」
思い出したように国王が言う。そうして、わずかに顔をしかめた。
「健康のためと言われても、あのジュースはもういらん」
「……かしこまりました」
思わず視線を逸らす。
あの独特な薬草の苦味を思い出し、内心で同情する。
いつのまにか、豪胆な妻は国王にもあのジュースを飲ませていたらしい。
「はは! さて、どうなることやら」
からからと響く笑い声が、高い天井へと抜けていく。
重苦しかった空気が、ようやく少しだけ緩んだ気がした。




