(一)作戦開始は、署名から
◆ 一 作戦開始は、署名から
旧市営地下道で、八重結び作戦が始まる。
作戦開始の合図は、祝詞でも号令でもなかった。
署名だった。
片桐美緒は、作戦参加者の前に確認用紙を並べた。
事前署名。
入構時署名。
本人確認欄。
術後確認欄。
名前がかすれた者。
画数が崩れた者。
呼びかけに対する返答が遅れた者。
そういう者は、作戦から外す。
これは、ただの契約書類ではない。
生存確認だった。
美緒は最初の名前を呼ぶ。
「次。北辰院玲司さん」
第一柱、北辰院玲司が前へ出る。
北海道の確定拠点を任される八重士。
広大な土地を監視する、観測系の術士だった。
北辰院は、迷いなく自分の名を書く。
美緒は、入構前名簿、事前署名、本人確認欄を照合した。
「読めます。崩れなし」
北辰院は少しだけ口元を動かした。
「厳しいな」
「今回は厳しくします」
「いや、助かる」
透は、少し驚いた。
八重士が、事務担当に礼を言った。
北辰院は署名用紙から顔を上げる。
「名前を見てくれる人間がいるなら、こちらは深く入れる」
「現場では、それが一番ありがたい」
美緒は淡々と返す。
「帰還確認までが作業です」
「承知した」
次に、第四柱、雪代透子。
北陸の海沿いと雪湿りの残滓処理を担う、希薄系の八重士だった。
雪代は静かに署名し、美緒の確認を待つ。
「読めます。崩れなし」
雪代は丁寧に頭を下げた。
「よろしくお願いします。片桐さん」
「こちらこそ。帰還確認までお願いします」
「はい」
次に、第五柱、風祭令。
中部の山岳、河川、交通導線を担当する、偏向系の八重士だった。
軽さはある。
だが、目は真面目だった。
風祭は署名を終えると、美緒に軽く頭を下げる。
「片桐さん。例の地域間交流の件も、作戦後によろしくお願いします」
美緒の手が、一瞬だけ止まる。
「作戦後に処理します」
透が反応した。
「地域間交流?」
美緒は透を見ない。
「今は作戦前です」
風祭は真面目な顔で続けた。
「若手から、合コンという形式が良いと聞きまして」
空気が少し止まる。
美緒は、風祭をまっすぐ見た。
「その言葉は、作戦現場では使わないでください」
「不適切でしたか」
「不正確です」
白鳥が端末から顔を上げる。
「合コンとは、地域間交流会の一形式ですか」
美緒は即座に言った。
「今は分類しないでください」
風祭は少しだけ申し訳なさそうにする。
「すみません。私も詳しくはありません」
「若手が、その言い方なら人が来ると言っていたので」
透は小さく言った。
「真面目に言ってたんですね……」
風祭は真顔で頷く。
「もちろんです」
美緒は確認欄に印を入れた。
「作戦後に、地域間交流会として扱います」
「助かります」
全員の署名確認が続く。
八人の八重士。
隙間担当。
外縁観測担当。
術具安定班。
元請け側の現場責任者。
下請け側の現場責任者。
式守運用担当。
記録担当。
停止判断担当。
全員が名前を書けている。
最後に、透も署名する。
美緒が呼ぶ。
「三枝透」
「はい」
透は、自分の名前を書く。
三枝透。
美緒は、署名を確認した。
「読めます」
透は少しだけ息を吐く。
「よかった」
「まだです」
「え」
美緒は署名用紙を控えに移した。
「帰ってきたあとに、もう一度確認します」
透は、少しだけ喉を鳴らした。
「はい」
全員が署名できた瞬間、ようやく作戦は始まる。
一人でも欠けたら、八重結びは成立しない。
その場合は、封鎖維持と住民避難に切り替える。
だから署名確認は、形式ではなかった。
作戦の第一段階だった。
※第8話「八重結び」は全十二回です。
続きます。
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