21 春の収穫祭
数日後、ミレスタの町は春祭りの季節を迎えていた。
通りには色とりどりの布飾りが張られ、風が吹くたびに旗がぱたぱたと軽い音を立てる。露店の湯気は空へ細く伸びて、焼き串の香ばしさと甘い香りが混じり合い、歩くだけでお腹が空いてしまいそうだった。
一時は暗かった町の雰囲気も、また前のように賑わいを取り戻している。
「ねえユーナ、あれなあに?」
フォルが指さしたのは、丸い木箱の中で小さな飴細工が光っている店だった。透けるような赤や青の飴が、日差しを受けて宝石みたいに見える。
「飴だよ。食べる?」
「たべたい!」
間髪入れずに返事が返ってきて、私は小さく噴き出した。フォルは昨日からずっと楽しげにしていて、なかなか寝付かなかったんだよね。
「フォル、はぐれないように」
「はーい」
クロードさんが言い、フォルも大きな声でお返事をする。
フォルは最初に会った日から、竜の姿に戻ることはなかった。町の人たちも、フォルが竜だと知ったら驚いてしまうだろう。
火魔法だけは使わないようにと念を押して、フォルは口を尖らせながらも頷いていた。
飴をフォルに渡すと、彼は嬉しそうに頬張った。バリバリとすでに破壊音が聞こえてきている。
「フォル、飴は噛まないで舐めるんだよ」
「そうなの? 甘くておいしいねえ!」
口の端をべたべたにしながら歩き出す。
広場へ近づくほど、音楽が大きくなる。
人がたくさん集まったそこでは、木笛の軽い音と太鼓のリズムに合わせて笑い声が跳ねていた。
通りを見上げると、家々の軒先や露店の柱に、きらきらした羽飾りがいくつも結ばれている。風を受けて揺れるたび、薄い金属みたいな光沢がちらりと走り、祭りの布飾りとは違う静かな輝きが目を引いた。
「綺麗……」
漏れた私の声に、隣を歩くクロードさんが視線を上げる。
「あれは雷嘴鳥の羽だ」
「えっ、そうなんですね!」
驚いてもう一度見上げると、羽はただの飾りじゃないことが分かってくる。形は細く長く、先端が少し鋭い。青白い光の筋が入り、角度によって色が変わる。
「雷嘴鳥の羽は魔獣避けになると言われている。滅多に手に入らない素材だが、この前持ち込んだことで数年ぶりに新調できたそうだ」
私が首をかしげると、クロードさんはそう説明してくれた。
笑い声と音楽に混じって、確かにこの町の人たちは楽しそうにしている。でもその一方で、こうして見えないところで、きちんと守りの準備がされている。
祭りのための飾りというより、町全体で魔獣を遠ざけるための目印みたいに見えて、私は背筋が少しだけ冷えるのを感じた。
「この町って、もしかしてちょっと特別なんですか……?」
私はこの世界ではこの町のことしか知らなくて、それに馴染むようにと必死になって過ごしてきたのだけれど、王都で暮らしていたというクロードさんの語る町の姿に違和感を覚えていた。
町の人みんなが強くて、大型の魔獣を狩っている状況はもしかしたらこのミレスタだけなのかもしれない。
うっすらと気づいていたその疑念をクロードさんに投げかけると、彼は前を見たまま頷いた。
「霊峰が近いからな。楽しいだけでは済まない」
その短い言葉が、やけに現実的で、でも嫌な感じはしなかった。
むしろ、そういう現実をちゃんと見て、その上で祭りを楽しもうとしているミレスタの人たちが、頼もしく見える。
私はまた羽飾りを見上げる。
きらきらと揺れるその光は、ただ綺麗なだけじゃなくて、この町が今日を無事に過ごすための小さな祈りにも見えた。
露店にはミレスタベリーで作った赤い酒が瓶のまま並び、木桶の縁には泡がきらきらと浮かんでいる。
焼き串は紅猪や蒼角牛のお肉だけじゃなく、きのこや月蕪を挟んだものまであって、どれも焦げ目が香ばしく、通りすがるだけで手が伸びそうになった。
「ねえ、あれはなあに?」
フォルの指さす方を見ると、中央の広場には人だかりができていた。
男性が子どもを背負って走り、折り返しの旗を回って戻ってくるだけの、単純で分かりやすい競技だ。だけど見ているだけで、転びそうになったり、勢い余って曲がりきれなかったり、あちこちで笑い声が弾んでいて、広場の空気がぐっと明るくなる。
「ボクも、あれやりたい!」
フォルが目をきらきらさせて、私の袖を引っ張る。
「そっか。じゃあ……」
ふと見ると、看板には『家族競技』と書かれていた。私は笑いながら頷きかけて、そのまま言葉を飲み込んだ。おんぶをするのは父兄となっている。
私たちは、どんな関係なんだろう。みんなで一緒に暮らしてはいるけど、そこに血のつながりはない。
「どうしたの? ユーナ。ボクもできる?」
「えっと……家族だったらいいみたい」
迷っている間に、背後から豪快な声が飛んできた。
「おう、フォル坊にクロードじゃねえか!」
振り返ると、そこにいたのはバルガスさんだった。
祭りの人混みの中でも目立つ大きな体に、いつもの豪放な笑い方。ギルド長としての顔とは別に、こういう場では完全に町の男の顔になっている。
どうやら、このイベントの仕切りはギルドがやっているらしい。
「ユーナちゃん、どうする? フォル坊、出るなら今だぞ!」
バルガスさんが競技の受付に向かって大きく手を振ると、太鼓の音にまぎれてもはっきり届く声が広場に響き、その勢いに背中を押されたみたいにフォルがぴょんと跳ねた。
「でる! ええっと、カゾクならいいの?」
「ああ、そうだぞ。子どもを背負って走る競技だからな」
「じゃあ、クロードとでる! ユーナはみてて」
「お、いいじゃねえか!」
迷いのない宣言に、バルガスさんは満足そうに頷いたけれど、私の隣にいたクロードさんはほんの一瞬だけ戸惑ったように目を瞬かせた。
それでもフォルが期待に満ちた顔で見上げているのを見て、息を整えるみたいに顎を引いた。
「……分かった。出よう、フォル」
「やったあ!」
フォルは嬉しさを隠しきれない様子で、すぐにでも走り出しそうに足をばたつかせる。
そんな様子を見てバルガスさんが笑い、景品の説明までついでみたいに口にした。
「優勝したら、超高級な魚、『銀鱗川魚のうますぎセット』がもらえるぞ!」
「おさかな!」
フォルの瞳がいっそうきらきらと光り、クロードさんの横顔まで戦場前みたいに引き締まったのが可笑しくて、私は小さく笑ってしまった。
賞品のネーミングにもちょっと癖がある。きっとバルガスさんが考えたんだろうな。
受付を済ませて列に並ぶふたりを見送り、私は観客の間に立った。旗が揺れるたび、羽飾りがきらきらと光る。焼き串の香ばしい匂いが広場に満ちている。こんなに賑やかな場所にいるのに、心だけが落ち着かないのが不思議だった。
順番が近づくと、フォルはクロードさんの背中にしがみつく準備をして、短い腕をぱっと伸ばし、まるで誇らしげに胸を張った。
「クロード、はやくね!」
「しっかり掴まるんだぞ。落ちたら危ない」
「おちないの〜!」
合図の布が上がり、太鼓が一段強く鳴った瞬間、クロードさんは迷いなく地面を蹴って走り出した。
速い、と思ったのは一歩目で、二歩目にはもう風みたいに人の間を抜けていって、背中に乗ったフォルが跳ねても足運びがぶれないどころか、むしろその勢いをそのまま前へ押し出すみたいに加速していく。
「ふふふ、あははは! ユーナ〜みてみて〜〜!」
フォルの楽しそうな笑い声が空高く響き、観客の笑い声と拍手が重なって、ミレスタの空気そのものが明るく跳ねる。
私も堪えきれずに両手を口元に添え、胸いっぱいに息を吸ってから声を出した。
「クロードさん、フォル! がんばって!」
折り返し地点で一度だけ大きく向きを変えたふたりは、そのまま勢いを落とさずに戻ってきて、最後の直線でさらに速度を上げたように見えた。
ゴールの縄を切るみたいに駆け抜けた瞬間、広場に拍手が弾けて、歓声が波みたいに押し寄せ、フォルは背中の上で勝ち誇ったように腕を振り回している。
その光景があまりにも眩しくて、私は気づかないうちに目を瞬いていた。
去年の私は、こんなふうに誰かを応援して笑う余裕もなくて、祭りの音も人の声もただ遠いものだった。
なのに、今はここで手に汗を握りながら、ちゃんと目の前のふたりを追っている。
まるで、本当の家族みたい。
胸がいっぱいになった私は小さく息を吐く。
「ユーナ、いちばんだったの!」
「おかえりなさい。ふたりともすごかったですね!」
熱くなった目頭をごまかすように、私はゴールから戻ってきた二人に笑いかけた。




