(二)低密度の人影
◆ 二 低密度の人影
今回の試験運用対象は、元請け管轄内の古い集合住宅だった。
夜間だけ、共用廊下の突き当たりに人影が見える。
住民被害はまだない。
ただし、複数人が「何かいる」と訴えている。
反応は低い。
範囲も狭い。
契約上は、軽微対応可能な案件だった。
白鳥は現地図面を開く。
「式守の試験運用には適しています」
透は廊下の突き当たりを見る。
古い集合住宅特有の、乾いたコンクリートの匂いがする。
夜間作業のため、住民には事前説明が入っているが、完全に人の気配が消えるわけではない。
室内のテレビの音。
どこかの部屋の水音。
遠くで閉まるドア。
人が暮らしている場所だった。
白鳥は条件を読み上げる。
「反応は低位。対象範囲は限定的。人的被害は未発生。術具使用量の削減効果も検証できます」
つづりが即座に言う。
「最後の一文が嫌」
美緒は端末から顔を上げない。
「嫌ですが、元請けが聞きたがる文です」
透は小さく言う。
「現実的」
篠宮は白鳥を見る。
「試験運用だからこそ、安全側に倒すべきでは?」
「安全側に倒します」
白鳥の答えは早い。
篠宮は言葉を重ねる。
「術具を削るのに?」
「不要と判断された術具を削ることは、安全性を下げる行為とは限りません」
つづりが小さく笑う。
「ほら出た」
「何がですか」
「削る人の言い方」
白鳥は表情を変えない。
「削減ではなく、最適化です」
「もっと嫌な言い方になった」
黒瀬は黙って廊下を見ていた。
共用廊下の突き当たり。
非常灯の下。
人影のようなものが、いるともいないとも言えない濃さで立っている。
怨霊というには薄い。
残滓というには、こちらを見ているような気配がある。
透が観測に入る。
「薄いです」
黒瀬が聞く。
「自律性は」
「弱いです。視線反応はあります。でも、動いてくる感じはない」
篠宮が確認する。
「範囲は廊下端だけですか」
「今のところは」
白鳥は式守へ現場情報を入力する。
「処理候補を生成」
式守の画面が切り替わる。
白鳥はその提案を確認した。
「観測、固定、希薄。術後観測二回。以降、異常値がなければ追加観測と待機を省略」
篠宮が反応する。
「術後観測は省略しないんですね」
「はい」
白鳥は説明する。
「処理前観測。処理後の初回観測。二回目の術後観測。ここまでは実施します。二回連続で基準値以下であれば、以降の追加観測は省略可能と判断します」
篠宮はすぐには反論しない。
観測を一回で切るわけではない。
処理前に見て、処理後も二回見る。
数字だけ見れば、乱暴な削減ではない。
白鳥は続ける。
「低密度対象に対し、過剰な術具配置と長時間待機を行うことは、現場負担と費用を増加させます」
つづりは腕を組む。
「その費用で安全を買ってる場合もあるんだけど」
「その因果を示す記録があれば、式守は評価できます」
「またそれ」
白鳥はつづりを見る。
「記録がなければ、評価できません」
つづりは小さく舌打ちした。
「記録がない安全って、だいたい誰かが真面目にやってたから事故にならなかったやつなんだけどね」
白鳥は少しだけ沈黙する。
そして答える。
「その可能性はあります」
つづりは意外そうに見る。
白鳥は続けた。
「ですが、可能性のままでは標準化できません」
つづりは笑わなかった。
「やっぱり嫌な答え」
※第5話「式守は禁忌を知らない」は全十回です。
続きます。
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