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八重結び  作者: KEI
第8話 八重結び

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(五)第三段階:声

◆ 六 第三段階:声


声が来た。


助けて。

助ける。

あきらめるな。

閉めろ。

閉めるな。

開けろ。

開けるな。

火が来る。

煙が来る。

戻れ。

戻るな。

俺は残る。

俺は帰る。

見えない。

見たくない。


声は入ってくる。


意味を知ってはいけない。

声として聞いてはいけない。


観測して、現象として切り分けるしかない。


白鳥が読み上げる。


「音声反応、意味化傾向」


篠宮が外側から警告する。


「意味として拾うと危険です」


土御門が続ける。


「言葉にするな」


「声のまま切れ」


観測担当が、声を現象として切り分ける。

同調担当が、深く入りすぎないよう浅く合わせる。

希薄担当が、声の濃度を薄める。


だが、声は人間の中に入りやすい。


誰の声か分からない。

誰に向けた声か分からない。


だが、意味だけは分かりそうになる。


透の耳にも入った。


「……」


白鳥が即座に反応する。


「三枝さん、反応が遅れています」


美緒が呼ぶ。


「透くん」


透は一拍遅れて振り向いた。


「はい」


美緒は続ける。


「名前」


透は息を吸う。


「三枝透」


美緒は記録を見る。


「返答確認。遅延あり」


白鳥が判断を出す。


「遅延一拍。停止条件には未達」


「ただし、継続監視」


透は言う。


「すみません」


美緒はすぐに返した。


「謝らなくていいです。戻ってきてください」


その言葉で、透の足元が少し戻る。


白鳥が式守へ入力する。


「名痩せ兆候候補。継続監視」


黒瀬が聞く。


「続けられるか」


透は頷く。


「続けます」


白鳥が顔を上げる。


「いけるかどうかではありません」


透は一瞬、白鳥を見る。


白鳥は言った。


「帰れるかどうかです」


透は、もう一度自分の名前を内側で確認する。


「帰れます」


「今の範囲なら、約束できます」


黒瀬は短く言う。


「ならやれ」


透はうなずく。


声は、意味になる前に切り分けられていく。


その時、固定の柱がわずかに強張った。


固定が強くなる。


留めるためではない。

迷ったまま、閉じようとする固定だった。


白鳥が言う。


「境界固定、圧上昇」


「固定柱、反応遅延」


篠宮がすぐに読む。


「声を拾っています」


黒瀬が聞く。


「戻せるか」


白鳥は画面を見る。


「柱へ直接干渉すると、循環全体に影響します」


「外縁観測からの補正も、今は遅い」


透は、自分の担当する隙間を見る。


固定の柱が、声に引っかかっている。


閉めろ。

閉めるな。


その二つが、固定の中で絡まっていた。


どうする。


透は、偏向を細くする。


流すためではない。

逃がすためでもない。


ただ、詰まらせないために。


細く。

もっと細く。


ほとんど消えるところまで、偏向の隙間を絞る。


そのままでは詰まる。


だから、一瞬だけ。


ほんの少しだけ、揺らす。


透自身にも、それが何だったのかは分からなかった。


偏向を強めたわけではない。

別の系統を入れたわけでもない。

何か新しい接続を組んだつもりもない。


ただ、細くした偏向の中に、一瞬だけ小さな拍が生まれた。


それは循環全体には届かない。

届かせるほど強くない。


けれど、固定の柱には届いた。


固定柱の圧が、わずかに戻る。


閉めるのではない。

留める。


声を意味として聞くのではなく、現象として切り分ける。


固定が、元の座標へ戻った。


白鳥が読み上げる。


「境界固定、安定」


「固定柱、復帰」


「循環全体への影響、低位」


透は、息を吐いた。


自分が何をしたのか、まだ分かっていない。


ただ、枝を太くしなかった。

それだけは分かった。


黒瀬は、固定柱の復帰ログを見ていた。


普段、表情を崩さない男が、わずかに目を細める。


「……今のは何だ」


篠宮がログを拡大する。


「端的に言うと、脈動です」


「脈動?」


「はい」


篠宮は、波形を指で示した。


「三枝さんは、固定柱へ直接干渉していません」


「固定も入れていません」


「同調も、観測も、凝縮もありません」


「使用しているのは偏向のみです」


黒瀬は透を見る。


「あいつは確かに速い」


「だが、そこまでの速さはないはずだ」


「そもそも、人間の感覚では作れない」


篠宮は低く繰り返す。


「人間の感覚……」


「本人も、周りも、やったかどうか分からない何か」


黒瀬は一拍置いて、低く言う。


「枝か」


篠宮は頷く。


「おそらく」


「ただし、固定枝に類する揺らぎではありません」


「使用しているのは偏向のみです」


黒瀬が言う。


「偏向枝か」


「はい」


黒瀬は、式守ログの細い波形を見る。


「接続一と二に、通常出力の偏向」


「その間に、極小出力の偏向枝」


「偏向、偏向枝、偏向」


「そういうことか」


篠宮は、少しだけ声を抑えた。


「白鳥さんの言っていた、解析できていない同系統枝です」


黒瀬は、しばらく黙った。


「そうか……」


「出力を上げる、安定させる、そういう分かりやすい効能ではない」


「揺らぎ」


「脈動」


「本人にしか分からないような、微細な振動操作」


黒瀬は、まだ透を見る。


透は、自分の担当枝を元の細さへ戻すことに集中している。


黒瀬が言う。


「本人は分かってないな」


篠宮は答える。


「分かっていないと思います」


「なら、なおさら厄介だ」


少し間が空いた。


黒瀬は、ログを見る。


「だが、今のは効いた」


「はい」


篠宮は静かに言う。


「柱にならずに、柱を戻しました」


黒瀬の口元が、ごくわずかに緩む。


「……あいつらしいな」


風祭が、少しだけ口元を緩めた。


「偏向系は、ああいう時に流しすぎる」


「流せるからな」


「でも、あいつは流さなかった」


「そこは褒めていい」


黒瀬が言う。


「本人にはあとで言え」


風祭は笑う。


「今言うと調子に乗るか」


篠宮が即座に言う。


「作戦中です」


「それもそうだ」



※第8話「八重結び」は全十二回です。

続きます。

作者個人サイトでは、人物相関図・各話アイキャッチ・用語メモなどの補足資料を公開しています。

※ネタバレ範囲にご注意ください。


https://www.simulationroom999.com/blog/yaemusubi_top/

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