0話. 果て無き不変
息が詰まる防空壕の奥、長い廊下に一つの足音が反響する。その腕の中に大小の書類を抱えながら、蒼いコートを着た一人の軍人は、大きな扉の前で足を止めた。
重厚な木製ドアを四度、規則正しく叩く。室内からの承諾の返事を確認し、彼はドアを厳かに開けた。
「失礼します」
少しだけ薄暗いその部屋に、若い声が満ちる。ドアが閉まる音とともに、奥の椅子に腰かけ、片眼鏡を掛ける壮年の将校が顔を上げた。
「遅かったじゃないか、アレク。頼んだ書類は済ませたか?」
「えぇ、もちろん。確認をお願いします」
そう言うと、青年――アレク・フォスターは、整然とまとめられた書類の山を丁寧に机に置いた。壮年の軍人はその一枚を手に取り、満足げに頷く。
「ふむ……上出来、いや、想像以上だ。遊撃隊から引っ張り出した甲斐があったというものだな」
「お褒め頂き、光栄です。これからも精進させていただきます」
「左手にある机の上、内務班作の紅茶と茶菓子がある。少し休憩していけ」
「ありがたく」と一礼し、アレクは傍の椅子に座った。一世紀前の古びた椅子が軋んだ音を立てる。座り心地が悪いなんて、日常茶飯事。気にせずに彼は紅茶を一口啜った。
「……ほど良い香りですね。産出国をお伺いしても?」
「ラガルアだ。全く……大量に茶葉を送ってくるぐらいなら、数丁の銃でも手渡せばいいものを」
「その口ぶりからして、また支援量を減らされたようですね」
重いため息が流れる中、アレクは茶菓子をほおばる。口の中に広がる甘みを楽しみつつ、彼の視線は虚空を見つめ始める。
「……広がる戦力差、支援国の撤退。連盟は、苦しくなる一方ですね」
「……初期の勢いも消え失せた。我々は消え入る運命かもしれない……だが――」
「『諦める理由には、ならない』、でしたか? 分かっています、嫌というほどに」
アレクは口の中の甘みを押し流した。ほんの少しだけ苦みが残る。苦渋を身に沁み込ませるように味わってから、彼は壮年の軍人に向き直った。
「私は諦めるつもりはありませんよ、ミロ参謀総長。この組織に入隊した日から、私の命は、失われた祖国に預けていますから」
「分かっている。何せ、私も同じだからな」
「……確かに。ここにいるのは、平和を捨てた狂人ばかりでしたね」
自嘲気味に笑みを浮かべながら、アレクはドアノブに手を掛ける。ドアを開けたとき、彼の背に声が降りかかる。
「先は、地獄の道だ。貫き通す覚悟はあるか?」
ミロの問いかけを受け、アレクは振り返り不敵に笑った。
「その先に望むものがあるならば、這いずってでも駆け抜けましょう」
ゆっくりと、扉を閉める。閉まり切ったのを確認し、彼は再び歩み始めた。
その胸に、消えない決意を抱いて。
◇◆◇
防空壕の出口をくぐると、あまりの眩しさに腕で顔を覆ってしまう。空色は憎らしいほどの快晴だ。茜色に染められた光が、世界を照らしている。 ……人が死んでも、空は変わらず美しい。
視線を下げてみる。そこには、空爆によって破壊された街並みがあった。瓦礫を縫うように人が歩き、埋めるように人が座り込む。見慣れたが見慣れないその光景に、アレクは今日も忸怩たる思いに駆られていた。
軽く歩いていると、子どもたちが駆け寄ってきた。
「「アレクさん、こんにちはぁ!」」
「おう、こんにちは。みんな、体調はどうだ?」
屈んで彼らの顔を覗き込むと、満面の笑みを浮かべてはしゃぎだす。
「元気だよ! アレクさんがおくすりくれたから、パパもママも喜んでた!」
「そうか。子どもは遊ぶのが仕事だからな、怪我無く今日も走り回ってこい!」
「「はぁーい!」」
そう応えて嬉しそうに駆け出す子どもたちを見て、自然と笑みがこぼれた。彼らを見ていると、自然と元気が湧いてくる。子どもの力とは、不思議なものだ。
余韻に浸りつつも立ち上がり、再び歩き出そうとした直前。
「やっほー、相棒。調子はどう?」
家族の声よりも、聞き馴染んだ声。アレクは即座に振り返る――そこでは、赤いマフラーをたなびかせた同年代の親友、リエ・シルヴァが、手を振りながら佇んでいた。
「リエ! 戻ってきていたのか!?」
「うん。戦闘が一時的に止んだのと、部隊の損耗が少し、ね」
「……へぇ。『紅き戦姫』が率いる部隊が、損耗が激しいと?」
「君が抜けちゃったからねぇ。多少は増えるさ」
苦々しそうに彼女は笑う。そして、そのまま向こうを指さし始めた。
「分かった、歩きながら話すか」
「流石、分かってるね」
リエが横に並んでくるのを軽く見やり、並んで足を進める。軽く風が吹き始めるのを感じる。
ほんの僅かな間の後、沈黙を破ったのはリエだった。
「それで、新しく入った参謀本部での調子はどう? うまくやれてる?」
「まぁな。書類業務がほとんどだから、むしろ退屈しているぐらいだ」
「そいつはなにより」
そう言うと、彼女は大きくため息をつく。
「……なんだよ」
「抜けてほしくなかったなぁってさ。酒呑みどもがうるさくて、『アレクがいなくて寂しい』って言って毎晩泣くんだよ」
「いい歳した大人が何言ってんだ……あとそれ嘘泣きだろ」
無邪気な笑いで空気が和む。本当ならこんな会話を続けていたいものだが……聞かなければいけないことがある。
「話は変わるが、前線の状態はどうだ?」
本題を切り込んだ彼に対し、リエは目を軽く伏せると、一瞬で空気を一変させた。戦場で幾度となく目にした、人を躊躇なく殺す軍人の顔へと変えて、彼女は言葉を紡ぎだす。
「……一言で言うなら、ジリ貧。補給やら作戦やらは君たちが頑張ってくれているからまだ何とかなっているけど、戦力差がありすぎる。
一番厳しいのは、制空圏が完全にあちらに渡っていることだね。じわじわと削られ始めた」
苦々しそうに、彼女は呟く。アレクは両腕を組んで唸った。
「……やはりか。やつら、本腰を入れ始めたようだな」
「それに、国民や兵の疲労が極限にまで来ている。いつ崩壊してもおかしくない」
そうしてリエは目線を切る。かつて建物が立ち並んだこの都市、リンゲージ。アレクとリエが、生まれ育った地。視界に広がるその景色は、瓦礫の山と化したかつての楽園を映し出していた。
リエが、ぽつりと呟いた。
「私たちが起こした反乱は、間違いだったのかな?」
「……間違いにしないために、戦っているんだろう?」
そうだった、と笑いながらリエは告げる。再び沈黙が流れた。いつしか人の声も少なくなり、歩調の合った二つの足音のみが響く。
――ふと、とあるベンチが目に入った。
「……座るか」
「……そうだね」
木の板が軋む音が重なる。地平線と交わろうとする陽の球を眺めながら、リエが再び口を開いた。
「君がマフラーをくれた日も、今日みたいに夕日が映えた綺麗な空だったなぁ」
「端の方はもう、ぼろぼろだな」
「戦場でも着けてるからね。鉄の雨に晒され続ければ、こうもなるさ」
太陽から目を離し、そっと見上げてみる。空の上が、闇に飲まれつつあった。
「……もし、勝ちの目なんてとうになかったとしても」
「ん?」
「俺は、最後まで抗い続けたい。自分の命が尽きてもな」
気づけば、声帯から意図せず言葉が漏れ出ていた。心の底にうずくまっていた、本音が。
その時、体の横に何かが突き出されるのを感じた。目は空しか捉えていないが、それがリエの拳だと理解するのに、そう時間はかからなかった。
「私にも、請け負わせてよ。最後まで、君の隣で」
「……あぁ、そうだな。相棒」
拳と拳を合わせ、静かに笑った。緩やかに死に行く夢を抱えながら、最後まで。
翌日、事態は一変する。
『家主が罪の清算を望むなら 小鳥はその元へ帰るだろう。 』
出典:『カーディアの歴史 上巻』 巻頭より




