1話. 分岐点
あらすじ
『連邦』への反乱が始まってから半年――『解放連盟』は、苦境に立たされていた。消え行く夢を背負いながら、それでも彼らは最後まで抗うことを決める。
その、翌日――世界を、"何か"が襲った。
「――ッ!!」
突然右腕を襲う強烈な痛みを前に、アレクの目は覚める。痙攣し始める腕を必死に抑え、脂汗を掻きながら耐えること十数秒――先程までが嘘のように、痛みが消え去った。
多少の動悸とともに、視界が明けていく。そばには、見慣れた仕事机と少量の紅茶が残ったティーカップ。思うように働かない頭を必死に整理しつつ、昨夜の出来事を思い出し始める。
(……たしか、リエと別れた後、ノルマ外の業務も終わらせようとした、よな? いつのまにか寝ていたのか……)
大して危険なことをした覚えはない。ならば、たった今? いや、痛みに悶えていたとはいえ、侵入者を見逃すなんてありえない。
あぁ……クソ。頭がチカチカする。一度外の空気を吸いたい。ふらつきながらもドアに寄りかかり、ドアノブを回した。――部屋を出た廊下の先、薄暗い照明の中で、一人の青年が足を抱えて倒れていた。
「っ! ライアン!」
倒れそうになる足を叱咤し、うずくまる彼のもとに駆け寄った。ライアンは太腿辺りを押さえながら、苦痛に顔を歪めている。
「おい、大丈夫かライアン! しっかりしろ!」
「……先、輩?」
息も絶え絶えになりながら、ライアンは半目で問いかける。
「いったい何が起きた? 説明できるか?」
「歩いていたら、突然、痛みが……ついさっきに……」
その言葉を聞いて、戦慄せずにはいられなかった。いったい何が起こっている?
「……救護班を呼んでくる。耐えられるか?」
「もちろんですよ、先輩……自力で治してやりますよ」
ライアンは空元気を出して笑った。その意をくみ取ったアレクは、ライアンをそっと寝かせると出口へと駆け出した。
――そこにあるのは、見慣れた町ではなかった。所々に人が倒れ、意識のある人も気が動転しているのか、うずくまったり、倒れる人に向かって何かを叫んだりしている。
悪夢のような光景に絶句していると、軍服を着るアレクを認識した住民の何人かが駆け寄ってきた。
「おい……あんた、解放連盟の組織の人だよな? 何が起きてやがるんだ!? 説明してくれよ!」
「妻が急に倒れて! 脱水症状みたいで……!」
「子どもの腕から岩の結晶が――」
口々に喚きたてる彼らを必死になだめ、アレクは指示し始める。
「落ち着いてください! 我々も原因を究明中です、動ける方は家から出ず、症状が出た人は救護所へ――!」
言い切る前に、甲高い悲鳴が響き渡った。次から次へとひっきりなしに、面倒事がやってくる。
「っ……そういうことだから、頼みます! 自分はあちらの方の対応をしてきます!」
「おっ、おいっ! ……畜生、何がどうなってんだよ……!」
蜘蛛の子を散らすように彼らは走り出す。それを確認しながら、再びアレクは前を向いた。
走れば走るほど、人の声は大きくなる。焦燥感が膨れ上がる。曲がり角を曲がった先、そこには慄く人たちの人だかりができていた。
人の間を縫うように、騒ぎの元へと入っていく。辿り着いた先、中心には腕から炎を燃え盛らせる少女がいた。
空気を燃やす轟音が、辺りに響く。噴き出す熱気は、それが本物の火であることを物語っていた。
少女は恐怖に顔を引きつらせている。近くには必死に少女の名前を叫ぶ母親らしき人物と、必死に抑える住民たち。
「なぜ……?」
脳が機能を停止した。疑念の言葉が漏れ出ていた。何が起きているんだ、この街に。信じたくない光景に絶句していると――。
何人かの子どもたちが騒いでいるのが見えた。少女に対して必死に手を伸ばしている。その小さい手で大切な人を守ろうと、必死にもがいている。
その姿は、アレクの胸を強く打った。
自らが命を懸ける意味――それは『国民を守る』こと。目の前の少女一人助けられなくて、どうして軍人と言える……!
思考を極限まで研ぎ澄ます。自分にできることは、突破口は――その時、一つの事実に気がついた。
彼女の腕の皮膚が、一切灼かれていないことに。
アレクはそこに違和感を覚える。いや、そもそもあんなに炎が燃え盛ることはないはず――そして、一つの仮説にたどり着いた。
"もしあれが、絵本で見るような『異能』だとしたら?"
アレクは思考を廻し続ける。もしそうなら、倒れる人々の惨状にも説明がつく。本来なら一笑に付すが、この状況を前には否定できない。
もしそうなら、この状況の原因は……炎への恐怖が生み出した恐慌状態。つまりは、異常の暴走?
……仮説としては十分にあり得る。いや、これに賭けるしかない。なら、俺がすべきことは。
――アレクは、迷わず中心へと躍り出た。突然の出来事に、周りの大人達はフリーズする。アレクと少女の距離が最小限に縮まっていく。
そしてアレクは、躊躇なく炎がそびえる少女の両腕を両手で包み込んだ。
「おっおいあんた、何してる!?」
住民の悲鳴も意に介さず――正確には介することもできず――アレクは身を焦がす激痛に耐え続けた。皮膚を焦がす異臭が辺りに満ち、視界が真っ赤に染まる。
大人は息を呑み動くことができず、少女は突然の出来事に動くことすらできない。少女は悲痛な面持ちで、アレクに向かって叫ぶ。
「ダメ、離して! 何をして――!」
「大丈夫、だ……きみは、大丈夫。火が、きみを、襲うことは、ないから……!」
「で、でも……」
「……大丈夫」
精一杯の笑みを少女に向ける。安心できるように。痛みなんてないって、分かってもらうように。
少女は目を瞑り、腕に力を込める。段々と、炎の勢いは収まっていき――やがて、燃え盛っていた炎はぱたりと消え去った。
アレクは息を切らして項垂れる。ふと自分の腕を見ると、爛れていて直視するのも憚られるような状態だった。
あの激痛とは違って、これは火傷の痛みだ。 ……さすがに、他人には作用するか。
少女には母親と子どもたちが飛びつき、無事を喜んでいる。少女は初めは躊躇っていたが、やがて彼女らを害することがないと分かると、目に涙を浮かべて抱き合った。
静かにその光景を見つめていると、住民の一人が話しかけてきた。
「おいあんた、大丈夫か……いや、聞くのは野暮だな。歩けるか? 救護所まで連れて行くぞ」
「ぜひ、お願いします……」
ふらふらと歩き、彼の背中に身を預ける。アレクを背負って走り出した男は、信じられないという風に語りかけてくる。
「にしても、なんであの炎に手を突っ込もうとしたんだ。下手したらあんたの命が危なかったんだぞ」
「……彼女の腕、焦げてなかったん、です。なら、炎は、彼女自身の"精神"が、起こしている……言葉じゃ届かない、なら……触れて安心させるしか、なかったんです……」
言葉が途切れ途切れになっていく。アレクの視界が、暗く弾けていく中で。
(ライアンのことを、伝えなければ……)
その思考を最後に、アレクの意識は闇の底へと落ちていった。
◇◆◇
少しだけ薄暗い天幕の中で、アレクは目覚めた。微かな唸り声をあげたことに気づいた救護班の若手が、急いで医者を呼びに行く。当のアレクは、腕の痛みでうまく体を動かせなかった。
しばらくして、白衣を着た老年の医師がやってくる。彼はアレクの枕元に座り、厳かに告げ始める。
「……あんた、相当無茶をしたな。もう少し長く焼かれていたら、神経も筋肉も死んで、腕を切り落とすしかなかったぞ」
「……ライアンは……」
「参謀本部にいたあの子のことか? 彼も含めて、痛みを訴えるものは全員搬送を終えたよ」
そう言い切った後、重いため息が響く。医師は、そっとアレクの腕を手に取った。包帯にまかれ、所々が赤く滲んでいる。
「Ⅱ度の重傷だ。何とか皮膚を見つけて繋いだから治ることは治るが……しばらくは書類業務もできないな」
「そう……ですか」
「……話は聞いているよ。あんたがやった行動は正しいとは言えないが、尊敬に値するものだ。おかげで住民の被害も最小限に収まった。誇っていい」
その言葉を聞いたアレクは、大きく息を吐きだした。精神が落ち着いたことを確認した医師は、再び他の患者のもとへと向かった。
天幕のベッドの上で、アレクは再び独りになる。未だに、分からないことだらけだ。この街に何が起きたのか、あの炎は何なのか――今すぐ結論を下すことはできない。それでも。
(少しだけ、役目を果たせたかな)
安堵に包まれながら、彼は再び目を閉じた。
『真の敵とは、己の恐怖である。真の脅威とは、打ち勝った者の心である。 』
出典:『禊命』 ガルヴァネィオ 著




