(四)鏡を覆う
◆ 四 鏡を覆う
三階東廊下では、簡易対応業者が鏡の前に立っていた。
一人が鏡を布で覆う。
もう一人が希薄札を取り出す。
篠宮がすぐに声を上げた。
「待ってください。対象が鏡だけとは限りません」
簡易対応側の術者は、少し苛立ったように振り返る。
「生徒が見たのは鏡です」
「鏡は観測点です。本体とは限りません」
澪も続ける。
「いきなり落とすと、反応が散る可能性があります」
簡易対応側は、すでに札を構えていた。
「鏡の反応を落とせば、噂も止まるでしょう」
透はその言い方に違和感を覚えた。
訓練棟での件の台車残滓を思い出す。
薄めれば安全に見える。
だが、対象によっては薄めることで広がる。
黒瀬が一歩前へ出る。
「止めろ」
だが、遅かった。
希薄札が鏡に触れる。
鏡の反応が、一瞬だけ薄くなった。
透は思わず声を出す。
「消えた?」
黒瀬が即座に否定する。
「違う」
鏡から薄れた反応が、校舎全体へ散った。
空気が変わる。
二階渡り廊下で足音が増えた。
空き教室の黒板に、白い線が走る。
複数の教室で窓が鳴る。
保健室前にいた生徒が、ぼんやりと立ち止まる。
美緒が端末を確認する。
「生徒がまだ残っています」
篠宮は即座に札を出した。
「境界を閉じます」
黒瀬が鋭く言う。
「対象に入れるな」
「分かっています」
篠宮は怪異そのものを固定しない。
廊下の境界。
階段。
教室の入口。
避難導線。
対象への同時術式介入ではなく、現場環境の整備。
簡易墨線が床の端を走る。
小型杭が廊下の角に置かれる。
鏡面札が、反射の強い場所を外すように貼られていく。
透は、校舎全体へ広がりかけた噂の流れを見た。
旧視聴覚室の方へ、反応が戻ろうとしている。
そこは発生源ではない。
けれど、噂がまとまる場所ではある。
三階東廊下から二階渡り廊下へ。
そこから、旧視聴覚室へ。
さらに黒板、夢、保健室前の生徒へ伸びようとする流れ。
黒瀬が判断する。
「三枝」
透は返事をした。
「はい」
「五つ、繋げるか」
透は一瞬、止まった。
「五接続ですか」
その言葉に、篠宮が先に反応した。
「五接続?」
声には、明らかな警戒があった。
五接続は、若手が現場で気軽に持つ数ではない。
三接続で実働可能。
四接続で優秀な若手。
五接続なら、中堅上位、上級術式クラスに片足をかける。
それが、透。
固定が粗く、偏向に逃げる癖があり、前回は台車残滓で出口を希薄と誤判断したばかりの若手。
篠宮が口を挟みかける。
だが黒瀬は淡々としていた。
「日ごろの訓練で、五接続は何回かやらせている」
透が言う。
「成功したの、一回だけですけど」
篠宮の表情が変わる。
「一回?」
一回しか成功していない五接続を、現場で試すのか。
だが、黒瀬は迷わない。
「だから成功前提じゃない」
黒瀬は校舎図を指差す。
「観測で流路を見られれば、少しは動く。固定が甘くても、偏向へ渡せればいい。偏向まで通れば、時間は稼げる」
透は息を整える。
「旧視聴覚室まで流せれば、篠宮の術具配置が間に合う。配置が進めば、少接続で再処置できる。崩れたら、そこで止める」
篠宮は黙った。
これは、透の五接続を信じ切っている判断ではない。
透が失敗することまで含めた判断だった。
篠宮は短く息を吐いた。
「……失敗後の線があるなら、乗ります」
黒瀬が頷く。
「ある」
「では、私は旧視聴覚室側の術具配置を進めます。三枝さんが偏向まで通した時点で、受けられる形にします」
「それでいい」
透は黒瀬を見る。
「成功前提じゃないんですね」
「当たり前だ」
黒瀬は透の肩に手を置く。
「成功したら上出来。偏向まで行けば仕事になる。それより前に崩れたら、俺が止める」
透は頷く。
「勘違いするなよ」
黒瀬の声が低くなる。
「五接続を試すのは、お前が五接続安定だからじゃない。失敗しても、現場が壊れない線があるからだ」
透は、もう一度頷いた。
「……はい」
周囲では、足音が増えていた。
黒板の文字が、まだ走っている。
時間はない。
けれど、焦って繋げるわけにはいかなかった。
※第3話「噂が棲む校舎」は全七回です。
続きます。
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