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俺の女神は男の娘?  作者: motomaru
6/7

初めての夜


 土曜日の夕方六時。素直は押し潰されそうなほどの緊張に耐えながら、生徒手帳に書き込まれた住所の前に立っていた。


 そこは、富裕層が多い名門校に通っているとはいえ、高校生が一人で住むには贅沢すぎる、閑静な高級マンションだった。


(本当に、ここなのか……)


 震える指先でインターホンを押す。


 ほどなくして「開いてるから入れ」と、スピーカー越しに圭司のフラットな声が響いた。


 重いドアを開けて中へ進むと、生活感の薄い、洗練された空間(リビング)が広がっている。


 ソファーに深く腰掛け、スマホをいじっていた圭司が、ゆっくりとこちらへ視線を向けた。


 少し着崩した部屋着姿の彼は、制服の時よりも、どこか少し大人びて見える。


「遅れずに来たな」


 圭司は立ち上がると、品定めするように、上から目線で素直を見下ろし、ふっと薄く笑った。


「そんなに緊張するなよ、まだ何もしてないだろ。――それとも、何かして欲しいのか?」


「……っ!」


「何……?想像した?」


「ちがっ……!!」


「ぷっ!ハハハハ」


 彼は、耳まで真っ赤にして身体を強張らせている素直を見て、今度は軽快な笑い声を上げた。


 そのまま細めた目を向けながら、素直の前を通り過ぎ、キッチンへと入っていく。


「こっち来て座れよ。夕飯、まだだろ?」


 何がツボに入ったのか、彼はまだ笑いを堪え、今にも吹き出しそうな様子で、リビングと続きになったダイニングへ素直を招いた。


奥からは何やらゴソゴソと物音が聞こえてくる。


 素直は言われるがまま、おずおずと、ダイニングへ移り、椅子を引いて腰掛けた。


 どうしていいのか分からず、手持ち無沙汰にただじっとテーブルの一点に視線を落とす。


 しばらくすると、あらかじめ頼んであったのだろう。レンジで温められたデリバリー容器の料理が、素直の前に手際よく並べられた。


 それでも、ご飯だけはちゃんと茶碗に盛られている。


「食べられないものはないか?」


 箸とグラスを用意しながら、圭司が不意に尋ねてきた。


 そんな細やかな気遣いをみせる彼が意外すぎて、素直は思わず顔を上げてその姿を見つめた。


「ない……」

 

 弱々しい声が、静かな部屋に伝う。


「俺一人だから、気兼ねすることないぞ」


 その言葉がよけいに緊張を誘い、素直は膝の上に置いていた手をぎゅっと握りしめて、再び俯いた。


「食べろよ」


 向かい合わせに座った圭司が、素直を促し、自分も「いただきます」と小さく合掌して箸を取る。 


 素直も上目遣いにチラリと彼を窺ってから、すぐに視線を落として両手を合わせた。


「頂きます」


 何を話せばいいのかも分からず、ただ静かに箸を動かす素直を、圭司は特に何も言わず、正面からじっと見つめてくる。


 その視線を、素直は痛いほど肌に感じていた。


 何を食べても味がしない。こんなに味気ない食事は、生まれて初めてだった。


 両親を亡くした時でさえ、これほどひどくはなかった。


 胸が詰まるような息苦しさに、どうしても食欲が湧かず、素直はそっと箸を置いた。


「もう食べないのか?」


 少し心配しているのか、圭司がいつもとは違う優しい眼差しを向ける。


「うん……ごちそうさま」


「じゃあ、後で腹減ったら、何か用意してやるから言えよ」


 相変わらず上から目線の物言いではあったが、彼のなかに不器用な温かさを感じて、素直は自然に言葉を返していた。


「ありがとう……」


 圭司は徐に席を立つと、テーブルの上を片付け始めた。


 彼が自分に合わせ、食事を途中で切り上げてくれたのは明らかだった。


 素直は申し訳なくなって、慌てて席を立つ。


「手伝うよ……」


「いいから、座ってろ」


 肩を軽く押され、ストンと椅子に落とされた素直は、驚いて顔を見上げた。


「でも……」


 圭司は片付けを続けながら、目を合わせ、軽く微笑んだ。それは、素直が初めて見る彼の優しい笑顔だった。


 その途端、なぜかあの学園祭の日の彼女の姿が脳裏にシンクロし、ドクンと胸がざわつく。


 そんなはずはないと、分かっていても彼の顔から視線を逸らせなくなってしまった。


「俺の顔に何かついてるのか?」


「べ、別に……」


 ハッとして慌てて顔を背けた素直を、圭司は逃さないように、また上から目線のトーンでからかってくる。


「ひょっとして、俺に惚れた?」


 アンバーの瞳が、獲物を狙う鷹のように、怪しい光を放っている。


 気づくと、圭司はいつもの高飛車な態度に戻っていた。


「ま、まさか。自惚れるな……よ」


 心の内《なか》を覗かれたような気がして、素直は躍起になって否定した。


 そんな彼の慌てぶりを、圭司は楽しそうに見つめ、キッチンへと歩き出しながら、唇を微かに動かして音にもならないような声を零した。


「惚れてくれればいいのに……」


「え……」


 彼の口から漏れた小さな声は静かな部屋に溶け、はっきりと届かない。


 今、何と言ったのだろうか。そう思って聞き返した時には、もう遅かった。


 微かな呟きだけを残し、圭司は素直に背を向けて、そのままキッチンへ姿を消した。


 それは、本当に彼の言葉だったのか、それとも気のせいだったのか、素直には分からなかった。


 しばらくして、コーヒーの仄かな香りが漂ってきたかとおもうと、片付けを終えた圭司が、カップを二つ手にして戻ってきた。


 一つを素直の前に置くと、自分はリビングへ移ってソファーに深く腰を下ろす。


 リモコンを手に取り、ここでようやくテレビをつけた。


 画面が映し出され、賑やかな音が部屋を満たすが、圭司はそれに視線を向けることもせず、スマホを取り出して弄り始めた。


 その様子を横目で見ていた素直は、コーヒーに視線を落とし、カップを両手で包みこんだ。


 手の平からじんわりと確かな熱が伝わってくる。


 その温かさに、少しだけ落ち着きを取り戻すことができたような気がした。


 バラエティ番組の笑い声だけが、二人の間の奇妙な沈黙を埋めていく。


 そのまま時間はゆっくりと流れ、それ以上は何をするでもなく、お互いの気配を感じたまま、二人の初めての夜は静かに更けていった。











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