表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
八重結び  作者: KEI
第2話 初歩は門、基礎は道

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/86

(一) 初歩は門

◆ 1. 報告書のあと


黒瀬退魔処理の事務所は、朝から静かだった。


古い複合機が一度だけ唸り、紙を吐き出す。

その横で、片桐美緒が端末に確認印を入れていた。


第1話――二〇三号室、夜間圧迫感および首部発赤の調査。

その報告書は、元請けへ送信済みになっている。


三枝透は、自分の控えをもう一度読み返していた。


> 対象は悪意を持つものではなく、生活動作の反復残滓と推定。

> ただし人体への干渉は明確であり、継続観測が必要。

> 固定不十分の状態で偏向へ差し替えた場合、残滓拡散の危険あり。

> 接続数過多に注意。


読めば読むほど、喉の奥が少し苦くなる。


透は紙を持ったまま、椅子に沈んだ。


「自分で書くと刺さりますね、これ」


美緒は画面から目を離さずに答える。


「刺さるように書いてください」


「刺さりすぎると次の現場に響くんですけど」


「響かない反省は、だいたい次に同じことをします」


黒瀬玄一が、棚から札束の在庫を取り出しながら頷いた。


「美緒の言う通りだ」


「黒瀬さんまで」


黒瀬は透の前に来ると、報告書の該当行を指で叩いた。


「固定不十分の状態で偏向へ差し替えた場合、残滓拡散の危険あり」


「……はい」


「自分で書いたな」


「書きました」


「なら、しばらく基礎だ」


透は顔を上げる。


「え」


美緒が予定表を回転させ、透の方へ見せた。


「今週の現場同行は減らします」


「俺、干されてます?」


「違う」


黒瀬が短く言う。


「戻してる」


「戻す?」


「初歩と基礎にだ」


透は予定表と黒瀬の顔を交互に見る。

どちらを見ても、冗談を言っている気配はない。


「初歩って、見習いがやるやつですよね」


「そうだ」


「俺、もう現場出てますけど」


「だからやる」


美緒が淡々と補足する。


「現場に出たあとで初歩へ戻る人は、珍しくありません」


「慰めですか」


「事実です」


慰めよりも刺さる言葉だった。


黒瀬は報告書を机に置いた。


「お前は三接続ができないわけじゃない」


透は黙る。


「三接続の途中で、四つ目を足したくなる」


言い返せなかった。


二〇三号室で、透は固定が甘いと分かった瞬間、偏向へ逃げようとした。

首元へ行く圧を横へ流せばいい。

固定しきれなくても、当たらなければいい。

そう考えた。


その結果、留めていた範囲がにじみ、残滓は部屋へ広がりかけた。


黒瀬は続ける。


「固定が甘い。だから偏向で逃げたくなる」


「……はい」


「偏向が悪いんじゃない。固定の代わりにするのが悪い」


透は、あの部屋の布団を思い出した。


人を傷つけるつもりなどなかった手。

誰かが寒くないように、布団をかけ直していた動作。

それを見て、かわいそうだと思った。


思ったこと自体が悪かったわけではない。

だが、その同情を処理の根拠にした瞬間、手順は崩れた。


黒瀬は、透の反応を待たずに言った。


「八重士を目指すなら、まず三接続で戻ってこい」


「八接続じゃなくて?」


「三つを雑に繋ぐやつに、八つは持てん」


美緒が予定表に新しい項目を入れる。


「ということで、今日から初歩です」


「本当に初歩からなんですね」


「本当に初歩からです」


透は椅子の背に頭を預けた。


「退魔士って、もっとこう、強い術を覚えていくものかと思ってました」


黒瀬は札束を棚に戻しながら言う。


「強い術を覚えたやつから事故ることもある」


「夢がない」


「夢で現場に入るな」


美緒が頷く。


「匿名化された事故記録上も、夢で現場に入った人はだいたい問題を起こします」


「その記録、見たくないです」


「原票は見せません。個人情報なので」


「匿名版も見たくないです」


「では、載らないようにしてください」


「そういうところだけ現実的ですね」


黒瀬は、少しだけ口元を動かした。


「現実的じゃない退魔士は、長く残らん」


それが冗談でないことを、透はもう知っている。


◆ 2. 初歩は門


黒瀬退魔処理の裏手には、小さな訓練場がある。


訓練場と呼ぶには少し狭い。

古い倉庫を改装しただけの空間で、床には結界縄を張るための印が打たれている。

壁際には塩、札、筆、墨、数珠、鈴、古い巻尺、訓練用の吸い札が並んでいた。


透の前に置かれたのは、その中でも特に地味な一式だった。


札。

筆。

墨。

結界縄。

塩。

数珠。

訓練用の鈴。


透は並べられた道具を見下ろす。


「思ってたより、かなり地味ですね」


「初歩だからな」


黒瀬は当然のように答える。


「地味すぎません?」


「派手な初歩は、だいたい初歩じゃない」


透は納得しきれないまま、札写しを始めた。


線をまっすぐ引く。

同じ字を、同じ大きさで書く。

墨の濃さを揃える。

札の端を汚さない。


最初の数枚は真面目にやった。

十枚を越えると、手首が少し飽きてきた。


「これ、術式出力に関係あります?」


「直接は少ない」


「じゃあ」


「ただし、現場には関係ある」


黒瀬は、透の書いた札を一枚持ち上げた。


「字が雑なやつは、確認も雑になる」


「そこまで見ます?」


「見る」


黒瀬は札の線を指で追う。


「線を最後まで引かないやつは、結界縄も最後で緩む」


次に、少しだけ墨が濃くなった札を持ち上げる。


「同じ手順を繰り返せないやつは、疲れた現場で手順を飛ばす」


透は言葉に詰まった。


前回、自分は手順を飛ばしたわけではない。

ただ、差し替えようとした。

固定が甘いなら、偏向で補えばいい。

そう思った。


だが、結果としては手順を崩した。


美緒が横から書類を一枚差し出す。


「ついでに、現場入り確認票の署名も書いてください」


「訓練で署名?」


「訓練だから書きます」


「それも初歩ですか」


「書類上は確認作業です」


黒瀬が言う。


「現場上は初歩だ」


透は筆を置き、確認票に署名した。


三枝透。


美緒がその文字を見て、短く言う。


「読めます」


「当たり前では」


「当たり前を当たり前に残すのが確認です」


「なんか怖い言い方ですね」


「怖がってください」


この時点では、署名確認に特別な意味はない。


字を安定して書く。

本人が本人の名前を書ける。

第三者が読める。


それだけの、事務的で地味な確認に見える。


黒瀬は訓練場の印を見ながら、ゆっくり言った。


「初歩は、強くなる道じゃない」


透は顔を上げる。


「違うんですか」


「現場に入れていいかを見る門だ」


「門」


「ああ」


黒瀬は指を折る。


「挨拶ができるか」


「そこから?」


「そこからだ」


次の指を折る。


「手順を飛ばさないか」


さらに次。


「言われた場所に塩を撒けるか。決まった幅で縄を張れるか。署名が読めるか。疲れても確認を省かないか」


最後に、黒瀬は透を見る。


「勝手に一つ足さないか」


透は目を逸らした。


「最後の、俺宛てですよね」


「そうだ」


美緒が端末を操作しながら言う。


「完全に透くん宛てです」


「味方がいない」


黒瀬は首を振った。


「いるから初歩に戻してる」


その言い方は、思ったより重かった。


透は筆を持ち直した。

もう一枚、札を写す。


線を最後まで引く。

墨の濃さを揃える。

札の端を汚さない。


退屈だった。

退屈だったが、退屈なものほど、現場では崩れやすいのだと少し分かってしまった。



※第2話「初歩は門、基礎は道」は全六回です。

続きます。

作者個人サイトでは、人物相関図・各話アイキャッチ・用語メモなどの補足資料を公開しています。

※ネタバレ範囲にご注意ください。


https://www.simulationroom999.com/blog/yaemusubi_top/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ