幕間:約束
ミアのお話のようだ。彼女の想いが、切なく描かれている……
お腹……減ったよぉ……おかあさぁん、どこぉ……?
「ペタ、ペタ……ドサッ」
っ……ひぐっ……出てきてよぉ……怖いよぉ……
『コツ、コツ、コツ』
……おじさん、だぁれ? ご飯くれるの? でも、知らない人について行くなって、おかあさんが……
「ぐぅぅぅ〜」
あ……お腹……ちょっとだけ? ……分かった!
「にぎ、トテトテトテッ」 『コツ、コツ』
――手を引かれ、どこかへと歩いていく。
―――――――――――――――――――――――――――
「カチャカチャ、バクバク」
おいしい! ありがとうおじさん! ……え? おかあさんが来るまで? ん〜、分かった! お迎えがくるまでいい子にしてる!
『……スッ』
指切りげんまん? そんなことしなくても、ミアはお約束守れるよ?
『……』
おじさんがしたいなら、やってあげる! ゆーびきーりげんまん、嘘ついたらはりせんぼんのーます! 指きった!
――少女は朗らかに笑っている。
―――――――――――――――――――――――――――
「ガチャッ、トテトテトテッ」
スケーロさん、絵本読んで! いいじゃん! スケーロさん、読むのおかあさんよりも上手だもん!
『ナデナデ』
……えへへ。はい、絵本。ほら、早くいこ!
「テトテトテト」 『ドタッドタッ』
――手を引かれ、彼は困ったように微笑んだ。
―――――――――――――――――――――――――――
……おじさん、話って? 君の、お母さんについて……いいよ、おじさん。私分かってる。お母さんは、もう死んでるって。
『ガバッ』
……そんな大げさな反応しないでよ。おじさんが拾ってくれて四年、私はもう十四才だよ? 大体は察せる。
悲しくないのかって? ……悲しいよ。お母さんともう会えないって考えると、心がズキズキする。でも……私にはもう、おじさんがいるから。私を育ててくれた、大切な恩人が……ね。
『ポタ、ポタ』
泣かないでよぉ。全く、泣いてばっかりなんだから。
「トタ、トタ、トタ……ぎゅ」
ぎゅって、してあげるから……笑お?
『グシグシ……ニッ』
……フフ。やっぱりおじさんは笑っているほうがかわいいよ。
――少女は顔を隠して言った。
自分の顔が見られないように。
―――――――――――――――――――――――――――
……ねぇ、おじさん。私に隠し事してるでしょ。
『ビクッ』
……やっぱり。ちょっと前に、おじさんが銃を持った人達と何か会話してるのを見たんだ。だめだよ、危ないことに足を踏み入れるのは。死んじゃったらどうするの?
それに……最近、笑ってない。思いつめた顔ばっか。私、そんなおじさん見たくない。
『……』
やめる気はないんだね……分かった。なら、私を仲間に入れて。
『バァン!!』
……怖い顔しないでよ。これは冗談なんかじゃないよ。おじさんが意志を曲げないのと一緒、今私が言ったことも本気。
危ないことに、足を突っ込むな? じゃあおじさんは? 大人だから? ……ふざけないでよ!!
「バン! ガチャガチャ、パリン」
大人だから死なないわけじゃないでしょ!? 誰かを殺そうとするなら、いつか殺されちゃう……おじさんが殺されるのが、私は嫌なの!!
「ドシドシドシ、がしっ」
私、おじさんに拾ってもらってから何も返せてない! 大好きなおじさんが死ぬのも嫌……! せめて、守らせてよ……恩返し、させてよ……
「ぽた、ぽた」 『……ぎゅ』
……分かって、くれた? よかった……きっと、おじさんを守って見せるから……死んじゃだめだよ?
『こくこく』
えへへ……最初拾ってもらった時の約束、破っちゃったかもしれないけど……もう一回約束しよう? 死なないって。生きてまたここに帰るって。
「スッ」 『……ぎゅ』
指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます。指切った。
……約束、したからね?
――強い決意を、小指に込めた。
おじさんが死ぬのは、絶対に私のあと。
……そんな淡い約束はもう、果たされない。
―――――――――――――――――――――――――――
真っ暗な病室のベッドの上で、私の瞳は開かれた。陽光が降り注ぐはずの窓には厚いカーテンが掛けられ、人の声も聞こえることのない静寂が辺りに満ちている。今は、それがありがたかった。
「……はは」
手錠で繋がれていない方の役立たずの左手で、役立たずの顔を覆う。おじさんを守るための私の身体は、たいした傷もなくこうして保存されている。
(守られていたのは、私の方じゃないか……)
メローネさんと戦って、無傷で抑えられて……私の努力は、なんだったのだろう? 自分の無力さに辟易する。こんな身体、消えてしまえばいいのに。
ぽた、ぽたと何かが零れ落ちる
……私はなぜ泣いているの? お前のせいでこうなったのに。お前が弱いせいで!
「……私に泣く資格なんて、無いのに」
その時――ガチャ、という音とともに部屋の一角から光が差し込む。
「ミアちゃん、大丈夫?」
「……メローネさん」
いい香りがする紅茶とお菓子を持って、彼女は入ってきた。片手でスイッチを押すと同時に、それまで暗かった室内が光に満ちる。ベッドの横にトレーを置いて、彼女は話しかけてきた。
「さっき持ってきたご飯、食べられた?」
「……全部、吐き出しました」
「……そう」
彼女は目を伏せて、私の吐瀉物が入ったバケツを隅に置いた。後で片付けるのだろう……どうでもいいかな。
「……捕虜への対応にしては、随分と甘いですね。角砂糖をたくさん入れる、あなたらしい」
「……戦うことになったとはいえ、もともとは喋りあう仲だったでしょう?」
ティーカップに湯気立つ紅茶を注ぎ、私に差し出してくる。私が目を逸らすと、少しだけ顔を歪ませてその紅茶を机に置いた。
「何か、してほしいことは、ある……? 私にできることなら、何でもするから――」
「じゃあ、私にナイフでも突き立ててくださいよ」
彼女は押し黙る。俯いた顔、その目元は髪に隠れ、見えることはない。
彼女が私を痛いほどに想ってくれていることを分かっておきながら、捲し立てずにはいられなかった。
「何かしてくれるんだったら、私を殺してくださいよ!! 中途半端に生かして、生き地獄を味合わせて! 私が命を懸けてでもスケーロさんを守りたかったこと、分かってたくせに! 離れ離れになりたくなかったって、知ってたくせに!!」
私は布団を握りしめる。喉も枯れ、絞り出すようにしか声を発せなくなる。
「あの人がいない世界に、いる意味なんてない、のに……」
流す涙も枯れ果てた。胃も空っぽ。もう自分には何も残ってない。生きる意味さえも。
それまで黙りこくっていたメローネさんが、口を開いた。
「……意味がないことなんて、ないわよ」
横目で彼女のことを見やる。目尻を下げ、メローネさんはこちらを見つめていた。
「きっと、今のあなたには詭弁に聞こえることでしょう。でも聞いてほしい……あなたは確かに意思を果たせなかったかもしれない、それはもう覆せない。でも、できることがある」
「そんなもの、ないですよ。役立たずの私には――」
「それは、生きて伝えること。彼の生き様を知っているのは、あなただけなの。あなたが死んだら、彼は本当に死んだことになる」
「……!」
予想だにしない言葉を前に息を吞んだ。メローネさんは一言一言丁寧に呟く。
「思い出してみて。彼の仕草、言葉、口癖……どんなものだった? 聞かせて、ほしいな」
私は俯いた。湧き出る温かい記憶を、留めることができない。身体に沁みついたあの光景が、形となって口から溢れ出てくる。
「……絵本を読むのが、すごい上手だったんです。小さいころ、よく読み聞かせしてくれて……」
「そうなのね」
「私が間に入ってセリフを読んだら、笑って撫でてくれるんです……『よくできたな』って……どれだけ拙くても……優しく、撫でてくれたんです……」
水分なんて残ってないと思っていたのに、涙が溢れて流れ落ちていく。襟、手の甲、布団……私の涙でふやけていく。
「また、撫でてほしいよぉ……絵本、よんで、また……」
「そうよね……そうだよね……ごめんね……ごめんねぇ……!」
メローネさんが私に抱き着いた。二人して泣いた。声を出して、泣いていた。
◇◆◇
メローネさんがバケツを片付けに部屋を出て、私は独りになる。冷め切っちゃった紅茶を啜る。私の好きな、マスカットの風味がした。
目線を上げる。そこには、死んだはずのおじさんが佇んでいた。半透明の手……幻覚だって、分かってる。私の深層心理が生み出した目の錯覚だ。でも、口は動いていた。
ごめんね。約束、また守れなかった。私は悪い子だよね。
『……スッ』
……うん。今度こそは守るよ。おじさんが守りたかったもの――"私自身"を、守り抜いて見せるから。
「スッ」
だから、約束しよう? 最後の約束、これでおしまい。
「ゆびきーりげんまん、うそつーいたらはりせんぼんのーます」
「『ゆーびきった』」
彼は笑って、消えていく。彼女もちょっぴり微笑んだ。涙は残っていなかった。




