15 毒性反応
「色々な食材があっておもしろいですよね、この世界って。せっかくなので、もっと美味しくできたらいいんですが」
私はまな板の上の肉を見下ろし、腕を組む。
この肉質と旨みを活かすなら……煮て柔らかくする? それとも、油で揚げるとか。
じっと肉の繊維を見ていると、ふと、以前仕入れた紅猪のすね肉を思い出した。
あれも火を急ぐと硬いけれど、時間をかければ驚くほど柔らかくなるんだよね。
「雷嘴鳥は、コンフィにしようと思います!」
「……コンフィ?」
「油の中でゆっくり火を入れるんです。時間はかかりますけど、硬い肉ほど向いてるので」
口に出すと、もう手が勝手に動き始めた。
肉を大ぶりに切り分けて、塩と香草を擦り込む。ローリエの代わりになる乾いた葉と、少しだけ黒胡椒。
香りは強くしすぎない。素材の癖が少ないぶん、邪魔をしたくない。
鍋を出して、油をとぷとぷ注ぐ。火は弱く、泡が立たない温度で保つのが大切だ。
油の表面が、かすかに揺れる。鍋の縁に耳を寄せても、ぐつぐつという音はしない。ただ、静かな熱だけがじんわりと広がっていく。
私は火加減を確かめ、鍋の蓋を少しずらして置いた。
「これで、あとは待つだけですね」
そう言って息をついたときだった。
玄関の方で、どたどたと慌ただしい足音がした。
次いで、扉を叩く音が早口に重なる。
「すみません! すみません、ユーナさん、いらっしゃいますか!」
聞き覚えのある声に、私は鍋を見守ったまま顔を上げた。
クロードさんも同時に立ち上がり、足早に玄関へ向かう。
扉を開けると、ギルドの職員さんが息を切らして立っていた。その額には汗が滲み、肩で呼吸をしている。
「どうしました……?」
「は、はぁ……よかった、まだご在宅で……!」
職員さんは私とクロードさんを見比べ、そして焦ったように頭を下げた。
「申し訳ありません、雷嘴鳥の肉の件なのですが!」
クロードさんの眉が、わずかに動いた。
「何か問題があったのか?」
「はい……!」
職員さんは言いにくそうに唇を噛み、声を絞り出す。
「本来、雷嘴鳥は処理の段階で、解毒の手順を踏む必要があるようでして……。内臓の近くに毒性が溜まることがあって」
「えっ」
私は声を漏らした。
職員さんはさらに勢いよく頭を下げる。
「すみません! 解体担当が、危険種の扱いに慣れておらず、確認が遅れました!」
「ど、毒って……今からでも大丈夫でしょうか」
私の声が少しだけ上ずる。
鍋の中では、雷嘴鳥の肉が油に沈んでいる。
今さら捨てるのか。フォルがあんなに期待していたのに。
頭の中が忙しくなって、胸がそわそわと落ち着かない。
「あれ? でも私たち、さっき食べましたよね」
「ああ」
そうだった。肉質を確かめるために、私とクロードさんはもう食してしまっている。職員さんは青い顔を一層青くした。
「し、痺れとか……目眩とか……ないですか?」
「ありません。普通です」
「……本当に?」
「俺も体調に問題はない」
クロードさんも、低い声で答える。
職員さんは私たちの返答を聞いても、まだ落ち着かない様子だった。
視線が鍋へ、台へ、包みへと忙しなく動く。
「……す、すみません。ちょっと鑑定のために失礼してもいいでしょうか」
「えっ、あ、はい……!」
職員さんはキッチンへ入り、まず台の上の布包みに駆け寄った。
結び目をほどき、残っていた生肉の塊をひとつだけ取り出す。
深く息を吸い、肉に手をかざした。
「――鑑定!」
白い光が、指先にふわりと灯る。
対象となるお肉の塊も、同様に輝き始めた。
「……やはり」
職員さんの顔が険しくなる。
「無毒化が不十分なところがありますね。全体ではありませんが、部位によって偏りがある」
「そうなんですね……!」
私は鍋を見た。
油の中に沈む肉は、今も静かに熱を受けている。
それから自分のお腹を見下ろす。食べた時に異変は感じなかったし、今も体調には異変はない。
「じゃあ……これも……」
「いえ、待ってください」
職員さんは私の声を遮るように言って、今度は台の上に置いてあった焼き雷嘴鳥の小皿へ視線を移した。
私が味見に使った、塩だけで焼いた肉だ。
「こちらも、見てもいいですか」
「もちろんです」
職員さんは同じように手をかざした。
白い光が揺れて、今度は短く消える。
職員さんが、きょとんとした顔になる。
「毒性反応が……ないですね」
もう一度、確認するみたいに手をかざす。
それでも結果は変わらないらしく、職員さんは眉間に皺を寄せたまま、鍋の方へ向き直った。
「こちらもいいでしょうか?」
「はい、もちろんです」
蓋をずらしてある鍋の上に、職員さんは掌をかざす。
油の表面が、ふるりと震えた。
白い光がほんの少し濃くなって、鍋の縁を淡く照らす。
数秒後。
「ありませんね」
職員さんが、さっきより低い声で呟いた。
「え、えっと……大丈夫ってことですか?」
「はい。こちらも毒性反応がありません」
職員さんは鍋から手を離し、今度は生肉を見た。
そして、焼いた肉と最後にまた鍋を見て、困ったように唇を引き結ぶ。
「……おかしいな。生のままでは反応が出ているのに……」
「火を通したから毒が無くなったんですか?」
私が尋ねると、職員さんは首を横に振った。
「いいえ、雷嘴鳥や魔獣の毒性は火を通した程度では消えません。量にも関係はなく、ひとかけらでも即効性のある毒であるはずなのですが……なぜだろう?」
職員さんは頭を抱えそうな勢いで、深く息を吐いた。
確かに生肉には毒性反応があるのに、すでに食べてしまった私たちもピンピンしているし、調理済みのものは無毒で混乱しているようだ。
「偶然、取り出した部分が無毒だったのか?」
今度はクロードさんが尋ねると、職員さんはやっぱり難しい顔をする。
「血に問題があるので、基本的にはどの部位でも微弱な毒性反応があるはずなのですが……おかしいな……」
「残りの肉について、再度処理をしてもらうことは可能だろうか?」
「はい、それはもちろんです! というか、そうしないといけないので残りの生肉は一度回収します。こちらで正規の処理をし直しますので」
職員さんは改めて私に向き直り、勢いよく頭を下げた。
「ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません……!」
「いえ、大丈夫です。私もクロードさんも平気でしたし。よろしくお願いします」
そう答えながら、私は鍋の中を見つめた。
まだ、油の表面は穏やかに揺れている。
どうして、調理した分だけ無毒になっているのだろう。でも、考えても分かるはずもない。
一旦、素材の件も含めて職員さんと共に生肉を持ってギルドに戻ることになったクロードさんを見送った私は、また鍋の前に立ったのだった。
夕暮れ時になり、煮込んで一度冷ましていたコンフィを、私は熱したフライパンにそっと並べた。
油をまとった肉が、じゅわりと小さく音を立てる。表面が温まりはじめると、香草の匂いがふわっとほどけて、キッチンの空気が一気に食欲の色に変わった。
身が崩れないように、火は強くしない。外側だけ香ばしく焼き直して、中はしっとりと戻していく。
「あとは、付け合わせね」
隣の鍋では、蒸かした星芋を潰す。
星芋はこの辺りでよく採れる芋で、皮は淡い灰色なのに、切ると満月のような鮮やかな黄色に見える。火を通すとほのかに甘くて、ホクホクとした食感になる。
湯気で頬が熱くなるのを感じながら、私は木べらで星芋を丁寧に潰し、塩をひとつまみ落とした。紅斑牛の乳を少しだけ加えて混ぜるたび、鍋の中がつやを増して、滑らかにまとまっていく。
「ユーナっ、おっきいやきとり、できた?」
フォルが椅子に飛びつくみたいに座り、皿が置かれるのを待ちきれない様子で身を乗り出した。
さっき寝室に起こしに行ったとき、眉間に皺を寄せて寝言を言っていたから少し心配していたのに、今はケロッとしている。
「フォル、さっきは何の夢を見てたの?」
そう試しに聞いてみても、本人はきょとんとして首を傾げるだけだ。
「なんだっけ〜、わかんない! でもね、にじいろのすべりだい、すべったよ!」
そう言って、フォルはえへへと笑う。
「そっか。楽しそうな夢だね」
怖い夢ではなかったのかな。そのことに安堵しつつ、私はお皿に焼いた雷嘴鳥を盛り、星芋のマッシュを添えた。
「どうぞ、フォル。おおきいとりのコンフィだよ」
「おおきいとりのこんふ! いっただきまーす!」
フォルが最初に肉へかぶりついた。
「んむ……!」
頬がむぎゅっと持ち上がって、目がきらきら光る。次の瞬間、両手で頬を押さえた。
「ほっぺ……おちる……」
「おいしい?」
「うんっ!」
もぐもぐと咀嚼するたびに、フォルの顔がとろけていく。彼のお皿には二つ載せてみたけれど、それでもすごい勢いでなくなりそうだ。
「いただきます」
手を合わせたあと、私も自分の分を食べる。
表面はかりっと香ばしく、噛むとすぐに繊維がほどけた。重たくないのに旨みが深くて、油に溶けた香草の香りがふわりと後を追ってくる。
焼いただけのときは歯ごたえが強かったのに、今はちゃんと、食べやすくなっている。
星芋のマッシュを合わせると、さらに口の中が落ち着いた。
甘みがほんのりあって、肉の塩気をやさしく受け止めてくれる。
「……これは、旨いな」
クロードさんがぽつりと言った。
驚いた顔をしているように見える。
「よかったです。無事に食べられて」
フォルはもう二つ目に手を伸ばしていて、皿の上が空くスピードが明らかに速い。
今日は色々なことがあった。
怖い鳥が落ちてきて、ギルドの人が飛び込んできて、毒だなんだと心臓が忙しかった。
それでも、こうしてちゃんとおいしいごはんを食べられている。今はそれだけで、少しだけ安心できた。
「おにく、まだある?」
「あるよ。いっぱいある」
「やったぁ! おおきいとりだから、たくさんたべられていいねえ。またみつけたいなぁ」
「ふふ、そうだね」
私は笑って頷き、鍋の中をもう一度確認した。
持ち帰った分だけでも十分多い。全部を家で食べ切るのは難しいから、残りは食堂の冷蔵庫に運んでもらった。
明日は朝から仕込みをして、同じように提供してみよう。
町の人たちがどんな顔をするのか、考えるだけで楽しみになる。
「雷嘴鳥が頻繁に出るのも危険なんだが……」
魔獣の生態に詳しいクロードさんは、難しい顔をしている。それでも気に入ってくれたのか、お肉の進みが早い。
「クロードさん、おかわりどうですか?」
「……………………お願いする」
「おいしいねえ、クロード!」
「ああ。こんなに旨いものは初めて食べた」
「ユーナのごはんは、ずーっといつもおいしいよね」
「ああ」
クロードさんの表情は至って真面目だ。フォルと真剣に話をしている。
「お、おかわり持ってきますね」
私はなんだか気恥ずかしくなってしまって、慌ててキッチンに戻ってフライパンにコンフィを並べた。じゅうじゅうと爆ぜる音を聞くと、心が落ち着いてくる。
「よし。明日もがんばろう」
私は小さく呟いて、フォルとクロードさんのお皿におかわりを盛りつけたのだった。




