(四) 出口は対象が決める
◆ 8. 希薄ではなく、凝縮
黒瀬は台車残滓を見た。
「これは薄める対象じゃない」
透が眉を寄せる。
「希薄じゃないんですか」
「違う」
黒瀬は廊下の奥を指す。
「訓練用に封じていた残滓だ」
ぎい。
見えない車輪が床を鳴らす。
「希薄で薄めれば、一見おとなしくなる。だが、廊下に散る」
透は息を止める。
「散る」
「散ったものをあとで拾う方が面倒だ」
美緒が端末に入力しながら言う。
「保管記録も修正が必要になります」
「そこも来るんですね」
「来ます」
篠宮が廊下を見たまま言う。
「では、凝縮して吸い札へ封入」
黒瀬が頷く。
「そうだ」
透は少し不安そうな顔をした。
「凝縮って、濃くするんですよね」
「そうだ」
「危なくないですか」
「危ない」
黒瀬は即答した。
「だから、吸い札に入る分だけ集める」
透は台車の気配を見る。
「全部を濃くするんじゃなくて」
「全部を濃くするな。散らすな。封じられる形にする」
薄める方が安全に見える。
散らせば弱くなるように見える。
でも今回は違う。
薄めたら、広がる。
広がれば、また拾う必要がある。
黒瀬は二人に向き直った。
「入口はどちらもあり得る」
透と篠宮が同時に顔を上げる。
「三枝なら、少し向きをずらして減速してから固定」
透は少しだけ表情を緩める。
「篠宮なら、固定で範囲を取ってから反発を逃がす」
篠宮も、わずかに息を吐いた。
黒瀬は続ける。
「どちらも処理としてはあり得る」
そして、すぐに落とす。
「だが、最後に希薄へ行ったら駄目だ」
二人は黙った。
「入口が正しくても、出口を間違えたら処理は失敗する」
篠宮が低く答える。
「……はい」
透も答える。
「はい」
黒瀬は、車輪音の反復を見ながら言った。
「得意な系統は入口になる。だが、出口にはならん」
透はその言葉を頭の中で繰り返した。
「出口は対象が決める」
それが、この日の訓練で一番強く残った。
◆ 9. 接続は作用を繋ぐこと
透は台車を見ながら言った。
「じゃあ、理想は観測して、偏向か固定で抑えて、凝縮して、吸い札ですか」
黒瀬が頷く。
「そうだ」
篠宮も続ける。
「観測から入れば、核と動作範囲を見誤りにくい」
「四接続を安定して扱えるなら、それが正解だ」
透はすぐに言った。
「なら観測から」
黒瀬が遮る。
「お前は入れるな」
「え」
「今のお前が観測から入ると、見て、曲げて、止めて、集める。四接続だ」
透は黙る。
「できたことがあるのと、次も戻れるのは違う」
黒瀬の言葉は静かだった。
「今のお前には、持たせすぎだ」
「でも、観測しないと」
「見るのは俺が持つ」
黒瀬は廊下を見据えた。
「お前は処置だけに絞れ」
篠宮が確認するように言う。
「工程を分ける、ということですね」
「そうだ」
黒瀬は頷く。
「ただし、同じ術式に割り込むんじゃない。三枝が処置する。処置が終わったあとで、俺が確認する」
透は思い出す。
二〇三号室で、自分が崩れた時、黒瀬は途中から横取りしなかった。
まず透に引けと言った。
接続を切らせた。
そのあとで、黒瀬が処理した。
「同じ対象に二人でかけるのは駄目なんですよね」
「基本的にはな」
黒瀬は少し言葉を選んだ。
「接続ってのは、術を同時に出すことじゃない」
透は黒瀬を見る。
「作用を繋ぐことだ」
「作用を繋ぐ」
「見る。聞く。止める。曲げる。散らす。集める」
黒瀬は指を折りながら言う。
「それぞれの作用を、順番に繋ぐ」
透は、頭の中でその順番をなぞった。
「見た結果を、次の作用へ渡す。止めた状態を、次の作用へ渡す。曲げた流れを、次の作用へ渡す。それが接続だ」
篠宮が呟く。
「前作用の保持と、次作用への受け渡し」
黒瀬は少し嫌そうな顔をする。
「そう言うと面倒だが、そういうことだ」
透は指を動かした。
「順番があるなら、完全に同時ってわけじゃないんですね」
「そうだ」
黒瀬は透の手元を見た。
「だが、前の作用を手放したら次に繋がらない」
透は自分の手を見る。
「だから手足なんだ」
「一回見て忘れたら、観測は接続してない」
黒瀬は廊下を指す。
「止めたものを見失ったら、固定は次に渡せてない。集めたものを散らしたら、凝縮は封入につながってない」
一本ずつ出しているようで、前の手を完全に離してはいけない。
だから増えるほど難しい。
「他人の作用は、自分の手足じゃない」
黒瀬は透と篠宮を交互に見た。
「篠宮が止めたものを、お前がそのまま自分の偏向へ繋げることはできない。受け取るには、受け取れる形で渡してもらう必要がある」
「途中で横から掴むと」
「邪魔になる」
篠宮が言う。
「だから、二〇三号室案件でも黒瀬さんは三枝さんを止めてから介入した」
「そうだ」
黒瀬は短く答えた。
「走ってる術式に横から手を突っ込むな」
透は少し考えてから言う。
「パスを受けてからシュートはできるけど、他人の足を途中から操作できない、みたいな」
黒瀬は少し黙り、それから言った。
「まあ、そんなところだ」
篠宮が小さく頷く。
「雑ですが、分かりやすいです」
透は篠宮を見る。
「雑って言う必要あります?」
「ありました」
「ないですよ」
黒瀬が二人を止める。
「続きは処理後にしろ」
廊下では、まだ台車が律儀に往復していた。
※第2話「初歩は門、基礎は道」は全六回です。
続きます。
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