黒百合王弟の決心
ギルバードの葬儀の日。
オズワルドはソファにだらりと身を沈めていた。
サイドテーブルには、ワインボトルと、なみなみと注がれたグラスが置かれている。
そしてその傍らに、ベロニカの小さな花束。
ハリス家の忠誠を象徴する紫色の花を、最後に友人に添えるつもりで用意させた。
しかし、オズワルドは時折窓辺に視線を向けるだけで、腰をあげることはなかった。
周囲が揶揄するような野心はオズワルドにはないことを、
ギルバートは本当に良い友人だったことを、
彼の娘と甥の婚姻を心底微笑ましく思っていたことを——ハリス家の者たちは知ってくれているのだろうか。
彼らにまで誤解されていたら。
敵意のある視線を向けられてしまったら。
耐えられない。不安と恐怖に、部屋から出ることすらできない。
しかし——筆頭公爵家宰相の葬儀に参加しない王弟のことを、友人の葬儀に参加しない男のことを、人はどう見るだろうか。
どちらの行動を選択しても、彼らはオズワルドのことを悪きように捉える気がする。
そして、自分に向けられる視線ばかりを気にして友人を悼みきれない自分自身が、心底嫌になる。
酒を飲めば、憂鬱な現実を忘れられる。
しかし、自棄になって虚ろにワインを胃に流し込んでも、それを諌めてくれる友人はもういない。
それが虚しくて、グラスに指が伸びない。
こうして、不安と、恐怖と、あてのない焦燥感に苛まれるうちに——すでに日は暮れていて、赤い夕日が差し込み始めていた。
もう今頃は、親友は土の中で悠久の眠りについているだろう。きっと彼は、別れを惜しむ涙と感謝に包まれながら送られたに違いない。もう、葬儀は終わったのだと——懊悩する時間が終わったことに少し安心する自分に気づいて、自己嫌悪に拍車がかかった。
ゆっくりと立ち上がり、花束を手に取る。
人気のなくなった墓前に供えたい。
◇ ◇ ◇
親友の眠る墓地は、王宮の裏手にある。
オズワルドの自室からそこへ行くためには、王宮中央にある大広間を横切って、奥へと進んでいかなければならない。
ベロニカを抱えながら回廊を歩いていると、視界の奥に、こちらに向かって歩いてくる二つの人影が見えた。
何も疾しいことはないが、無意識にそばにあった小部屋に隠れ込んだ——仮にも王族がここまで卑屈になるとは。あまりの情けなさに自嘲する。
談笑する声が近づいてくる。
話に夢中になっているのだろう、その歩みはゆっくりだった。
盗み聞きするつもりは毛頭ないが、遠慮のない声量が容赦なくオズワルドの耳に届く——嘲りの含まれた声だった。
『当主と長男が死んだんだろ? 終わりだろ』クック、と堪えきれないような嘲笑が喉から漏れる音。
『いやいや、仮にも筆頭公爵家だぜ? 娘は王太子妃だし、まだ次男が残ってる』相対する声にも、せせら笑いが滲んでいた。
怒りと呆れから、無意識に手に込められた力が強くなる——くしゃり、と小さな音がして、ベロニカの匂いがふわりと漂った。オズワルドはそれに気づかず、眉根を寄せて部屋の外に意識を寄せる。
(……あの身の程知らずは、どこの家の者だ?)
声は若い。
王宮内で、人目もはばからずにこんな低俗な会話をするような愚か者が未来を担うとは。貴族連中に抱いていた失望が、裏打ちされていく。
『クリストファーか。学園で一緒だったが、あいつは峻厳さに欠けるな。お人好しだし、怖くもなんともない。親父の見立ても同じようなもんだったよ。"あんな若造、どうにでも御せる"ってさ』
『怖いなぁ、お前のご尊父は。いや、お前も十分怖いけど』
『そりゃあ、ダドリー商会を乗っ取ったお爺様の血を引き継いでいるからな。金と人間を意のままにする手腕はさすがのもんだよ。俺も早く、ああなりたいなぁ』
——ダドリー家。
黒髪と赤い瞳が脳裏にちらつき、オズワルドは舌打ちをしたくなるのをグッと堪えた。足音がちょうど、オズワルドが身を潜める扉の横を通り過ぎる。
『アーノルドはどうすんだよ。流石のダドリー侯爵家でも、王家には敵わないだろ』
『それは黒百合様に始末してもらうしかないでしょ』
自分を指す言葉が聞こえて——そして、その台詞のあまりの傲慢さに、オズワルドの心臓が一気に温度を失った。いま、この中級貴族の若造は、仮にも王家の人間に対して、なんと言った??
『でもなー、全然役に立たないんだよな、あの人。俺の妹を差し向けてるけど、全然思い通りに動かない』
『ほんとに叛意あるのかね? あの人』
『いやいや、"その気"がなかったら、あんなに噂は立たないでしょ。宰相殺したのもあの人でしょ、どうせ』
クツクツと笑い合う声が遠くなる。
握りしめた両手は、色を失っていた。
怒りと憎悪と失望で、呼吸が荒くなる。肩が震える。
——そうしてしばらく茫然と立ち尽くした後、オズワルドはゆっくりと回廊に出た。
『…………価値はあるのか………………………………いや、ないな』
のろのろとした足取りで、裏手に向かう。
◇ ◇ ◇
陽は沈みかけて、薄紫色の空が墓影の上に広がっていた。
まだ柔らかい土に跪き、瞳を閉じて静かに祈る。
ベロニカの花束は、強く握られて元気をなくしていた。
それでも、その花束を親友の墓前に捧げる。
——追慕、感謝、そして小さな決意。
ゆっくりと瞼をもちあげる。
その双眸は座っていて、もはや光は残っていなかった。




