38話. 真厄
あらすじ
ときは少し遡り――東部方面の前線に、何かが現れた。
東部方面前線、塹壕にて――
「……ありゃなんだ?」
連盟の兵士――クリスは、視界の先、連邦側の平原に何かが蠢くのを目撃する。その声に、彼の同僚――カームが反応する。
「どーしたクリス。ニコチンを取り込みすぎて、とうとう幻覚が見え始めたか?」
「いや、そんなはずないと思うが……」
クリスは訝しみながらも双眼鏡を取り出す。レンズを通して"それ"を確認しようとした瞬間――彼の額を、赤い何かが貫いた。
クリスの身体が崩れ落ちる音を耳にして、カームは振り返り驚愕する。
「な……! お、おい! しっかりしろ!」
咄嗟に駆け寄り抱き上げるも、力なく垂れ下がる腕と光の消えたその瞳から、即死していることは明白だった。
「どういうことだよ、まだ停戦が始まってから一週間しか――」
その声は、数多響く肉の崩れ落ちる音と、それに伴う恐騒によって遮られる。
(ちくしょう、何が起こってんだよ、なにが!)
カームは近くの通信機をひったくると、その先の通信室に向かって叫び出した。
「おい、聞こえるか!」
(――デカい声出さなくても聞こえるぞ。その声はカームだな? いきなりどうした、まさか愛の告白でもするつもりじゃ)
「そんな馬鹿なこと言ってる場合じゃねぇんだよ! 連邦の奴ら、いきなり攻撃してきやがった! 全兵士に連絡してくれ、早急にだ!」
無線の向こうから、深いため息が聞こえてくる。
(――おいおい、まだ停戦終了まで三週間もあるんだぞ? そりゃお前の目の故障だ)
「違う! もう既にクリスがやられてる! 他のとこにも被害が出始めた、この行動を止められていない時点で察せよ!」
カームの必死の叫びが伝わったのか、奥の通信兵は黙り込む。少し経った後、声が聞こえた。
(――分かった、お前を信じるぞ。全体に敵軍の大まかな数を伝える必要があるから、確認してくれるか?)
「分かった、確認しながら口頭で伝えるぞ」
カームは通信機の無線を手に持ちながら、血に塗れた双眼鏡を眼の前にかざそうとして、目視で見えた光景に息を呑んだ。
「……敵軍の端が見えねぇ。少なくとも二万はいるぞ」
(――あり得ないだろう!? もし本当なら、なぜ今まで気付かなかった!?)
「分かんねぇよ! 地鳴りなんて少しも――」
瞬間、耳元を赤い閃光が駆け抜ける。それはカームの掌ごと無線機を貫いていた。
「がぁっ……クソッ!」
掌を襲うその痛みに悶えつつも、どうにかして情報を得ようとして、もう片方の手を震わせながら双眼鏡を構えた。
そのレンズの先――戦線の中央を、紫色に染まった兵士が進軍していた。何かを構えながら、驚くほど冷酷に……彼らは規律正しく進軍していた。まるで決められたことしかできない人形のように。
(んだよありゃあ、あんな部隊一度も……)
その思考の直後、奥の霧を通して大きな影が左右へ動いているのを見つけた。やがて霞が晴れ、その全容があらわになっていく――
「なんだ、あの、化け物は……」
声が、漏れ出ていた。"それ"は、紫色の体を持ち、背面から多数の目を覗かせ、触手で這い寄るように前進していた。数多ある突起物から赤い光を放ち続けている。
生存本能が激しく警鐘を鳴らす。鳥肌が立ち、足が竦む。あれと戦うなんて、無理だ……
その時、一つの目がこちらを向いた。
「――ぁ」
遺言を言う暇すらも与えられず、彼の脳漿は飛び散った。
◇◆◇
通信機が壊されたその直後――
「――おい、聞こえるか! ……クソッ、通信が途切れやがった……」
通信兵――アーギャは混乱に陥っていた。詳細を聞けぬまま途絶するなんて――だが確信する。本当に連邦軍が攻めてきたのだ。
そのとき、扉から彼の同僚が入ってくる。
「どうした、何があった?」
「……連邦軍から攻撃が始まったらしい。既に死人が出ていると」
彼は目を見開く。そして信じられないという風に問い返した。
「本当なのか?」
「最悪なことにな……今すぐ上に連絡してくれ。敵規模は少なくても二万。俺は前線に連絡する」
「分かった、頼んだぞ!」
そう言って、踵を返して走り去っていく。再び独りになったアーギャもまた、己の本分を果たし始めた。
――正確な情報が伝達されぬまま、母なる大地に血の雨が振り注ぐこととなる。
彼らに感情は無かった。ただひたすらに、屠り続けていた。




