(九)帰れるかどうか
◆ 十 帰れるかどうか
土御門が、静かに白鳥を見る。
静かだった。
だが、明らかに怒っていた。
「なぜ希薄で止めた」
白鳥は端末を見たまま答える。
「対象反応は基準値以下でした。物理破損もなく、主要術具反応も基準内です。三接続化により、術者負荷も低下しています」
「全部、筋は通っとる」
白鳥は顔を上げる。
「では」
土御門は言う。
「場が軽くなっとらん」
白鳥の返答は変わらない。
「場の空気は定量化されていません」
「だから怖いんじゃ」
「定量化されていないものを、判断基準にはできません」
土御門は頷く。
「できん」
そして、続けた。
「じゃが、捨てるな」
白鳥は黙る。
「どう扱えばいいのですか」
「知らん」
土御門は即答した。
「知らんから、昔の術式は待つ。札を置く。鈴を鳴らす。余計に見る。最後に何かを噛ませる」
白鳥は聞く。
「理由は」
「分からん」
土御門は、透の方をちらりと見る。
「じゃが、軽くなるまで帰らん」
白鳥はその言葉を繰り返した。
「軽くなるまで、帰らない」
土御門は頷く。
「お前さんの式守は、怨霊がいないことを見た。壊れていないことを見た。数値が下がったことを見た」
そして、静かに言う。
「だが、帰れるかどうかを見とらん」
白鳥の目がわずかに動く。
「……帰れるかどうか」
「そうじゃ」
土御門は廊下を見た。
「現場は、終わったかどうかだけでは足りん。帰れるかどうかを見る」
篠宮は唇を結ぶ。
その判断に、自分も同意した。
土御門が呼ぶ。
「篠宮」
「……はい」
「お前さんも、そう思ったか」
篠宮は逃げなかった。
「思いました」
「接続数を減らす方が、三枝さんには安定すると判断しました」
土御門は頷く。
「そうじゃろうな」
篠宮が顔を上げる。
「そう見える」
土御門は言った。
「だから怖い」
白鳥が聞く。
「では、何が誤りだったのですか」
「知らん」
「知らない?」
「知らん」
土御門の声は揺れない。
「四つなら防げた、とも言えん。凝縮を入れたせいで別の事故が起きたかもしれん」
それから、白鳥を見た。
「じゃが、希薄で止めるのは怖い」
白鳥は問う。
「根拠は」
「経験じゃ」
「式守には入力できません」
「今はな」
黒瀬が低く言う。
「俺も、四つなら防げたとは言わん」
白鳥は黒瀬を見る。
黒瀬は、まだ重い廊下を見ていた。
「だが、希薄で止めるのは嫌だった」
「嫌、ですか」
「そうだ」
黒瀬は言う。
「終わったように見える。でも、終わった感じがしない。そういう時がある」
白鳥は端末に視線を落とす。
「主観的です」
「主観だな」
土御門が言う。
「主観で拾ったものを、全部捨てた結果が今じゃ」
白鳥は黙る。
土御門は続けた。
「なぜ札を削った。なぜ観測をそこで止めた。なぜ希薄で止めた」
一つずつ、言葉を置く。
「全部、同じ話じゃ」
効いた証拠がない。
見えた異常がない。
接続数が少ない方が安定する。
どれも筋は通っている。
「筋が通っとるから、人が薄くなる」
その言葉に、白鳥の指が止まった。
「……評価項目が不足しています」
土御門は頷く。
「そうじゃ」
「ただし、項目名はわしにも分からん」
「分からんものを、分からんまま捨てるな」
篠宮は、静かに拳を握った。
「……報告します」
白鳥が聞く。
「何をですか」
「三接続化の判断に、私も同意したことを」
篠宮は、はっきりと言った。
「その結果、三枝さんに本人確認遅延が発生したことを」
白鳥は頷く。
「必要です」
「分かっています」
必要だが、書きたくない。
商業施設案件の「原因不明」に続き、篠宮にとって嫌な報告になる。
それでも、書くしかなかった。
書かない安全は、次に引き継げない。
そこだけは、白鳥の言う通りだった。
◆ 十一 署名の一画
事故後、美緒は書類を確認した。
透が自分の名前に反応しなかったことが、頭から離れない。
美緒は、今回の現場入り前に書かれた入構確認票を取り出す。
そこには、透の署名がある。
> 三枝 透
読める。
だが、「透」の一画が足りない。
美緒は息を止めた。
これは、事故後の署名ではない。
現場に入る前の署名だ。
手早く書けば、省略はあり得る。
現場入り前で慌ただしかったなら、説明はつく。
でも、美緒は透の字を見慣れている。
美緒は、商業施設案件で書かれた報告書を取り出す。
透が異様に安定した固定を出した、あの現場の署名。
そちらの「透」は、普通だった。
美緒は二つの署名を並べる。
前回は、普通。
今回は、一画足りない。
だが、今回の署名は暴発前に書かれている。
順番が合わない。
暴発したから署名がおかしくなったのではない。
署名がおかしい状態で、透は現場に入った。
そして、暴発した。
美緒は小さく呟く。
「……でも、透くんは」
こんな省略の仕方はしない。
そう言いかけて、言葉を飲み込む。
美緒はまだ、それに名前をつけられない。
ただ、事務ミスとして流す気にはなれない。
美緒は署名の比較を白鳥に見せた。
白鳥は、二つの署名を確認する。
「前回現場の署名は正常」
次に、今回の入構確認票を見る。
「今回現場入り前の署名は、一画欠損」
さらに、事故ログを確認する。
「その後、三枝さんは術式暴発時に名前認識の遅延を起こした」
美緒は静かに言う。
「関係あると思います」
白鳥はすぐには否定しなかった。
「可能性はあります」
美緒は少し眉を寄せる。
「可能性?」
「現時点では、それ以上にはできません」
美緒は少しむっとする。
白鳥は続けた。
「ですが、無視もしません」
白鳥は式守に向き直る。
「式守。評価項目を追加」
画面が切り替わる。
「署名不備」
白鳥は入力する。
「分類。本人確認項目、および術式事故関連候補」
一拍置いて、数値を入れる。
「初期重み、0.01」
美緒が即座に言う。
「低くないですか」
「高くする根拠がありません」
「でも、入れるんですね」
白鳥は美緒を見る。
「無視する根拠もありません」
土御門が少し笑う。
「ずいぶん軽いな」
白鳥は真面目に答えた。
「根拠が薄いためです」
「じゃが、ゼロではない」
「はい」
白鳥は頷く。
「ゼロではありません」
土御門は満足そうに言った。
「なら十分じゃ」
「十分ではありません」
白鳥はすぐに訂正する。
「暫定です」
土御門は笑う。
「お前さん、ほんに嫌な女じゃな」
白鳥は少しだけ考える。
「褒め言葉として処理します」
つづりが横から言う。
「今のはたぶん褒めてる」
白鳥はつづりを見る。
「褒め言葉として処理済みです」
「処理済みって言い方が嫌」
続いて、白鳥はもう一つ項目を追加した。
「式守。評価項目候補を追加」
画面に、新しい項目が表示される。
「現場違和感」
白鳥は、黒瀬、土御門、篠宮、つづりの申告を紐づける。
「複数術者申告。客観指標、未特定。反応値、物理破損、術具反応との相関不明」
そして、入力する。
「初期重み、0.01」
つづりが言う。
「また低い」
「高くする根拠がありません」
土御門が言う。
「じゃが、ゼロではない」
白鳥は頷く。
「はい。ゼロではありません」
黒瀬が低く言う。
「ゼロじゃないものが増えてきたな」
白鳥は画面を見る。
「はい」
少しだけ、声が重くなる。
「増えています」
※第5話「式守は禁忌を知らない」は全十回です。
続きます。
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