幕間:深淵
サレンダにまつわる話のようだ。彼の歩んだ軌跡と未来、そして2人だけの会話が優しく著されている。
かつて私は、『メタルガーデン・コーポレーション』――国内有数の製薬・軍需産業企業、その代表取締役だった。その役割上、命を狙われることも多かった。そのせいだろうか、人一倍『死』の存在に敏感だった。
そして、当時の私はとある無名の男を雇った。彼に底知れない『死』を感じたからだ。そして、それ以降襲われることは無く、今も"旧友"として協力してくれている。
転機は11年程前。カーディアが連邦に敗北し、それに合わせて私の会社も解体された。そして手元には、開発された1本の睡眠薬と"人脈"のみが残った。この時以降、私は金ではなく人との絆を優先するようになる。
解体されてから1カ月ほど経った頃、その人脈の内の1人から、連絡が届いた。元祖国の『英雄』、ミハイル・シルヴァ殿である。
彼の家に招待され、席に着く。ミハイル殿が口火を切った。
「聞いたぞ、会社の件。残念だったな」
「いいえ。私に起きたことなんて、あなたの家族に起きたことを考えれば些細なものです……心中お察しいたします」
「……シーアは、最後まで立派だった。最後の最後まで抗い続けていた。なぜ私ではなく、彼女なのだ……!」
声にもならない慟哭が、彼の心を支配しているのが分かった。『家族を失う』、それは己の一部を奪い取られるような、想像を絶する喪失感に襲われるということを、私は十分理解していた。
「……私には、その苦しみから救い出せる言葉をかけることはできない。ただ、死者の冥福を祈るのみです」
「あぁ、それだけでも救われるはずだ。そうでなければ、やっていけない……」
その会話の後、暫くの黙祷が始まった。数分にも満たないであろうその時間が、ひどく長く思われた。
少し経ち、ミハイル殿が口を開いた。
「……お前を呼んだのは、ただ語りたかったからだけではない。とある頼みがあるのだ」
「私にできることであれば、何でも」
そう言い、相手の出方を待つ。私の言葉を確認し、彼はこう言った。
「シーアの副長であった『ルヴィカ』という青年がいる。彼が反乱軍を組織したいと、そう言ってきたのだ」
「……なるほど。つまり私に、その組織に入れと?」
「そうなるな。そして、君の人脈を用いて手助けをしてやってほしい」
1つだけ、質問をした。
「……ミハイル殿は、お入りになられないので?」
「……娘から、"孫"を守ってやってくれと、言われたのでな。私が娘にしてやれることは、もう、これしか無いのだ……」
そう言って、彼は上を向く。彼の心中を思うと、胸が締め付けられる。それを誤魔化そうとして、冷めきったコーヒーを一口啜る。冷たく、ほろ苦い味だった。
ティーカップを机に置き、言葉を綴る。
「……先程の件、少しばかり条件があります。私を、その青年と会わせてください。彼を視て、入るかどうか判断します」
「分かった。折を見てまた連絡する。その時に会ってもらいたい」
「承知しました。では、これで」
ミハイル殿が頷いた後、私はその部屋を出た。玄関に向かう途中、奥からドタドタと足音が聞こえてくる。
その小さな何かは、私にぶつかり、
「あぅっ!」
と小さく悲鳴をあげた。私はしゃがみ込み、転んだその子を覗き込んだ。
「……? おじさんだぁれ?」
「君のおじいちゃんのお友達だよ。君の名前は?」
その子は少しだけ首を傾げた。
「……リエ。リエって、いうの」
「リエちゃんか。いい名前をもらったね」
「おじさんの名前は? 何ていうの?」
彼女が質問してくる。
そう言えば、私は誰だったっけ? 社長の頃、家族に害を及ぼさないようにと名前を変え続けたことで、本来の私はどこにも居ないことに気がついた。
少しだけ困って――少し経った後、こう告げた。
「……サレンダ。サレンダ・ナロアーデ」
「サレンダさん?」
「そう、サレンダ。覚えなくてもいいよ」
昔の親友の名を借りた私は、そう言って彼女の頭を撫でる。彼女は少しだけ身を強張らせて、そして花が咲くように笑った。
せめて、この子達だけは地獄を見ることがないように。いるはずの無い神に向かって、そう願った。
◇◆◇
数日経ち、再びミハイル殿から連絡が来る。指定された場所へ赴く。
その日はやけに寒くて、息苦しかったのを覚えている。
到着すると、すでに2人待機していた。ミハイル殿ではない、もう1人の青年――彼がルヴィカだとすぐに理解した。
途轍もない『死』の匂いを、彼は放っていた。鼻の奥を刺激するような、吐き気を催すような匂い。一体どれ程の人を死なせたのだろう。どれ程の人を死なせるつもりなのだろう。
そして、それをぐちゃぐちゃに塗りつぶすほどの『悲しみ』も。
青年に話しかける。
「あなたがルヴィカ殿、でしょうか? 初めまして、私はサレンダと申します、以後お見知りおきを」
「……サレンダさん。私を視て、どう思いましたか?」
予想だにしない質問をされ少し驚く。嘘を述べるつもりもないので、ありのまま感じたことを告げることにした。
「大きな"危険"を感じました。あなたを手助けすれば、おそらく多くの人が死ぬでしょう」
そう言われても、青年は激昂することはなかった。恐ろしいほど静かに、こう聞いた。
「では、お止めに?」
「仮に私が断った場合、あなたはどうするのですか?」
「別の方法を探します。"成功確率"が一番高いのが、この道だったというだけですので」
「……あなたが目指すものが何か聞いても?」
「......しらばっくれないで頂きたい。すでに感づいているのでしょう? 私が何を目指すのか、なぜ目指すのか」
私は口をつぐんだ。脳裏には、想像したくもない惨状が映る。そして、この男はおそらくそれを起こせてしまう。ならば――
「分かりました、いいでしょう。ただし、私はあなたに従うつもりはない。私は自分が望む未来のために動きます。いいですね?」
「……それで、いい。手助けをしてくれるだけでいいのです。『先』は、あなたたちに任せます」
そうしてお互いの手を握る。この時確かに、私は深淵に飛び込んだ――
◇◆◇
部屋に響き渡るノック音により、私は脳内から現実へと引き戻される。
「……どうぞ。入って頂いても構いませんよ」
そう告げると、ゆっくりと扉が開く。そこに立っていたのはリエだった。口を一文字にして、こちらを見据えている。
「……おや、嬢様でしたか。てっきり他の方だと思っていましたが……いったい何の御用で――」
「死んでほしく、ありません」
前触れもなく、彼女はそう言い放つ。突然のことに面食らうも、すぐに平静を取り戻す。
「――聞いていたのですね、先程の会話を。なら、賢いあなたにはもう分かるはずだ。私が死ぬことの重要性を」
「それでも、です。あなたはこれからの未来に必要な人なんです。自ら死にに行くなんて、あなた自身も望んでいないはず」
「裏切者である情報局を貶めるために。私たちが望む未来のためには、必要なこ――」
全てを言い終わる前に、机がバンと叩かれた。顔をあげてみれば、リエが涙目になっていた。
「私達は望んでない。あなたが殺され、未来にいない世界なんか、私達は望んでいない!」
そう言うや否や、私の襟首を掴みだす。
「あなたが! 誰よりも人のことを重んじるあなたが、『死ぬ』なんてこと、言わないで……」
その言葉は段々と力をなくし、言い終わるころには彼女はすがるような態勢で私のことを掴んでいた。泣きじゃくる彼女を前に、初めて気持ちが揺らぐ。私はこんなところで命を手放していいのか? あの日誓ったことを果たさぬまま?
――無理だ。受け入れられない。負から正へと感情が転換する。
こんなところで死ねない。国を、正しい方向へ導かなければいけない。罪のない子ども達が、私のように深い地の底に落ちないように。
なら、どうするか? その答えは一瞬で決まった。
私は旧友にメッセージを送り、私を離さないリエに向かって告げる。
「ならお願いがあります。聞いていただけますか?」
「……私にできることなら、なんでも」
彼女は、涙で腫れたその目でこちらを見つめ返す。私は頷き、あの頃からのお供である睡眠薬を手に取った。
「睡眠薬を服用しすぎると、意識を失うのは知っていますね? ……よろしい。今から私は過剰摂取を行います。仮死状態になった私をブラックシートで包み、指定した場所に運んでください」
「……戻ってきて、くれますか?」
「えぇ、必ず。生き残ってみせますよ」
そう言って彼女の頭を優しくなでる。彼女は少しだけ呆けて、そして、
「……へへ」
と小さく笑った。
リエのことを撫でながら、大きく溜息をつく。そして自らに誓った。
死んで、なるものか。
彼の、本当の名前は――




