(五)家に残った余白
◆ 八 防火扉を閉めた日
防火扉は閉められた。
閉めなければ、もっと多くが死んだ。
閉めたから、助からなかった人がいた。
■■■■■の術式は、被害の拡大を止めた。
怨霊を抑えた。
瓦礫を留めた。
恐怖を引き受けた。
火と煙と霊障の拡散を遅らせた。
多くの人が助かった。
その代わり、■■■■■は消えた。
死んだのではない。
名前も、記録も、誰かの記憶からも抜け落ちていく。
後輩の作戦書には、術式構成だけが残った。
筆跡は本人のものではない。
書類上は、八接続が二つある。
どちらも単体では禁呪に見えない。
だが、そこにいたはずの八重士の名前がない。
周辺の情報から穴埋めすると、そこには間違いなく八重士級の退魔士がいなければならない。
けれど、記録にはいない。
存在しないことになっている。
同僚は、誰かがいたような気がした。
後輩は、先輩と呼んだ相手の顔を思い出せた。
けれど、名前は出てこない。
行政の記録には、術式構成が残った。
だが、実行者欄には空白がある。
現場責任者の覚書には、八重士級の協力あり、とだけある。
誰の協力だったのかは、読めない。
■■■■■は、消されたのではない。
消えていった。
そういう形で、術式は終わった。
◆ 九 家に残った余白
災害のあと、家では少しずつ帳尻が合っていく。
息子が、食卓を見て言った。
「うちって、三人家族だっけ?」
妻は食器を並べながら答える。
「そうね」
けれど、その声は少しだけ揺れた。
「あら、そうだったかしら?」
息子は食器棚を見る。
「食器とかね、必ず一枚余分にあるんだよ」
妻は、余った皿を見る。
白い皿だった。
よく使われている。
縁に小さな欠けがある。
誰かが使っていたような気がする。
けれど、誰が使っていたのかは分からない。
妻は少し考え、それから笑った。
「たぶん……それは、あなたが割っても大丈夫なようによ」
息子は納得した。
「そっか」
妻も納得した。
納得してしまった。
人の記憶も、記録である。
記録から抜けるということは、記憶からも抜けるということだった。
それでも、食器は一枚余っていた。
誰のものだったのかは、もう誰も言えない。
ただ、余っていた。
名前はない。
けれど、余白だけが残った。
第0話 防火扉を閉めた日 了
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