ハリス家の矜持
失礼します、と慇懃な礼をして部屋に入ったのは、ギルバートの一人息子、次期宰相のエドワード・ハリスだった。
オズワルドとギルバートが向かいあうテーブルの脇に着くと、エドワードは膝をつき、オズワルドへ頭を上げた。
『ハリス家の長子、エドワード・ハリスと申します。父・ギルバート・ハリス宰相のもとで、秘書官として働いております。オズワルド殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう』
オズワルドは、視線でギルバートに続きを促す。
『——我が息子とダドリー嬢を婚姻させようかと考えております。彼女には、我々の手のひらの上で踊ってもらう』
オズワルドは絶句した。
それはあまりにも——宰相家に犠牲を強いすぎるのではないか。脳裏に、婚姻を決めたばかりのアーノルドの顔が思い浮かんだ。王家とハリス家は、子世代も友好関係を築いている。ハリス家の次男がアーノルドと同い年で、その二人は親友と呼べる仲の良さだが、エドワードも歳の離れた兄のような立ち位置で、アーノルドもかなり心を許している。かたや自身の見初めた相手との平和な婚姻を結び、かたや檻として政敵を囲い込む。
きっとハリス家ならなんとかしてくれるだろうという安堵と、友人が味方でいてくれる嬉しさと、その友人に負担を強いる悔しさと——臣下である貴族たちを御しきれない自分自身への強い失望。
咄嗟に言葉を返せないオズワルドに、エドワードは意思の強い瞳を、ギルバートは静かな笑みを返した。
『ハリス家は王家に尽くします。黒百合派などという名前だけは瀟洒なやつらを放置することは、我が一族の矜持が許さない。ウォルコック家は歴史の長い貴族らしく狡猾ですが、ダドリー家は成り上がり欲が強すぎる分、それよりも御し易い。ジョセフィーヌ嬢が尻尾を出せば僥倖、黒百合派弱体のための一手にできる』
『表向きはオズワルド殿下の引き合わせ、ということにしましょう』
『あの女に、自分はスパイになれたと思い込ませるのです』
親子は交互に語る。オズワルドは俯き、右手で目元を覆い隠しながら、黙ってそれを聞いていた。
『そのためには……殿下に多少、心苦しい立ち回りをしていただかないといけません』
『ダドリー嬢を、受け入れる、フリを、か』
オズワルドはゆっくりと顔をあげる。真蒼の瞳には、影がさしていた。ハリス親子は、それをジョセフィーヌへの嫌悪感だと解釈した。自嘲だとは思いもよらない。
『……構わないさ、そのくらい。エドワードくんの犠牲に比べたら、その程度のことは造作ない』
『ありがとうございます、殿下。このことは、ここにいる三人と、陛下だけの話としましょう』
それが妥当だ、とオズワルドも思った。こうした諜報ごとは、船頭を多くしても何もいいことがない。いずれアーノルドの耳にも入れるべきだろうが、彼はまだ若い。
返事の代わりに頷くと、エドワードも深く頭を下げた。
◇ ◇ ◇
エドワードは退出し、部屋にはオズワルドとギルバートの二人が残る。
『私は君たちに甘えてばかりだな』旧知の友人を相手に、つい愚痴がこぼれる。
『それが、公爵の位を賜る我々ハリス家の、存在意義です』ギルバートは事も無げに返す。
『殿下は、我々の敬愛する王家の一員です。髪や血でそれが否定されてはならない。だってそうでしょう、それが重要視されるのならば、妃選びの条件に入れるべきなのですから』
ギルバートは、ワイングラスをゆっくりと揺らした。オズワルドはなぜか、その仕草をまっすぐ見ることができなかった。
『……そのくだらぬ慣習を黙らせるほどの能力が、私にはなかったのだ』
『はなから色眼鏡をかけている連中に、誰の真価も分かりますまい』
『そう言ってくれる友人がいて、私は幸福だよ』
オズワルドは自嘲気味に笑った。
じわじわと澱む憂鬱のなかで、それでも多少は笑っていられるのは——まっすぐな王たる兄と、理解者でいてくれる友人のおかげだろう。大事にせねばなるまい。私の存在が、彼らの為政を脅かしてはならない。
『最近な、自分が怖いんだ。王家とハリス家以外の人間に、あまりに価値を見出せず……こんな国はどうでもいいとすら思えてしまう』
そしてオズワルドは、やろうと思えばそれができてしまう。ガラスの吊り橋を渡っているような感覚。いつか足元が割れて——闇に堕ちて、王国諸共自滅の道を歩んでしまうのではないか。そんな不安に、近頃苛まれていた。珍しく弱音を吐くオズワルドに、ギルバートは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
『大丈夫ですよ。私がそうはさせません』
その友人の笑みに、確かにオズワルドは救われたのだ——はたしてあのとき、オズワルドはなんと返事をしただろうか。同じような笑みを返した気もするし、王家と公爵家の垣根を超えて、感謝の意を言葉にしたかもしれない。今となっては思い出せない。




