(四)強すぎる固定
◆ 五 強すぎる固定
搬入口の奥で、清掃員の一人が悲鳴を上げた。
台車の前輪が床の段差を越え、金属音を立てて横へ滑る。
清掃員の足元には、こぼれた洗剤の水が薄く広がっていた。
清掃員が滑った。
背中側には搬入口の鉄柵。
頭の高さには、むき出しの角。
透の身体が先に動いた。
曲げる。
横へ逃がす。
台車でも、清掃員でも、見えない圧でもいい。
とにかく、当たる向きをずらす。
偏向が出かける。
だが、その直前に、黒瀬の指示と篠宮の声が戻った。
固定で減速。
完全停止を狙わない。
まず足場を作る。
透は歯を食いしばる。
「固定……!」
接続二。
固定。
ただ、その直前に、透自身にも分からない小さな揺れがあった。
偏向へ逃げかけた意識の残り。
流そうとしたわけではない。
接続したわけでもない。
術式として数えられるほどのものではない。
けれど、完全には消えていなかった。
固定の足元に、薄く逃げ道だけが残る。
その小さな揺れが、固定の立ち上がりを変えた。
台車の車輪が、床に縫い止められたように止まる。
台車を押していた見えない圧も、搬入口のレールごと止まる。
止まった。
止まりすぎた。
透の呼吸が一瞬止まる。
本来は、動きを鈍らせるだけの固定だった。
完全に捕まえる必要はなかった。
なのに、出た。
苦手な固定のはずだった。
いつもなら、押さえ込めば跳ね返る。
力を入れれば入れるほど、手首に嫌な反発が来る。
だから、どこかで逃がしたくなる。
だが、今回は違った。
強い。
強すぎる。
しかも、妙に安定している。
その安定が、透には分からない。
自分が狙って出した固定ではない。
訓練で出せた固定でもない。
経験の中にない出力だった。
「……これ、まずい」
反発が来る。
そう思った。
実際には、大きな反発は来ていなかった。
固定の直前に残った小さな揺れが、反発の逃げ道になっていたからだ。
けれど、透にはそれが分からない。
分かるのは、若手が扱うには大きすぎる固定が出ていることだけだった。
経験上、こういうものは後から跳ねる。
そして、術具が先に反応した。
篠宮の置いた鏡面杭が、細かく震える。
予備の吸い札が、封を切っていないのに黒ずむ。
結界縄の端が、焦げるように縮む。
つづりが叫ぶ。
「ちょっと、出力おかしい!」
篠宮の声が飛ぶ。
「三枝さん、維持しないでください!」
黒瀬が続く。
「固定で勝つな!」
透は予定より早く、接続三の偏向を入れた。
固定に溜まった圧を、横へ逃がす。
ただし、人へは流さない。
清掃員へも、警備員へも、施設側の壁面へも流さない。
搬入口の奥。
篠宮が術具で逃げ道を置いていた側へ、細く逃がす。
黒瀬が言う。
「流しすぎるな!」
「分かってます!」
固定をほどかない。
偏向で圧だけを抜く。
だが、想定より術具が食われている。
本来なら、希薄の補助に回るはずだった吸い札が、固定の過剰出力を受けて黒ずんでいる。
鏡面杭も、誘導の基準として使う前から揺れている。
篠宮が言う。
「誘導先の術具が落ちています」
つづりが吸い札を見る。
「吸い札、一枚もう死んでる!」
透は目を見開く。
「まだ希薄に入ってないのに?」
「だから言ってる!」
透は歯を食いしばる。
接続四。
希薄。
自律反応の外縁だけを薄める。
消し飛ばすのではない。
清掃員と台車への干渉を落とす。
本来なら、篠宮の術具配置とつづりの吸い札で、安定した強めの希薄が通るはずだった。
だが、術具の余力が落ちている。
希薄は通った。
ただし、想定より浅い。
台車は止まった。
清掃員も、警備員に支えられて通路の外へ下がる。
人は助かった。
だが、自律反応は完全には落ちていない。
搬入口の奥に、薄く残っている。
透は追おうとする。
「まだ」
黒瀬が止める。
「追うな」
「でも、まだ」
「追うな」
黒瀬の声は、現場の重さを持っていた。
「契約外だ。人が下がったなら、ここで止める」
透は接続を切る。
吸い札は黒い。
鏡面杭には、細いひび。
結界縄の端は、焼けたように縮んでいる。
透は、ようやく息を吐いた。
「……あぶねー」
それから、自分の手を見る。
「間違わなくてよかった」
その言葉に、黒瀬が返した。
「間違わなかった、じゃない」
透は顔を上げる。
「え」
「手順は外してない。だが、出力を外した」
篠宮が言う。
「固定で取りすぎた分、術具が落ちました」
つづりも続ける。
「おかげで希薄の補助が薄くなった」
透は言いかける。
「でも、固定は……」
黒瀬が遮る。
「だから厄介なんだよ」
黒瀬は、焦げた吸い札と止まった台車を見る。
「強く出たからいい、じゃない」
少し間を置く。
「強く出たせいで、次が落ちることもある」
透は言い返せなかった。
本体は残っている。
人は助かった。
でも、想定した処置では終わっていない。
黒瀬が言う。
「人を助けた判断はいい。処置としては荒い。そこは叱られる」
透は短く頷いた。
「はい」
※第4話「見積外の怪異」は全七回です。
続きます。
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