三十三話 睡眠は無詠唱魔法
地下格闘場の熱気は、すでに最高潮に達していた。
薄暗い会場を照らす松明の火と、観客たちの興奮した怒号が混ざり合い、空気が肌にビリビリと伝わってくる。
「さあ! 本日のメインイベントーーーッ!! 前回、満身創痍のランカーを不意打ち同然でブチのめし、突如として裏社会に現れた謎の虎頭——『ティガーマスク』!!」
音魔法陣から、解説者のハイテンションな声がガンガンと響き渡る。
「下馬評は真っ二つだーッ!『前の試合はただの漁夫の利! 実力は本物じゃない!』という懐疑的な声があれば、『あの無駄のない跳躍と一撃の重さはランキング一桁クラスだ!』という絶賛の声も飛び交っているーーーッ!!」
観客席からは「騙されるな、あんな被り物野郎殺しちまえ!」と、罵声と歓声が入り乱れて飛び交う。
(よし……下馬評が割れてるなら、俺の勝ちに賭けるオッズも跳ね上がってるはずだ。ファイトマネーも跳ね上がるな……!)
俺は腰に差した二本の短剣の柄にそっと触れ、装備の感触を確かめた。この大会のルールは単純にして苛烈——『相手が倒れて動かなくなるまで』の無制限バトル。一歩間違えれば命を落とす危険なリングだ。
「そして……! その怪しき虎頭を迎え撃つのは、この男だーーーッ!! ランキング15位、無慈悲なる処刑人……『ジ・エンド』ーーーッ!!」
鉄格子が重々しい音を立てて上がり、対戦相手が入場してきた。
身の丈二メートルはあろうかという巨体。全身傷だらけの筋肉に覆われ、両手には身の丈ほどもある巨大なバトルアックス(戦斧)を軽々と担いでいる。その鋭い眼光は、まさに獲物を屠る肉食獣そのものだった。
「ガーッハッハッ! 虎の被り物とはいい度胸だなぁ、小僧!」
ジ・エンドが巨斧を床に叩きつけると、激しい衝撃音と共にリングの石畳に亀裂が入った。
「そのふざけた頭、俺の斧で首ごと叩き斬って『ジ・エンド』にしてやるよッ!!」
「解説も大興奮! 殺気ムンムンのジ・エンドに対し、ティガーマスクは静かに短剣を構えたーッ! 命を賭けた無制限デスマッチ……間もなく、開戦だーーーッ!!」
鐘の音が、高らかに響き渡った。
ゴオォッ……!!」
大歓声の中、ジ・エンドが巨斧を両手で激しく振り上げた。その刃にはめ込まれた魔石が鈍く輝き、凶悪な魔力が渦を巻く。
(へえ……このレベルになると、武器に魔力を纏わせて叩き込むのが当たり前なのか)
迫り来る巨斧の威圧感を冷ややかに受け止めながら、俺は頭の中で思考を加速させた。
この地下格闘大会は、ただ金を稼ぐだけの場所じゃない。いずれ立ち向かうことになる「人形使い」との戦いを見据え、自分の戦術を実験・進化させる絶好の検証場だ。
目指すは——エリカの魔法指導者だった先生のような『無詠唱』の実践。
昨日、宿に帰る前に練習をした。一度契約をした魔法を放つ時のイメージはできた。無詠唱は普段の3倍の魔力をこめてイメージすることによって無詠唱魔法が放てた。莫大な魔力を体内で一気に練り上げ、手元の短剣ではなく、ジ・エンドの顔面へ向けてダイレクトに指向させた。
(いける……ッ! この力技、魔力量が破格な俺やあのフィン王子みたいな規格外にしか許されない特権だ! 普通の魔法使いなら一発で魔力枯渇を起こすから、生涯気づきもしない……!)
「死ねやぁぁッ、ティガーマスクーーーッ!!」
振り下ろされる巨斧。その瞬間、俺の覚醒した無詠唱魔法が怒涛の三連撃となってジ・エンドを襲った。
「ぐおっ!?」
まずは第一弾——【無詠唱・土魔法】。
ジ・エンドの至近距離で土塊を炸裂させ、その両目を完全に目潰しする。攻撃の軌道が大きく逸れた。
俺は一瞬で懐へ潜り込むと、巨体の耳元へ短剣の柄を押し当てた。
第二弾——【無詠唱・音魔法】。
至近距離で鼓膜を直接破壊する高周波の衝撃音を叩き込む。ジ・エンドの巨体が「あがっ……!?」と脳を揺らされて激しくぐらついた。
そしてトドメの第三弾——【無詠唱・炎魔法】。
無防備になった胸板へ、ゼロ距離から凝縮した炎の爆破を叩き込んだ!
ドゴォォォォンッ!!!
「がハッ……!?」
炎の衝撃波と共に、二メートルを超えるジ・エンドの巨体が宙を舞い、リングの石畳へ豪快に崩れ落ちた。ピクリとも動かない。
静まり返る会場。次の瞬間、爆発するような大歓声と【拡声の音魔法陣】から実況の悲鳴にも似た叫びが響き渡った。
「勝者ーーーーッ!! 瞬殺! 圧倒的瞬殺!! ランキング15位ジ・エンドを沈めたのは……謎の新人、『ティガーマスク』だぁぁぁぁぁッ!!」
「うおおおおおッ!!」「強すぎだろあいつ!!」「ティガー! ティガー!」
地鳴りのような歓声を聞きながら、俺は膝に手をつき、荒い息を吐いた。
(はぁ……はぁ……っ、くそ……なんだこれ……)
全身の細胞が悲鳴を上げている。激しい吐き気と、頭を直接殴られたような強烈な倦怠感。
(こんな疲労感……初めてだ……。無詠唱自体は成功したけど……通常の三倍の魔力を、しかも『三連続』で消費するのは……いくら俺の魔力量でも無茶が過ぎる……っ)
倒れたジ・エンドを見下ろしながら、俺は自分の手が激しく震えているのに気づいた。
無詠唱という強力な手札を手に入れた代償は、想像以上に重かった。これじゃあ、もし本物の「人形使い」と戦うことになった時、連戦なんて到底持ちこたえられない。
(もっと効率化しないと……使い物にならないぞ……)
熱狂する会場の隅で、俺は虎の被り物の奥から、重い足取りで控室へと向かうのだった。
「はぁ……はぁ……っ、くそ……」
安宿へと戻る道すがら、俺は路地裏の壁に手をつき、荒い息を吐きながら己の愚かさを噛み締めていた。
魔力で無詠唱化し、連続で放つ——確かに威力と意外性は抜群だったが、魔力を通常の三倍も消費するリスクはあまりにもデカすぎる。実戦でこれを乱用すれば、連戦になった瞬間に魔力切れで自滅するのがオチだ。
(……使い方を間違えてたな)
冷静になった頭で、俺は試合の攻防を再構築する。
(毎回が無詠唱である必要はないんだ。普段はしっかり詠唱を行って魔力消費を抑え、相手がこちらの『詠唱の隙』を狙って踏み込んで来た、その瞬間にだけ——不意を突く『無詠唱』を混ぜ込む)
「詠唱による一定のテンポ」と「無詠唱によるゼロラグの急襲」。
戦闘の中に『緩急』を生み出し、相手の回避や防御のタイミングを完全に狂わせる。そして、できた決定的な隙に致命的な有効打を叩き込む。
これなら魔力消費を最小限に抑えつつ、相手にとっては回避不能の初見殺しとして機能するはずだ。
(よし……次の試合からはこの『緩急戦術』を試してみるか)
魔法をより実戦的に昇華させる手応えを得て、俺は安宿のドアを引き開けた。
部屋の中では、リゼが心配そうな顔で俺の帰りを待っていた。
「おかえり、小輔……! 試合、勝ったのね? ……って、すごく顔色が悪くない!?」
「あぁ……ちょっと新しい技の実験をしてな。魔力を使いすぎてバテただけだ」
心配して駆け寄ってくるリゼに苦笑いを返しつつ、俺はメトロポリス王国への決戦、そしてその先に待つ『人形使い』との戦いに向けて、静かに拳を握りしめた。




