ガラスの橋は割れた
——馬が暴れ、筆頭公爵家嫡男のエドワードが亡くなった。
真紅の眼をした女狐は見過ごせない問題行動を繰り返し、1ヶ月前に離縁されていた。ジョセフィーヌはオズワルドに媚を売るつもりだったのだろう。おそらく、父親であるダドリー侯爵の入れ知恵で。黒百合派と呼ばれる連中はなぜか、オズワルドと国王一派は敵対しているのだと思い込んでいる。それはただの彼らの希望的観測にしか過ぎないというのに。
このジョセフィーヌのやらかしを材料に、これから黒百合派を追い詰めよう、というタイミングだった。
エドワードの乗る馬車の前にいきなり渡り鳥が降り立ち、それに驚いた馬が暴れ、馬車が横転した。
不慮の事故である。
少なくともオズワルドにとって、それは青天の霹靂だった。しかし周りはそうは見ない。
オズワルドにその気がなくとも、勝手に周りが、オズワルドを悪辣に仕立て上げる。
人々は、あいつが殺したのだと後ろ指を指した。
ギルバートは息子を喪った傷心のなかでも、オズワルドを気遣った。良き友人だと思う。しかしその優しさが、オズワルドの心を抉る。
じくり、と黒い膿が心を覆う。
オズワルドの為人を決めつけ、一方的に糾弾をし、あるいは利用しようと目論む貴族連中への憎悪。
傷心の友人に気を遣わせてしまう立場への、強い罪悪感。
唯一の友人は、自分がいない方が心穏やかに過ごせるのではないか——はたして、私に、生きている意味はあるのか。厭世的な気分が晴れない。
すでに足元はヒビまみれだったが、せめて自分にできることをしなければならない。王弟としての矜持が、吊り橋の形をなんとか保っていた。
オズワルドは仮面を被り、黒百合派の頭として彼らに近づいた。もちろん、兄と友人には真意を伝えて。
今はその時期ではないと伝えると、彼らはおとなしくなった。しかし、明確に接触をしたことで、国王派はオズワルドへの警戒を強めた。オズワルドにも兄王にもそんなつもりはないのに、表面的な対立は深まっていく。
それから季節が2回ほど巡り。
王宮内は、1ヶ月後に控える王太子の結婚式の準備で活気に溢れていた。
花壇に並ぶチューリップは大きく蕾を膨らませ、アーノルドとリザベラの祝福を待ち構えているかのようだった。
自室のバルコニーから、春を待ち侘びる庭園を眺める。隣には、いつものようにギルバートがいた——このときだけは、鬱屈とした気分が晴れた。久しぶりの、穏やかで平和な時間だった。
『あのお転婆娘も、ついに王太子妃か』
『年相応の淑やかさを身につけてくれて、親としては安心しましたよ』
春の風に揺られながら、二人で、静かに笑う。
ギルバートはいつも鷹のような眼をしているが、このときばかりは柔和な親の顔を見せていた。
『次はクリスか……あの子も未来の宰相として、そろそろオズワルド殿下との機密を話さねばなるまい。そうしたら、私はいよいよ隠居ですな』
『君もまだまだ現役世代だろう』
オズワルドが苦笑すると、ギルバートも朗らかに笑った。
『そのときがきたら……殿下、二人で国内周遊でもしましょう。政治には関係のない隠居親父二人の、気楽な旅を』
『それは楽しみだな』
オズワルドの脳裏に、地方を巡ったあの頃の記憶がよぎる。
『この国が君の献身に満足したら……そのときは、そうだな。最初は国境沿いの高山で、珍しい花でも愛でようじゃないか』
——それが最後の会話だった。
この数日後、ギルバートは流行病に斃れた。
事件性なんてない。
どこにでもある悲劇の話だ。
だが、亡くなる数日前に二人が会っていたことを結びつける者がいた——王弟は遅効性の毒を盛ったのではないか。そんな噂が流れた。毒の名前が提示されたわけでも、症状の類似性が説明されたわけでもない。根拠のない、陰謀論じみた話だ。しかし、オズワルドの心を折るには十分だった。




