三十四話 睡眠は逃走中
ランキング15位のジ・エンドを倒してから数日後。俺はランキング5位の猛者との試合に臨んでいた。
相手は間合いを熟知した熟練の闘士だったが、俺が仕掛けた『緩急』の前に、手も足も出なかった。
基本は通常通りに詠唱を行い、相手に「魔法の発動タイミング」を誤認させる。相手が詠唱の隙を狙って一直線に踏み込んだ瞬間——【無詠唱】の土魔法を足元に滑り込ませた。
「なっ……詠唱が、ない……!?」
タイミングを完全に狂わされた相手の体勢が大きく崩れる。そこへ通常詠唱で溜めておいた炎魔法を一撃。戦いは、拍子抜けするほどあっけなく決着がついた。
「勝者ーーーーッ!! ランキング5位をも瞬殺! 疾風怒濤の虎頭、『ティガーマスク』だぁぁぁぁぁッ!!」
鳴り響く大歓声。魔力消費も最小限に抑えられ、前回の死ぬような疲労感は嘘のようにない。手応えは完璧だった。
俺が短剣を収め、リングを下りようとしたその時——会場の空気が冷たく張り詰めた。
観客席の最上階、VIPエリアの鉄格子が開き、一人の男がゆったりと姿を現した。
全身から放たれる禍々しい覇気。この地下格闘場の頂点に君臨する、現王者だ。
王者は眼下の俺を見下ろすと、ニヤリと口角を上げ、太い指先でまっすぐに俺を指さした。
「おい、虎の被り物。来週のメインイベント……俺の相手はお前だ」
会場が一瞬静まり返り、次の瞬間、爆発的な怒号のような歓声が巻き起こった。
(チャンピオン直々の指名、か……)
俺は虎の被り物の奥で口元を緩めた。
王者との一戦となれば、ファイトマネーもこれまでの比じゃない額になるはずだ。資金稼ぎとしてはこれ以上ない最高の一戦になる。
「……いいぜ。受けて立つ」
来週、この王者との試合を最後に、この地下格闘大会からは手を引こう。
手に入れた大金を持って、一ヶ月の期限通りに太川と低須と合流する。
悪魔の力を組み込んだ『無詠唱の緩急』の完成度を試す最終実験としても、申し分ない相手だ。
俺は静かに決意を固め、待機席で待つリゼのもとへと歩き出した。
試合を終え、俺とリゼは裏街の小さな大衆食堂で夕食をとることにした。
テーブルの上に運ばれてきた温かいスープと肉料理を前につつきながらも、リゼはどこか浮かない顔で黙り込んでいる。
「……本当に受けるつもりなの? チャンピオンとの試合……」
リゼはスープの皿をスプーンでぽつぽつとつつきながら、眉をひそめて俺を見つめてきた。
「さっきの試合で勝ったのはすごいと思うけど……チャンピオンは次元が違うって、周りの観客たちも言ってたわ。あそこは殺し合いも同然の場所よ? 稼ぐためとはいえ、そこまで命を懸ける必要なんて——」
心配そうに言葉を詰まらせるリゼの顔を見て、俺は思わず口元を緩めた。
「なんだよリゼ、俺のことがそんなに心配か?」
少しからかうようにニヤリと笑って見せると、リゼの顔が一瞬で真っ赤になった。
「っ……バ、バカ言わないでよッ! 誰が心配なんて……ッ!」
慌てて首を振るリゼだったが、すぐにふいっと目を逸らし、蚊の鳴くような声で呟いた。
「……心配するに決まってるじゃない。もし小輔に何かあったら……私……」
その真剣な眼差しと真っ直ぐな言葉に、からかおうとした俺のほうが思わず毒気を抜かれてドギマギしてしまう。
(あ、危ねぇ……! リゼの素直なリアクション、破壊力高すぎるだろ……ッ!)
俺は慌てて咳払いをして誤魔化すと、真面目な顔を作ってリゼに向き直った。
「……大丈夫だ。無茶な戦い方はしない。新しい戦術の手応えも掴めたし、来週の試合でガッツリ勝って、この大会からは足を洗う。そうすれば旅の資金も一気に貯まるからな」
「……絶対に無事に帰ってきてね。約束よ?」
「ああ、約束だ」
二人で夕食を終え、安宿の部屋へと戻った俺たち。
来週のチャンピオン戦、そしてその先で待つ仲間たちとの合流に向け、俺は短剣の手入れをしながら、静かに集中を高めていくのだった。
部屋のベッドに目をやれば、無防備に寝息を立てるリゼの姿。
しかも暑いのか、いつも少し肌けた薄着で眠っている。
(あ、アカン……!! 俺の理性が限界突破して飛びそうだ……!!)
ただでさえ前夜の告白で意識しまくっているというのに、この一ヶ月の同居生活は小輔の精神力を削り削り削り尽くす拷問のような毎日だった。
(ダメだ、外に出て頭を冷やそう……ッ!!)
幸い、俺の身体は【三十分睡眠】で全回復する仕様だ。
リゼが熟睡に入った深夜、俺はいつものように暇を持て余し、火照った身体と頭を冷却するために静かに部屋のドアを開けた。
夜の冷たい空気を吸い込もうと、安宿の路地裏へと一歩足を踏み出した——その時だった。
(……!? なんだ、この気配は……ッ!!)
闇に紛れて、カチャリ、カチャリと金属が擦れ合う音が静かな裏街に響いている。
身を潜めて建物の影から通りを覗き込むと、そこには松明を手にした十数人もの【騎士】たちが、この安宿を完全に取り囲むように配置につく姿があった。
(なっ……なんで騎士団がこんな裏街に大挙して押し寄せてるんだ!? まさか……教会で顔を見られたリゼの居場所がバレたのか!?)
もしリゼが見つかれば、「バケモノ」として捕らえられるか、最悪その場で処刑されかねない。
(冗談じゃないッ!!)
俺は頭を冷やすどころか血の気が引くのを感じながら、足音を殺して猛ダッシュで部屋へと引き返した。
バタンと静かにドアを閉め、ぐっすり眠っているリゼの肩を激しく揺さぶる。
「リゼ! リゼ、起きろッ!! 緊急事態だ!!」
「ん……んん……小輔……? どうしたの、こんな夜中に……」
目をこすりながら起き上がるリゼに、俺は短剣を腰に差し込みながら低く鋭い声で告げた。
「外を騎士団が包囲してる! おそらくお前の捜索か、裏街のがさ入れだ! 今すぐここを出るぞ、逃げる準備をしろッ!」
「えっ……!? 騎士が……!?」
顔を蒼白にするリゼを横目に、俺は身バレを防ぐための絶対の相棒——『ティガーマスク』を頭からスッポリと被り直した。
虎の頭部に身を包み、鋭い眼光を暗闇に光らせる。
「大丈夫だ、俺が絶対に逃がしてやる。行くぞ、リゼッ!!」
(何か部屋に残った物から正体が割り出されたら面倒だ……! それに、火災を起こせば騎士たちの注意を一瞬でも逸らせる!)
俺は躊躇なく、無詠唱で部屋の真ん中に向かって【炎魔法】を解き放った。
ボォッ!!!
一瞬にして勢いよく炎が広がり、安宿の部屋が激しい赤に包まれる。
「火事だーーーッ!?」「おい、2階の部屋から火の手が上がったぞ! 消火班と突入班に分かれろッ!」
狙い通り、騎士たちの怒号と混乱の声が路地に響き渡った。燃え盛る部屋へと向かって駆け出す騎士たちの隙を突き、俺はリゼの手を強く握りしめた。
「今だ、走るぞリゼッ!!」
「うんっ……!」
裏口の影から一気に飛び出し、暗い路地裏へと滑り込む。逃げ切れるかと思った——その直後。
「待てッ! 虎頭の奴と人形女だ! あっちへ逃げたぞ、追えーーーッ!!」
「ちっ……やっぱりそう簡単にはいかねぇか!」
目ざとい騎士に見つかり、甲冑をジャラジャラと鳴らす足音が背後から一斉に追いかけてくる。
「ハァ……ハァ……っ、小輔、私……っ!」
「喋るな、息が切れる! 俺の手を絶対に離すなよッ!」
俺はリゼの小さな手を引き剥がされぬよう固く握りしめ、入り組んだ裏街の細い路地をがむしゃらに駆け抜けた。
左右へ折れ曲がり、積み上げられた木箱を飛び越え、足場の悪い夜の街を疾走する。虎の被り物の奥で視界が狭まる中、追撃の騎士たちの気配を鋭く探りながら、俺は次の手を頭の中で高速で計算していた。「おいッ! こっちだ、虎の兄ちゃん! はやく入れッ!!」
入り組んだ路地の影から、突如として開いたドア。そこから現れたおっさんが、必死の手招きで俺たちを呼んでいた。
「なっ……!?」
一瞬警戒したが、背後からは騎士たちの甲冑の音が刻一刻と迫っている。背に腹は代えられない。俺はリゼの手を引いて、そのまま店の店内へと滑り込んだ。
パタンとドアが閉められ、カギが厳重にかけられる。
直後、店の前の通りを「あっちだ! 追えッ!」と大勢の騎士たちが足音を荒らげて走り去っていった。
「はぁ……はぁ……っ、助かった……」
荒い息を吐きながら胸を撫で下ろしていると、店を開けてくれたおっさん——その店の店長が、ニカッと豪快な笑みを浮かべて俺の肩を叩いた。
「いやー、間一髪だったな! まさか本物の『ティガーマスク』が騎士に追われてうちの店の前に逃げ込んでくるなんて思わんかったよ!」
店長の視線は、俺が被っている虎の頭部に向けられていた。
「おっちゃん……俺のこと知ってるのか?」
「知ってるも何も、俺は大ファンなんだよ! ジ・エンドを瞬殺した一戦も、先日の5位を仕留めた試合も、リングサイドでバッチリ賭けて大儲けさせてもらったからな! 命の恩人を見殺しにできるかよッ!」
(まさか地下格闘大会のファンに命を救われるとは……! どこで何が役に立つか分からないもんだな……)
店長は快く俺たちを店奥の小部屋に隠してくれ、冷たい水まで振る舞ってくれた。
それからしばらくして、周辺を捜索していた騎士たちの気配が完全に消え去り、夜の街に静けさが戻ってきた。
「もう大丈夫そうだぞ、虎の兄ちゃん。裏口から出れば安全だ」
「助かったよ、店長。本当にありがとな」
「気にすんな! それより来週のチャンピオン戦、絶対に勝ってくれよな! 俺、ありったけの金をあんたに賭ける予定だからよ!」
「ああ……任せとけ。勝ってドカンと稼がせてやる」
俺は店長と力強い握手を交わすと、リゼを伴って店の裏口からそっと外に出た。
「……よかったわね、小輔。世の中、どこに味方がいるか分からないわね」
安堵の息を漏らすリゼの隣で、俺は夜空を見上げた。宿は燃やしてしまったが、命と軍資金があればいくらでも立て直せる。




