(五)第三段階:声
◆ 六 第三段階:声
声が来た。
助けて。
助ける。
あきらめるな。
閉めろ。
閉めるな。
開けろ。
開けるな。
火が来る。
煙が来る。
戻れ。
戻るな。
俺は残る。
俺は帰る。
見えない。
見たくない。
声は入ってくる。
意味を知ってはいけない。
声として聞いてはいけない。
観測して、現象として切り分けるしかない。
白鳥が読み上げる。
「音声反応、意味化傾向」
篠宮が外側から警告する。
「意味として拾うと危険です」
土御門が続ける。
「言葉にするな」
「声のまま切れ」
観測担当が、声を現象として切り分ける。
同調担当が、深く入りすぎないよう浅く合わせる。
希薄担当が、声の濃度を薄める。
だが、声は人間の中に入りやすい。
誰の声か分からない。
誰に向けた声か分からない。
だが、意味だけは分かりそうになる。
透の耳にも入った。
「……」
白鳥が即座に反応する。
「三枝さん、反応が遅れています」
美緒が呼ぶ。
「透くん」
透は一拍遅れて振り向いた。
「はい」
美緒は続ける。
「名前」
透は息を吸う。
「三枝透」
美緒は記録を見る。
「返答確認。遅延あり」
白鳥が判断を出す。
「遅延一拍。停止条件には未達」
「ただし、継続監視」
透は言う。
「すみません」
美緒はすぐに返した。
「謝らなくていいです。戻ってきてください」
その言葉で、透の足元が少し戻る。
白鳥が式守へ入力する。
「名痩せ兆候候補。継続監視」
黒瀬が聞く。
「続けられるか」
透は頷く。
「続けます」
白鳥が顔を上げる。
「いけるかどうかではありません」
透は一瞬、白鳥を見る。
白鳥は言った。
「帰れるかどうかです」
透は、もう一度自分の名前を内側で確認する。
「帰れます」
「今の範囲なら、約束できます」
黒瀬は短く言う。
「ならやれ」
透はうなずく。
声は、意味になる前に切り分けられていく。
その時、固定の柱がわずかに強張った。
固定が強くなる。
留めるためではない。
迷ったまま、閉じようとする固定だった。
白鳥が言う。
「境界固定、圧上昇」
「固定柱、反応遅延」
篠宮がすぐに読む。
「声を拾っています」
黒瀬が聞く。
「戻せるか」
白鳥は画面を見る。
「柱へ直接干渉すると、循環全体に影響します」
「外縁観測からの補正も、今は遅い」
透は、自分の担当する隙間を見る。
固定の柱が、声に引っかかっている。
閉めろ。
閉めるな。
その二つが、固定の中で絡まっていた。
どうする。
透は、偏向を細くする。
流すためではない。
逃がすためでもない。
ただ、詰まらせないために。
細く。
もっと細く。
ほとんど消えるところまで、偏向の隙間を絞る。
そのままでは詰まる。
だから、一瞬だけ。
ほんの少しだけ、揺らす。
透自身にも、それが何だったのかは分からなかった。
偏向を強めたわけではない。
別の系統を入れたわけでもない。
何か新しい接続を組んだつもりもない。
ただ、細くした偏向の中に、一瞬だけ小さな拍が生まれた。
それは循環全体には届かない。
届かせるほど強くない。
けれど、固定の柱には届いた。
固定柱の圧が、わずかに戻る。
閉めるのではない。
留める。
声を意味として聞くのではなく、現象として切り分ける。
固定が、元の座標へ戻った。
白鳥が読み上げる。
「境界固定、安定」
「固定柱、復帰」
「循環全体への影響、低位」
透は、息を吐いた。
自分が何をしたのか、まだ分かっていない。
ただ、枝を太くしなかった。
それだけは分かった。
黒瀬は、固定柱の復帰ログを見ていた。
普段、表情を崩さない男が、わずかに目を細める。
「……今のは何だ」
篠宮がログを拡大する。
「端的に言うと、脈動です」
「脈動?」
「はい」
篠宮は、波形を指で示した。
「三枝さんは、固定柱へ直接干渉していません」
「固定も入れていません」
「同調も、観測も、凝縮もありません」
「使用しているのは偏向のみです」
黒瀬は透を見る。
「あいつは確かに速い」
「だが、そこまでの速さはないはずだ」
「そもそも、人間の感覚では作れない」
篠宮は低く繰り返す。
「人間の感覚……」
「本人も、周りも、やったかどうか分からない何か」
黒瀬は一拍置いて、低く言う。
「枝か」
篠宮は頷く。
「おそらく」
「ただし、固定枝に類する揺らぎではありません」
「使用しているのは偏向のみです」
黒瀬が言う。
「偏向枝か」
「はい」
黒瀬は、式守ログの細い波形を見る。
「接続一と二に、通常出力の偏向」
「その間に、極小出力の偏向枝」
「偏向、偏向枝、偏向」
「そういうことか」
篠宮は、少しだけ声を抑えた。
「白鳥さんの言っていた、解析できていない同系統枝です」
黒瀬は、しばらく黙った。
「そうか……」
「出力を上げる、安定させる、そういう分かりやすい効能ではない」
「揺らぎ」
「脈動」
「本人にしか分からないような、微細な振動操作」
黒瀬は、まだ透を見る。
透は、自分の担当枝を元の細さへ戻すことに集中している。
黒瀬が言う。
「本人は分かってないな」
篠宮は答える。
「分かっていないと思います」
「なら、なおさら厄介だ」
少し間が空いた。
黒瀬は、ログを見る。
「だが、今のは効いた」
「はい」
篠宮は静かに言う。
「柱にならずに、柱を戻しました」
黒瀬の口元が、ごくわずかに緩む。
「……あいつらしいな」
風祭が、少しだけ口元を緩めた。
「偏向系は、ああいう時に流しすぎる」
「流せるからな」
「でも、あいつは流さなかった」
「そこは褒めていい」
黒瀬が言う。
「本人にはあとで言え」
風祭は笑う。
「今言うと調子に乗るか」
篠宮が即座に言う。
「作戦中です」
「それもそうだ」
※第8話「八重結び」は全十二回です。
続きます。
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