(二)作戦書
◆ 三 決めた時点から始まる
禁呪は、発動した瞬間から記録に干渉するわけではなかった。
決めた時点から、すでに始まっていた。
名前。
署名。
記録。
記憶。
本人確認。
少しずつ、薄くなる。
■■■■■は、それを完全には理解していなかった。
ただ、何かがおかしいことだけは分かっていた。
災害対応の報告は、悪化している。
旧市営地下道の一部で浸水。
停電。
避難誘導の混乱。
火災の兆候。
霊障濃度の上昇。
閉じ込められた人々。
通常の処理では、間に合わない。
八接続で足りないことは、最初から分かっていた。
だから、さらに伸ばす。
折らずに、切らずに、接続を継ぐ。
禁呪になる。
それも分かっていた。
分かっていて、決めた。
この術式は残すことにした。
生きた証を残したいからではない。
英雄として名前を刻みたいわけでもない。
むしろ、名前が残るかどうかさえ、だんだん怪しくなっていた。
それでも、術式構成だけは残さなければならない。
明日の自分の失敗を、誰かに知ってほしいと思った。
明後日より後の誰かの成功に、つながってほしいと思った。
きっと、それだけだった。
きれいな覚悟ではない。
怖かった。
迷いもあった。
それでも、書くことにした。
正しく残るとは思っていない。
都合の悪い記録として消されても、後で誰かが引っかかるだけの違和感を残すために。
◆ 四 作戦書
■■■■■は、作戦書の用紙を広げた。
術式構成。
使用系統。
接続数。
想定処理時間。
現場入りの手順。
避難誘導との接続。
行政側の判断記録。
何百回と書いてきた書式だった。
ペンを持つ。
名前を書く。
一画目で、止まった。
字が、変だった。
自分の字ではないような気がした。
寝不足だとは思った。
災害対応の前に、十分眠れる退魔士などいない。
もう一度書く。
今度は書けた。
読める。
たぶん読める。
だが、自分の名前を書いているという手応えがなかった。
書いているのに、書いたものが自分から離れていく。
■■■■■は、そこで初めて、はっきりと思った。
なぜか消える。
軍部や行政に消される可能性は想定していた。
都合の悪い記録として抹消されることは、あり得ると思っていた。
災害対応の失敗。
防火扉の判断。
退魔士の禁呪使用。
後から誰かが書類を焼くことは、想像できた。
けれど、これは違う。
誰かが消すのではない。
なぜか消える。
その方が、ずっと怖かった。
■■■■■は、隣にいた後輩を呼んだ。
「悪い、これ頼む」
後輩退魔士が顔を上げる。
「作戦書ですか?」
「自分が書くんですか?」
「他人に書かせるのは、あまりお好きではないと思っていましたが……」
■■■■■は、ペンを置いた。
「術式構成のとこだけでいい」
「俺が読み上げる」
「お前が書け」
後輩は不思議そうな顔をした。
だが、先輩に言われれば書く。
それだけのことだった。
■■■■■は術式構成を口頭で伝える。
声は乱れなかった。
接続の順番も、系統の配分も、何も間違えなかった。
一つ目の八接続。
観測。
固定。
同調。
偏向。
凝縮。
希薄。
反発処理。
本固定。
二つ目の八接続。
救助範囲拡張。
瓦礫固定。
煙流路偏向。
恐怖同調。
残滓希薄。
怨霊核凝縮。
境界再固定。
封印座標固定。
正確だった。
ただ、自分の手では書かなかった。
後輩は書きながら、少し眉をひそめる。
「八接続を二つ使うんですね」
「二つ目とか、初めて見る組み合わせです」
そこで、後輩は言葉を探した。
「あー、えーっと……先輩」
その呼びかけは、名前ではなかった。
■■■■■は、気づいた。
気づいたが、指摘しなかった。
書類上は、八接続が二つ。
どちらも単体では、禁呪に見えない。
だが実態は違う。
一つ目の八接続が、終わっていない。
折られていない。
切られていない。
八接続を、折らずに伸ばしている。
十六接続。
禁呪だった。
※第0話「防火扉を閉めた日」は全五回です。
続きます。
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