理不尽な要求
翌日、午前の授業を怒りと緊張のあまり、上の空で終えた素直は、昼休みになると直ぐに、人目を避けるようにして隣の教室から尾形圭司を呼び出した。
「話しが有る。一緒に来てくれ」
圭司が廊下へ出てくると、素直はそう言ってろくに顔を見もせず、彼に背を向けて歩き始めた。
圭司はこうなることが初めから分かっていたように、楽しげな笑みを浮かべると、素直の背中を見つめながらピタリと後をついて行った。
二人が向かったのは校舎の端、中三階にある修養室だった。
ここは実質的に懲罰室のような使われかたをしているため、休み時間でも滅多に人が来ない。
短い階段を上がり、その先の引き戸を開けて部屋の奥まで進んだ素直は、振り返って圭司を待った。
圭司も中へ入って戸を閉めると、わざとゆっくりした動作で素直の前にやって来た。
「で……?」
彼は気だるげな素振りを見せる。
正直、素直は妹を傷付けるような男の顔など見たくもなかったが、弁償の件がある以上、そうも言っていられない。
素直は自分を奮いたたせるように、逸らせていた視線を真っ直ぐに圭司へと向けた。
――そこで初めて、相手の顔をじっくり見ることとなった素直は、妙な違和感を覚えて眉を寄せた。
(この顔……どこかで見たような……彼女に……似てる……?)
一瞬、圭司とあの彼女の姿が重なって見えた。
そのせいである種の、漠然とした“何か”を感じたのだ。
しかしそれは、彼が隣のクラスで、しかも雰囲気が似ていたこともあって、なんとなくそう感じただけで、そんなはずはないと、すぐに否定してしまったのだった。
(まさかね……目の色も違うし……)
圭司は学園祭の時、黒いカラコンを入れていて、それが素直に強い印象を残す一因にもなっていた。
それに比べ、今の彼の瞳は日本人には珍しいアンバーのような色をしている。
それもやはりカラコンなのだが、それはそれで、切れ長の鋭い鷹のような目によく似合っていた。
「こんな所に連れてきて、用があるんじゃなかったのか?」
自分の顔をじっと見つめている素直に、圭司は顎を上げて、呆れたような視線で見下ろしてきた。
素直はハッと我に返り、頭に浮かんだ既視感を強引に振り払った。
今はそんなことを考えている場合ではない。
素直は感情を抑えて、極力冷静に話を切り出した。
「昨日、尾形のスマホを壊したの……俺の妹なんだ……」
「ああ……そう」
圭司はまるで初めて知ったような素振りで、素っ気なく答えた。
「それで……弁償のことなんだけど……」
「ん……?」
圭司は眉を少し上げただけで、言いよどむ素直の言葉を待った。
「スマホ代は必ず払うから……その……分割にしてくれないか?」
「俺は、一括で払うか、五回寝るか、どっちか選べと言ったはずなんだけど?」
彼の威圧的で高飛車な態度は、決して冗談を言っているようには見えなかった。
女の子との噂が絶えないと聞いてはいたが、まさか本気でこんなことを要求されるとは、思ってもいなかった。
素直は抑えていた怒りがこみ上げてきて、声を荒げた。
「そんな理不尽な要求呑めるわけない!! そんなの……売春を強要してるのと同じだろッ!?」
それに対して、圭司はこともなげに返事を返す。
「は? 人聞きの悪い。俺がいつ強要した? 俺は選択肢を与えてやっただけだ。――嫌なら一括で払えば済むことだ」
「……っ、それが出来たら……こんな所に呼び出してない……」
素直は拳を握り締めて歯噛みした。
心の中は悔しさと情けなさでいっぱいだった。
「なら、諦めて妹を差し出せよ」
時折、昼休みの階下を通る楽しげな生徒の声が小さく聞こえる中、圭司の容赦のない言葉が素直に降りかかる。
「そんなこと出来るわけないだろッ!! 妹を侮辱する気かッ!?」
圭司の不遜な態度に、素直は思わず胸ぐらを掴んで彼を引き寄せた。
圭司の端正な顔が、間近でニヤリと口角を上げる。
「まぁ、落ち着けよ」
「こんなこと要求されて、落ち着いていられるかッ!!」
素直は圭司の楽しげな様子にますます腹が立った。
「そう興奮するなって。じゃあ、こうしよう……」
圭司は自分のシャツを掴んでいる素直の手首を握って真っ直ぐに彼の目を見つめた。
「――そんなに妹がかわいいなら……お前が代わりに俺と寝ろよ――お兄ちゃん」
「え…………」
意味が分からなかった。
素直の手から力が抜け、大きく見開かれた目は圭司を凝視している。
唖然とした素直が、声を絞り出すように尋ねた。
「それ……どういう……意味……だ……」
「だから、お前が代わりに俺と寝ろって言ったんだよ」
圭司は素直の手をシャツから外して下ろさせるともう一度繰り返した。
「待て、俺は男だ……ぞ……」
独り言のように呟いた素直に、圭司は「それがどうした」というように小首をかしげ、軽く肩を竦めてみせた。
「………………」
あまりに意外な要求に、素直の怒りはきれいさっぱり削がれていた。
それどころか、魂が抜けたように呆然としている。
「妹を守るために、俺と寝る勇気がお前にあるか? ……まぁ、期限はまだ一日残ってる。どうするかゆっくり考えるんだな」
圭司はニヤニヤと笑いながらそう告げると、言葉もなく立ちつくす素直をそこに残して、立ち去って行った。
「俺が……尾形と……寝る……? そんなこと……」
一人残された素直は、ガックリと膝をついてへたり込むと、圭司が出て行った扉を見つめながら呟くのだった。




