(七)噂になる評価
## 八 噂になる評価
透が五接続を通し、噂の流れが旧視聴覚室へ曲がる。
簡易対応側の術者たちは、少し離れた廊下でそれを見ていた。
一人が、小さく呟く。
「あれ、今、五つ繋いだ?」
もう一人が返す。
「……五つだよな?」
「あの若さで?」
「いや、待て。今の曲げ方、距離おかしくないか」
「三階から旧視聴覚室まで持ってったぞ」
「エグくない?」
「エグい」
「しかも、鷹宮さんのところの篠宮もいるだろ」
「いるな」
「じゃあ、鷹宮系列の隠し玉とか?」
「下請けって聞いたぞ」
「隠し玉って、だいたい表向きはそういうことになってるだろ」
「そういうもん?」
「知らんけど」
「でも五接続だぞ」
「じゃあ隠し玉だろ」
その横を、美緒が通った。
「変な噂を増やさないでください」
二人が同時に固まる。
「え」
「今、それを処理したばかりです」
「……すみません」
「いや、でも」
「でも、も不要です」
「はい」
少し離れたところで、篠宮が顔をしかめていた。
「隠し玉ではありません」
黒瀬が言う。
「隠れてもいないしな」
「そこではありません」
透は膝に手をついていた。
呼吸は整ってきたが、身体の奥がまだ熱い。
「……通った」
篠宮が近づいてくる。
「五接続……」
その声には、まだ驚きが残っていた。
内容は聞いていた。
黒瀬の判断も理解した。
成功前提ではないことも分かっていた。
それでも、実際に通ったものは五接続だった。
観測。
固定。
偏向。
同調。
希薄。
若手が、学校案件の実戦で五つを繋いだ。
澪は、透本人ではなく、いま通った術式の流れを見ていた。
「五接続自体も、若手としてはかなり目立ちます」
透は顔を上げる。
「そうなんですか」
篠宮が即答する。
「目立ちます」
「即答」
澪は続ける。
「ただ、私が気になったのは数ではありません」
「数じゃない?」
「配分です」
澪は旧視聴覚室の方を見る。
「普通、五接続を組もうとすると、均等にしがちです。観測も、固定も、偏向も、同調も、希薄も、全部きれいに扱おうとする」
「その方がいいんですか」
「五接続を成立させること自体を目的にするなら、その方が崩れにくいです」
篠宮が補足する。
「退魔士に明確な上下はありません。ただ、実力証明用の検定のようなものはあります。何接続まで扱えるかを見る試験です」
「ああ、接続数を見るやつ」
「はい。その場合は、各工程を均等に並べる方が評価しやすい。観測もできる。固定もできる。偏向もできる。同調もできる。希薄もできる。それを順番に示す」
篠宮は少しだけ言葉を選ぶ。
「いわば、検定対策のような接続です」
澪が頷く。
「ただ、それは“ただ単に五接続”です」
透は復唱する。
「ただ単に五接続……」
「もちろん、それ自体が簡単という意味ではありません。五接続を安定して通せるだけでも十分に高度です」
澪は透を見る。
「でも、現場では接続数そのものより、何のために繋ぐかが重要になります」
黒瀬は黙って聞いている。
澪は続けた。
「今回の術式は、五接続を見せるための五接続ではありませんでした」
噂の流路を曲げる。
その目的から逆算していた。
観測は、流路を見るため。
固定は、偏向へ渡す足場を作るため。
偏向は、主工程。
同調は、噂の状態を浅く聞くため。
希薄は、最後にほどくため。
「かなり偏向へ寄せた構成です」
澪は少しだけ間を置いて言った。
「以前お会いした時も、偏向はかなり強いと思いました。でも、今回はそれを中心に、他の系統を目的のために従わせていた」
透は言葉を失う。
「しかも若い」
澪は穏やかに言う。
「この偏り方は、八重士候補っぽく見える」
その言葉が、少しだけ廊下の空気を変えた。
透は呟く。
「八重士候補……」
黒瀬が言う。
「外からは、な」
「外からは」
「中身を知ってる側から見れば、成功はしたが安定じゃない」
黒瀬は一つずつ並べる。
「訓練でも成功は一回だけ。今回は対象が偏向を軸にできた。日野原が性質を読んだ。篠宮が術具を配置した。美緒が動線を整理した。失敗した場合の線もあった」
透は黙る。
「それで通った」
黒瀬は透を見る。
「八重士候補に見えることと、八重士へ届くことは別だ」
「……はい」
篠宮が言う。
「三枝さんが五接続を安定して扱える、という記録にはできません」
「厳しい」
「ただし、今回の五接続が通ったことは記録できます」
「それ、褒めてます?」
篠宮は少しだけ間を置いた。
「はい」
透は少し驚く。
篠宮は続けた。
「偏向の長距離制御は、見事でした」
透は素直に頭を下げる。
「……ありがとうございます」
「ただし、固定はまだ不安定です」
「分かってます」
「同調も危なかったです」
「そこも分かってます」
「希薄は、日野原さんの助言がなければ散っていた可能性があります」
透は顔を上げた。
「褒め時間、短い」
澪が少し笑う。
「でも、戻ってきました」
黒瀬が頷く。
「そこは大事だ」
その少し先では、簡易対応側の誤認がまた廊下の端で広がりかけていた。
若いのに五接続。
鷹宮のところの篠宮が同行。
曲げ方がエグい。
もしかして隠し玉。
透は少し落ち着かない顔をする。
「あれ、俺、評価上がってます?」
黒瀬が即座に言う。
「調子に乗るな」
「いや、乗る前に確認を」
澪がノートを閉じる。
「外側からの評価、という言い方をすると、観測の話に聞こえるかもしれません。あるいは、浅い同調にも見える」
透は澪を見る。
「違うんですか」
「違います」
澪はゆっくり言った。
「実際には、本人ではなく、本人に向けられた像への深い同調です」
「像?」
「今回の噂と同じです」
澪は廊下の先を見る。
「本当に三枝さんが何者なのか。何ができて、何ができないのか。そこを見ているようで、実際には“若くて五接続を使ったらしい退魔士”という像に、周囲が勝手に同調していく」
篠宮が言う。
「それが尊敬や妬みに変わる」
「はい。業界内では、そういうものが評価にも噂にもなります」
澪の声は穏やかだったが、内容は軽くなかった。
「尊敬されることもあります。妬まれることもあります。でも、実体のない尊敬と妬みは、評価を狂わせるだけです」
透は苦笑する。
「うわ、処理対象じゃないですか」
「はい」
澪はあっさり頷いた。
「ただ、そのあたりは篠宮さんから鷹宮さんへ伝われば、うまく調整してくれると思います」
篠宮は少し表情を硬くする。
「……伝えます」
透は篠宮を見る。
「なんか、俺の評価が元請けで処理される」
「評価ではなく、誤認の補正です」
「言い方」
澪が言う。
「大事です。噂は、放っておくと実体があるように扱われますから」
黒瀬が透を呼ぶ。
「三枝」
「はい」
「お前が気にするのは、そこじゃない」
黒瀬の声が、透の浮きかけた意識を現場に戻す。
「今日、何を通せたか。何を周りに支えてもらったか。次にどこで崩れるか。そっちだ」
透は、ゆっくり頷いた。
「……はい」
「今の五接続は、お前一人の五接続じゃない」
「……ですよね」
「美緒が聞き取りを絞った。日野原が噂の見方を決めた。篠宮が受け皿を作った。俺が崩れた時の線を引いた」
黒瀬は言う。
「その上で、お前が通した」
透は顔を上げる。
「じゃあ、俺は」
「通したのはお前だ」
黒瀬はそこで言い切った。
「そこは間違えるな。ただし、組んだのは現場だ」
透は少しだけ息を吐いた。
五接続を通した。
でも、自分一人で届いたわけではない。
そのくらいが、今の透にはちょうどよかった。
◆ 九 報告書と経過観察
学校側への説明は、美緒が担当した。
校長室ではなく、会議室だった。
校長、教頭、学年主任、養護教諭、学校法人側の担当者。
関係者は多い。
美緒は、余計な言葉を選ばない。
「校内で発生していた噂由来の霊障反応は、主要導線上では低下しています」
学校側の表情が少し緩む。
だが、美緒はすぐに続けた。
「ただし、完全消滅と断定する段階ではありません。一週間の経過観察を入れます」
校長が慎重に聞く。
「噂を禁止した方がいいですか」
澪が首を振った。
「強く禁止すると、逆に補強される場合があります」
美緒が続ける。
「校内放送では、怪異という言葉は使わないでください」
「では、どう説明すれば」
「体調不良者が出ているため、不要な立ち入りを控える。不安なことがあれば担任か保健室へ相談する。その程度がよいと思います」
透は会議室の隅で聞いていた。
「怪異を倒したって言えないんですね」
黒瀬が短く言う。
「倒してないしな」
篠宮も言う。
「噂の流れをほどいただけです」
澪が付け加える。
「噂は、派手に否定すると残ります。忘れられるくらいが、一番いいんです」
透は、その言葉を覚えておこうと思った。
帰社後、透は報告書を書いた。
訓練棟での記録整理を経て、最初から管理報告書と訓練記録を分けている。
管理報告書は、短く、必要なことだけ。
> 校内で発生していた噂由来の霊障反応について、三階東廊下、二階渡り廊下、旧視聴覚室周辺に反応流路を確認。
> 生徒避難後、術具配置および境界管理のもと、反応流路を旧視聴覚室側へ誘導。
> 反応密度を低下させ、現時点で校内主要導線上の残留反応は低位。
> 一週間の経過観察を要す。
美緒が目を通す。
「報告書になっています」
透は少し嬉しそうにする。
「やった」
「ただし、“五接続成功”は管理報告書には不要です」
「書いてました?」
「書いてありました」
「小さく」
「大きく」
「消します」
美緒は赤字を入れる。
「五接続については訓練記録へ」
透は訓練記録を開く。
> 観測、固定、偏向、同調、希薄の五接続。
> 目的は、噂の流路を旧視聴覚室側へ曲げたうえで、反応密度を低下させること。
> 観測で流路を確認し、固定で偏向へ渡す足場を作る。
> 偏向が主工程。旧視聴覚室まで長距離誘導。
> 同調は状態のみを浅く確認。意味・名前・顔は拾わない。
> 希薄は、流路を整えた後に実施。
> 成功はしたが、訓練時の成功例は一回のみ。
> 黒瀬の停止判断、篠宮の術具配置、日野原の解析、美緒の避難整理が前提。
> 自力安定ではない。
透は最後の一文を見て、少し苦い顔をする。
黒瀬がそれを見る。
「消すなよ」
「消しません」
篠宮が隣から言う。
「必要な記録です」
「分かってます」
美緒が言う。
「今回は、比較的よく分かっていますね」
「比較的」
篠宮は、別の補足報告を作っていた。
> 三枝透の五接続について、偏向主軸の目的逆算型接続として記録。
> ただし、自力安定ではなく、事前の術具配置、避難整理、対象解析、停止判断を前提とする。
> 外部術者間で「鷹宮系列の隠し玉」等の誤認が発生しかけたため、元請け側で評価補正が必要。
透は横から覗く。
「評価補正って何ですか」
「誤認の補正です」
「やっぱり俺の評価、元請けで処理されてる」
美緒が言う。
「噂になるよりは健全です」
「それはそう」
夜になってから、黒瀬たちは再び学校へ寄った。
鏡には、もう知らない生徒は映らない。
黒板にも名前は増えない。
足音もない。
ただ、旧視聴覚室の隅に、薄い気配だけが残っている。
完全に消えたわけではない。
でも、もう廊下を歩き回るほどの形はない。
黒瀬が言う。
「経過観察だな」
美緒が端末に入力する。
「一週間後に再確認を入れます」
篠宮は旧視聴覚室の入口を確認した。
「術具は一部残置します」
澪はノートを閉じる。
「噂が自然に薄れるか見ます」
透は校舎を見上げた。
「倒したって感じじゃないですね」
黒瀬が答える。
「現場はだいたいそうだ」
五接続は通った。
でも、自分一人で届いたわけではない。
見る。
止める。
曲げる。
聞く。
薄くする。
その中で、自分が一番強かったのは、曲げることだった。
長い廊下を通る噂の流れを、別の場所へ逃がすこと。
自分の入口が、今回は主役になった。
でも出口を決めたのは、対象だった。
支えたのは、周りだった。
透は小さく言う。
「次も五接続で」
黒瀬が即座に返す。
「調子に乗るな」
「ですよね」
篠宮も言う。
「次の対象が同じとは限りません」
「分かってます」
少し間があった。
透は篠宮を見る。
「でも、偏向は通りました」
篠宮はまっすぐ透を見る。
「はい」
その返事は、いつもより少しだけ柔らかかった。
「そこは認めます」
透は少し驚く。
「条件付きで?」
篠宮は首を振る。
「今回は、無条件で」
「珍しい」
「ただし、固定は条件付きです」
「結局つくんですね」
黒瀬が校舎に背を向ける。
「帰るぞ」
美緒が端末を閉じた。
「報告書があります」
透は肩を落とす。
「現場は終わったのに」
美緒は、いつも通りの声で言った。
「案件は終わっていません」
夜の校舎に、もう足音はなかった。
ただ、記録されるべきものだけが、まだ残っていた。
第3話 噂が棲む校舎 了
作者個人サイトでは、人物相関図・各話アイキャッチ・用語メモなどの補足資料を公開しています。
※ネタバレ範囲にご注意ください。
https://www.simulationroom999.com/blog/yaemusubi_top/




