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八重結び  作者: KEI
第2話 初歩は門、基礎は道

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(三) 一拍置け

◆ 6. 一拍


透は固定課題を再度行った。


揺れる糸。

細い鈴。

空調で生まれる、かすかな動き。


止める。


強すぎる。

糸が一瞬固まり、次に跳ねる。


その瞬間、透の意識は偏向へ逃げそうになった。


横へ流せば楽になる。

反発を逃がせば、固定の弱さを誤魔化せる。


篠宮が言う。


「今、逃げましたね」


「逃げてないです」


「偏向へ行こうとしました」


「……ちょっとだけです」


「その“ちょっと”が現場で事故になります」


透は糸を睨む。


「また報告書の話ですか」


「現場の話です」


透は黙った。


篠宮は少し言い方を変える。


「固定に入る前に、一拍置いてください」


「一拍?」


「偏向したくなったら、すぐ術式へ逃げない」


篠宮は糸を見る。


「今、自分は流したいのか。本当に流していいのか。留める対象は何か。次へ渡す形は何か」


透はその言葉を追う。


「それを確認する一拍です」


「待つんですか」


「待つというより、確認です」


黒瀬が頷いた。


「いい助言だ」


透は黒瀬を見る。


「黒瀬さんまで篠宮さん側ですか」


「今回はな」


「今回は」


黒瀬は透の手元を見た。


「お前は速い」


「速いですか」


「速い。速いが、速いまま間違える」


黒瀬の声は低い。


「一拍置け」


透は糸を見る。


揺れている。

止めたい。

流したい。


その間に、一拍。


今、自分は流したいのか。

本当に流していいのか。

留める対象は何か。

次へ渡す形は何か。


透はもう一度、固定を入れた。


完璧ではない。

だが、さっきより跳ね返りが小さい。

鈴の音も、短かった。


篠宮が言う。


「今の方がましです」


「まし」


「はい」


「褒め方の練習してきてください」


「必要ですか」


「必要です」


美緒が横から言う。


「比較的必要です」


透は美緒を見る。


「美緒さんの比較的もだいぶ問題ありますよ」


黒瀬がそこで釘を刺した。


「勘違いするなよ」


透は姿勢を正す。


「何をですか」


「対立系統を小さく噛ませて安定させるやつはいる」


「対立系統」


「固定に偏向を噛ませる。偏向に固定を噛ませる。そういうのは、できれば強い」


透は少し前のめりになる。


「じゃあ、それを」


「今のお前が狙ってやるな」


「駄目なんですか」


「地味な名人芸だ」


黒瀬は言い切る。


「超人芸じゃない。だが、若手が真似すると、だいたい接続を一つ増やしただけになる」


透は黙る。


「今のお前がやると、固定が落ちて偏向に逃げる」


篠宮が口を開いた。


「私の場合は?」


黒瀬は篠宮を見る。


「固定で抱え込んで、偏向が遅れる」


篠宮は目を伏せる。


「……はい」


「まずは、固定なら固定として出せ。偏向なら偏向として出せ」


黒瀬は二人を見た。


「小さく噛ませるのは、それが崩れずできるようになってからだ」


透は自分の手を見た。


速いこと。

得意なこと。

反応できること。


それらは全部、武器だった。

同時に、逃げ道でもあった。


◆ 7. 保管室の台車残滓


その時だった。


訓練棟の廊下の奥から、ぎい、と金属音がした。


誰もいないはずの保管室側から、車輪が軋む音。


ぎい。


ぎい。


ぎい。


美緒が端末を見る。


「保管室の管理札に反応」


篠宮がすぐに向き直る。


「訓練用残滓の漏出です」


黒瀬が問う。


「危険度は」


「低。ですが、訓練中の若手が近くにいます」


廊下の奥で、見えない台車が往復していた。


台車そのものは薄い。

形はあるようでない。

ただ、床の上を車輪が通る気配だけが残っている。


何かを運ぶ。

戻る。

また運ぶ。

戻る。


反復動作型の残滓。


透が一歩出る。


「偏向で向きをずらします」


篠宮が即座に言った。


「先に固定です」


透は振り向く。


「動いてるものを正面から止めたら跳ねます」


「向きをずらしてから固定すると、対象範囲が変わります」


「少しだけです」


「その“少し”が一番信用できません」


透は眉を上げる。


「俺のこと言ってます?」


「はい」


「言い切った」


「前回報告書に根拠があります」


「報告書を武器にするのやめません?」


篠宮は廊下を見る。


「対象が台車本体なのか、車輪音なのか、動線なのかも確定していません」


「それは」


「先に固定で範囲を取るべきです」


透は言い返す。


「範囲を取る前に反発が来たら?」


「仮固定です」


「仮固定で捕まえきれなかったら?」


「偏向で逃がすより追えます」


「固定系の“追える”って、だいたい力技じゃないですか」


篠宮は少しだけ目を細める。


「偏向系の“少しだけ”よりは信用できます」


「めちゃくちゃ偏見入ってますよね」


「お互い様です」


美緒が、廊下の台車音を聞きながら言った。


「今、処置中ですよね」


透は姿勢を正す。


「処置方針の確認です」


篠宮も同じように言う。


「必要な討議です」


美緒は端末に目を落とす。


「討議の間に台車が四往復しています」


透と篠宮は同時に廊下を見た。


台車は律儀に、ぎい、ぎい、と往復している。


透が言う。


「……急ぎましょう」


篠宮も頷く。


「そうですね」


少し間があった。


透が言う。


「だから偏向で」


篠宮が言う。


「だから固定で」


美緒が呟いた。


「戻りましたね」


黒瀬は、腕を組んだまま黙っていた。


二人は真剣だ。

真剣なのは分かる。


だが、議論している場所が少しずれている。


黒瀬がようやく口を開いた。


「分かった」


透と篠宮が振り返る。


「じゃあ、それぞれ最後まで言え」


透は廊下を見ながら言う。


「偏向で向きを少しずらして、速度を落とします。そのあと固定で仮留め。最後に希薄で薄める」


篠宮はすぐに続ける。


「固定で対象範囲を確定します。反発が出る場合は偏向で逃がす。その後、希薄で残滓密度を下げます」


透が少し得意げに篠宮を見る。


「最後は同じじゃないですか」


篠宮は譲らない。


「入口の安全性が違います」


「いや、出口が同じなら」


黒瀬が言った。


「二人とも外れ」


沈黙が落ちた。


透が先に声を出す。


「え」


篠宮も、少しだけ表情を硬くした。


「……外れ?」


「外れだ」


黒瀬は廊下を見たまま言う。


「入口で揉めて、出口で同じ間違いをしてる」


透は篠宮を見る。


「じゃあ俺たち、何で揉めてたんですか」


「入口だ」


美緒が小さく補足する。


「出口が違うそうです」


篠宮はすぐに頭を下げた。


「処理方針の上位判断が抜けていました」


透は目を見開く。


「篠宮さん、ずるい」


「何がですか」


「今の言い方だと、ちゃんと反省してる人みたいに聞こえる」


「実際に反省しています」


「俺も同じところ間違えたのに、俺だけ怒られた感じがする」


黒瀬が言う。


「両方怒ってる」


透は少しだけ安心した顔をする。


「よかった」


篠宮が即座に言う。


「よくはありません」


※第2話「初歩は門、基礎は道」は全六回です。

続きます。


作者個人サイトでは、人物相関図・各話アイキャッチ・用語メモなどの補足資料を公開しています。

※ネタバレ範囲にご注意ください。


https://www.simulationroom999.com/blog/yaemusubi_top/

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