(一)学校案件
◆ 一 学校案件
元請け経由で、私立中高一貫校の調査依頼が入った。
最初に届いた資料は、いつもの案件名ほど長くはなかった。
その代わり、中身が散っていた。
夜の校舎で足音がする。
三階東廊下の鏡に、知らない生徒が映る。
複数の生徒が同じ夢を見る。
空き教室の黒板に、知らない名前が増える。
SNSや校内チャットで「いない生徒」の噂が広がっている。
三枝透は、端末の画面を見ながら眉を寄せた。
「多くないですか」
片桐美緒は、資料を一枚ずつ整理している。
「学校案件としては、珍しくありません」
「学校案件って、だいたいこうなんですか」
「だいたい、散ります」
「嫌な言い方ですね」
「嫌な案件なので」
黒瀬玄一が、事務所の奥で現場用の札入れを確認していた。
「学校は、会社と違う」
透は黒瀬を見る。
「会社じゃないからですか」
美緒が答える。
「はい。学校は、組織というより集団に近い場所です」
「集団」
「もちろん、校長先生もいますし、教員組織もあります。学校法人もあります」
美緒は資料に付箋を貼っていく。
「でも、企業のように指揮系統や責任分界がはっきりしているわけではありません。生徒、教員、保護者、学校法人、場合によっては教育委員会や地域も関わります」
「関係者が多い」
「はい。しかも、それぞれの立場が近いようで、かなり違います」
黒瀬が低く言う。
「会社なら、少なくとも誰が決裁者かは探せる」
美緒は頷いた。
「学校では、決裁者がいても、それで全員が納得するとは限りません」
透は少し考える。
「保護者とか?」
「はい。学校側は風評を恐れます。家庭側は子どもの安全を優先します。教員は現場を回さなければならない。生徒は噂を止められない」
美緒は資料の余白に、関係者を線で結ぶ。
「その全部が、同じ場所にいます」
「面倒くさいですね」
「面倒です」
あまりにも即答だった。
美緒は、資料の中の「三階東廊下の鏡」という項目を指す。
「だいたい、七不思議なんかも学校という環境だからこそです」
「たしかに、企業で七不思議って聞かないですね」
透は少し想像してみる。
深夜に動く複合機。
誰もいない会議室の議事録。
知らない承認者の名前。
なくはない気がした。
「不思議」
美緒は表情を変えずに言う。
「企業にも噂はあります。ただ、企業の噂は対象が明確になりやすいんです」
「対象?」
「たとえば、“あいつはコネ入社らしい”とか」
「あー」
「真偽は別として、誰の話なのかが明確です。噂の対象が人に固定されている」
黒瀬が言う。
「本人確認もできるし、部署も分かる」
「はい。否定も訂正も、少なくとも向け先があります。だから七不思議にはなりにくい」
透は資料を見直す。
「七不思議って、向け先がない噂なんですか」
「向け先が曖昧な噂です」
美緒は指で項目を追っていく。
「誰が見たのか。何を見たのか。本当にそこにいたのか。なぜ広がったのか。それが曖昧なまま、場所と結びつく」
三階の鏡。
夜の廊下。
使われていない教室。
古い放送室。
透は息を吐く。
「学校っぽい」
「学校だからです」
黒瀬は作業用手袋を鞄に入れた。
「場所が先に残るんだな」
「はい。人が入れ替わっても、校舎は残ります。学年が変わっても、廊下は残ります。誰が言い始めたか分からなくても、“あそこに出る”だけは残る」
「企業だと?」
「人事異動で消えます」
黒瀬が少しだけ眉を動かした。
「身も蓋もないな」
「実際、噂の対象が異動すれば弱まることは多いです。でも学校の七不思議は、対象が人ではなく場所や状況に移ります。だから長く残る」
透は画面を見ながら呟く。
「じゃあ今回の鏡とか足音も」
「人ではなく、場所に噂が固定され始めています。そこが厄介です」
美緒はそこで一度、言葉を切った。
「ただし、学校が悪いという話ではありません」
透は少し意外に思って顔を上げる。
美緒は続けた。
「学校は、集団生活を学ぶ場所でもあります。会社ほど制度で縛られていないからこそ、人と人の距離が近い」
それは、さっきまでの事務的な説明より、少し柔らかかった。
「困っている生徒がいれば、誰かが気づく。一人で抱えていた不安が、友人や先生に拾われることもある。それは学校の強さです」
透は頷いた。
「じゃあ、悪いのは」
「同じ性質が、悪い方向にも働くことです」
美緒の声がまた事務に戻る。
「人と人の距離が近いから、噂も広がりやすい。不安も伝わりやすい。誰かが見た、誰かが聞いた、誰かが怖がった。それが、あっという間に集団の中で共有されます」
黒瀬は鞄を閉じた。
「今回は、そこに霊障が乗ってるかもしれない」
「はい。だから広がりが早い」
美緒は資料をまとめる。
「しかも、何が起きているのかと、何がそこにいるのかが分からなくなります」
透は首を傾げた。
「同じじゃないんですか」
「違います」
美緒は即答した。
「何が起きているのかは、生徒が何を見たか、誰が体調を崩したか、どこから噂が広がったかです」
「はい」
「でも、何がそこにいるのかは別です」
黒瀬が補う。
「怨霊なのか、残滓なのか、ただの噂なのか。あるいは、噂に霊障が引っかかってるのか」
美緒は頷いた。
「学校案件では、その二つが混ざります。聞き取りをすれば、何が起きているかは分かります。でも、聞き取り方を間違えると、噂が増えます」
「調べるほど広がる」
「そうです」
黒瀬は短く言う。
「見るほど強くなるやつもいる」
透は机に両手をついた。
「学校、相性悪すぎません?」
「相性は悪いです」
美緒は資料の端を揃える。
「でも、生徒が生活している場所なので、避けられません」
その言葉で、事務所の空気が現場へ切り替わった。
※第3話「噂が棲む校舎」は全七回です。
続きます。
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