閑話 討伐依頼①
*クロード視点
店先に吹く風が、昼の残り香を運んでくる。遠くで子どもの笑い声がして、町はまだ明るい。
「高位魔獣ですか」
俺が聞き返すと、バルガスさんは顎を撫で、苦々しそうに頷いた。
「ああ。最近だと二角獣の目撃が続いてる。普段なら縄張りの外に出てこねぇ連中までな。数もおかしいし、まるで、何かから追い立てられたようなんだよなあ」
短い説明のはずなのに、その一言一言が重い。
霊峰は、この町のすぐ背後にある。危険な魔獣が増えるということは、この町での安全な暮らしが揺らぐということだ。
「ギルドとしても、放っておけねぇ。早急に対処が必要だ」
「……なるほど。俺もその討伐に参加するという事ですね」
俺が理解を示すと、バルガスさんは真正面から頭を下げた。
「頼む。手を貸してくれ」
その言葉は、さっきの謝罪よりもずっと静かだった。
だからこそ、逃げ道がない。
俺は、答えをすぐに出せなかった。
霊峰の異変や町の安全も問題だ。だが、目の前にはユーナがいて、フォルがいて、この店がある。
突如として現れた雷嘴鳥のことが脳裏をよぎる。実際に、この町から目と鼻の先にあるあのベリー畑の付近にまで出現している。いずれこの町自体に近づいてくると容易に考えられた。
フォルが……竜がここにいることと何か関係があるのか?
そう思って銀髪の幼児を見ると、フォルはこてりと首を傾げた。
「なーに、クロード」
フォルが持つものが、思っている以上に大きい可能性がある。
そしてそれは、間違いなく厄介ごとを呼ぶ。
「だいじょうぶだよ。ボクが、ユーナをまもる!」
フォルは小さな体で、当たり前のことを言うみたいに胸を張る。
そうだ。この子は竜だ。
幼い見た目をしていても、人間とは違う時間を生きている。
なぜか落ち人であるユーナに懐き、危険が迫れば迷いなく牙を剥く。
前回の狼藉者のときも、雷嘴鳥のときも。
フォルはユーナに危険が及ぶことを許さないだろう。
俺は膝をつき、フォルと視線を揃えた。
子ども扱いはしない。騎士として、対等に。
「頼めるか。フォル」
「うん! まかせて!」
フォルは力強く頷いた。
そのやりとりを、バルガスさんが目を丸くして見ていた。きっと、幼児に任せる俺が不思議なのだろう。それでもバルガスさんほどの人物であれば、フォルが只者でないことを察しているのかすぐに口元を引き締める。
「討伐に同行します」
俺がそう言うと、バルガスさんはようやく息を吐いた。
「恩に着る、クロード。ユーナちゃんの家と食堂には、ギルドのほうで人を割く。今夜からだ。見張りも付ける」
「はい。確実にこの町とユーナを守ってください」
視界の端に見えたユーナが、ほんの少しだけ目を見開いた。
心配を隠そうとしているのが分かる。
ユーナは両手を胸元で握り、それからふっと笑った。
「では、お弁当を作って待っていますね」
明るい声だったが、その笑顔はどこか儚げに見えた。
***
霊峰の麓は、ひんやりとした空気が流れていた。
吐く息が白く薄まり、草の匂いに混じって岩肌の湿り気が鼻を刺す。
「まずは目撃情報のあったこの付近を探していくぞ!」
先頭を歩くバルガスさんの背中は大きく、足取りが迷わない。
討伐隊は谷沿いの獣道を踏み、二角獣の目撃地点へ向かった。周囲の冒険者も口数が少なく、木々の間に潜む気配を拾うことに集中している。
通常の狩猟目的とは違う。この辺りの魔獣はただでさえ中央よりも強く大きいのに、さらに希少種まで目撃されている。たとえミレスタが屈強な戦士を多く抱えているとはいえ、日常生活への支障は大きなものになるだろう。
――霊峰で何が起きている?
バルガスさんの後ろに続きながら、俺は山を見上げた。雲をまとい、黙って空を支えている。
霊峰は、ミレスタの人々にとって……いや、王国にとって信仰の対象で、守護の象徴であり、そして――触れてはいけない領域でもある。
霊峰には聖竜が祀られているという伝承がある。聖なる竜はこの国の守護を司り、災厄を退け、土地の魔力を整える――そう語られてきた。
そのため、騎士の中でも特に優れた者にだけ「聖騎士」の称号が与えられ、竜の紋様が刻まれた鎧を身に纏うのだ。
王都の人間は儀礼の一つとしてそれを語るが、ミレスタに来ると、伝承がもっと生々しい形で息をしているのが分かる。
霊峰には、強い魔獣が棲む。
この辺りの魔獣が中央より巨大で凶暴なのも、霊峰の影響だと言われていた。
だが祖父は、こうも言っていた。
『霊峰の魔獣は外へは出ることはできない』
まるで山そのものに結界が張られているように、自分たちから境界を越えることはない、と。
近年はその縛りが弱まってきたのか、時折大型の魔獣が現れることもある。だからこそ祖父たちが見回りを続けていた。
それでも、こうして高位の魔獣が続けて目撃されるのは異例だ。
ただの偶然では片付けられない。
「……確かに、以前と雰囲気が変わってやがる」
霊峰の均衡が崩れたような感覚があるのか、バルガスさんの背中は、言葉以上に緊張をまとっていた。
予感が杞憂であればいい。
「痕跡は……こっちですね」
俺は右前方を見て状況を把握した。
草が乱れている。土が抉れ、岩に擦れた跡が残っていた。確かに角の跡にも見えるが、どこか違う。地面に残った爪痕が深すぎる。二角獣のものにしては、間隔も広い。
バルガスさんが片膝をつき、指先で土を撫でる。
「こりゃ、二角獣じゃねぇな」
声がわずかに硬くなり、空気が一段と張りつめる。
そのときだった。
草むらが揺れ、重い足音がふたつ、みっつ、連なって迫ってくる。
「来るぞ!」
影が踊り出る。
飛び出してきたのは二角獣ではなかった。森に生息する狼の魔獣――森狼。
だが、知っているものとサイズが違う。肩までの高さが人間の腰を越え、牙が短剣みたいに伸びている。目が鈍く赤い。霊峰の魔力を浴び続けたために、これもまた強敵だろう。
「森狼か。しかもやっぱりでかいなオイ! こりゃ面倒なことになった」
バルガスさんが吐き捨てるように言い、大剣を抜き放つ。
森狼は本来、縄張り意識が強い魔獣だ。群れで動くなら、その範囲から出ることはなおさら少ない。
それなのに――この足跡は新しい。
霊峰の麓から外へ、森の方向にやってきていることが窺える。二角獣と同様、魔獣を追い立てる存在がいる可能性がある。しかも、霊峰の内側からだ。
「まずはこいつを討伐だ! いいな!」
バルガスさんの声に隊列が散る。
同時に森狼の鋭い爪も大地を蹴り、群れで一斉に襲いかかってくる。
俺は右へ回り込み、剣を抜く。刃が陽を受けて淡く光った。
森狼を片づけた俺たちは、谷筋から少し外れた草地で足を止めた。木々が風を受けて揺れ、ざわざわとした音が頭上を流れていく。霊峰から降りてくる空気は冷たく、汗の引いた肌にじわりと沁みた。
「一旦休むぞ」
バルガスさんの声に、それぞれが荷を下ろす。
俺は剣を鞘に収め、左腕を軽く曲げ伸ばしした。
袖のあたりがわずかに重い。布に染みた血が、乾ききる前の温度で肌に貼りついている。
「クロードさん、さっきはすみませんでした……!」
若い冒険者が頭を下げてくる。
「いや、大丈夫だ。問題ない」
短く返し、布をめくって傷口を確認する。
傷は浅い。深く抉れてはいないし、動かせる。戦線を離れるほどではない。
先ほど、横から飛び込んできた森狼を斬り払うと同時に、背後にいた冒険者を押しやった。その瞬間だけ、爪が掠めたのだろう。あの巨体の爪にしては軽い傷で済んだ。
「本当に、助かりました……!」
その冒険者が、気まずそうに頭を下げる。
「気にするな。隊の乱れには気をつけるといい」
言ってから、自分の口調が硬いと気づく。咎めたいわけではなかったが、今更取り繕うこともできない。
「は、はい。以後気をつけます」
若い冒険者はそそくさといなくなり、俺は息を吐く。




