二十七話 睡眠はカウンター
低須枝弥は迅速だった。動揺する子供たちを落ち着かせると、手際よく教会の地下避難場所へと誘導していく。
「みんな、落ち着いて僕についてきてくださいね、はい。中に入ったら絶対扉を開けちゃダメですよ。分かりますね?」
扉の鍵を確実にかけると、低須はメガネの奥の目を険しく光らせ、太川たちの元へと急ぎ駆け戻った。
一方、太川の脳裏には怒涛のような後悔が押し寄せていた。
(俺のせいだ……! 俺を狙ってきた刺客のせいで、クララちゃんが……!!)
一瞬、胸を潰されるような罪悪感に押し潰されそうになる。だが、太川のメンタルは並の格闘家のそれではない。
「……考えるな! 今は後悔してる場合じゃないでしょ!!」
太川は歯を食いしばり、一瞬で思考を切り替えた。今ここで俺が折れたら、小輔も低須も子供たちも全員殺される。強いメンタルと圧倒的な切り替えの早さこそが、アスリートとしての、そして太川ホワイトデーの真の強さだった。
人形使いは、絶望のあまり地面に膝をつく小輔を薄汚い目で見下ろし、下品に笑い続けていた。
「私はねぇ、毎日死にたいと思いながら生きてるんですよねぇ……。くだらない日々の繰り返し。自己嫌悪と他者の見下しが止まらない……。でも、死ねないんですよね。強すぎて……」
自分の首をさすりながら、心底うんざりしたような、しかし狂気に満ちた声で言葉を紡ぐ。
「羨ましいですよ、簡単に死ぬ人たちを……。噂によるとそのシスターも不老で長生きらしいですが……不死ではなかったんだなぁ。ククク、ククククク……!」
人形使いの不気味な嘲笑が、惨劇の庭に響き渡る。
「おい……」
太川の低い声が漏れた。全身から溢れ出る魔力が、激しい炎となって小柄な体を包み込んでいく。
「おいおいおい……待て待て待て。いつまでベラベラと自分語りしてんだよ……」
太川の眼光が、命を刈り取る獣のように鋭く研ぎ澄まされる。もう、一秒たりとも待つ気はなかった。
「てめぇのくだらない人生なんざ、ハナから興味ねぇんだよ!! ぶち殺してやるッ!!」
人形使いは嘲笑いながら、血に濡れたツルハシを大きく振りかぶり、太川の脳天に向かって容赦なく振り下ろした。
しかし、太川の目は冷たく澄み切っていた。
「甘いんだよ……ッ!!」
太川は避けない。覚悟を決めた眼光のまま、振り下ろされたツルハシの刃をあえて左腕で直接受け止めた!
ガツンッという鈍い肉体音と骨の軋む衝撃が太川を襲う。だが、その激痛こそが太川の真骨頂だった。
太川の得意技——受けた攻撃の威力をそのまま何倍にも増幅して打ち返す『5倍カウンター』。
「お前のその重い一撃……5倍にして突っ返してやるよッ!!」
左腕で受け止めた衝撃とダメージを一気にエネルギーへと変換し、沈み込ませた右拳に全魔力を集約させる。破砕音と共に繰り出された右ストレートが、人形使いの胴体の真ん中に激突した。
ドッッッパン!!!!
凄まじい衝撃波が巻き起こり、人形使いの胴体に大きな空洞が穿たれた。木屑と金属片、謎の魔力器官が派手に飛び散る。
普通なら即死、あるいは動くことすら不可能な大穴だ。
しかし——人形使いは顔色ひとつ変えず、大穴の開いた胴体のまま、残った腕で再びツルハシを握り直し、太川へ向けて狙いを定めた。
(痛覚がない……ッ! 身体が吹き飛ぼうが、動く仕組みさえ生きてりゃ止まらねぇのかよ!!)
太川が肉薄したまま次の回避体勢に移ろうとした、その時だった。
「うおおおおあああああああッッ!!!!」
後ろから、喉を灼くような怒号が響き渡った。
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにした小輔が、絶望を怒りへと変え、両手に短剣を握りしめて飛び出してきたのだ。
小輔は全霊を込めて短剣を激しく振り抜く。
銀閃が二閃。
ザシュッ!! ガキンッ!!
「……ガッ!?」
人形使いの関節球体と接続部が見事に切断され、ツルハシを握っていた両腕がポロリと地面へ落ちた。
「ナイスだ、小輔ッ!!」
太川はその隙を見逃さず、左腕を速やかに引き抜くと、爆発的なバックステップで一気に距離をとった。両腕を失った人形使いは一瞬目を見開き、少し焦ったような素振りをみせた。だが、すぐに冷酷な目つきで周囲の状況を観察し始めると、物陰で腰を抜かして泣いている逃げ遅れた子供の姿を目ざとく見つけた。
人形使いは、不気味な関節音を立てながらその子供へと急接近し、勝ち誇ったように叫んだ。
「両腕がないと自害ができないとでも思ったか? バカ目がッ!!」
人形使いは体勢を崩しながら、力任せに地面の巨大な岩へと自らの頭部を叩きつけた。
バキッ、と骨と木片が砕け散る酷い音が響き、頭部を粉砕された人形使いは再び沈黙し、地面へ崩れ落ちた。
「ひ……あ……っ!?」
逃げ遅れた子供が恐怖に顔を引きつらせた、次の瞬間だった。
「がはっ……!!」
子供は急激に激しく吐血し、絶叫を上げる暇もなく、その頭部が内側から潰されたようにグシャリと弾け飛んだ。あまりにも容赦なく、理不尽すぎる身代わりの死。
そして——地面に転がっていた人形使いの壊れた体、飛び散っていたパーツ、そして切断された両腕が、まるで強力な磁石に引き寄せられるように一斉に動き出した。
ガチンッ! ガギギッ!
パーツが一瞬で組み合わさり、頭部の亀裂も綺麗に塞がって元通りになる。転がっていたツルハシを拾い上げ、何事もなかったかのように立ち上がった人形使いは、心底愉しそうに不気味な笑みを浮かべた。
「太川ホワイトデー、あなたさえ死んでくれれば私の任務は完了するんですよぉ。だから早く死んでくれませんかねぇ……?」
人形使いはツルハシを肩に担ぎ直し、太川と小輔を嘲笑うように首を傾げた。
「あなたのせいで、子供二人と有名なシスターが一人死んでるんですよぉ? ククク……全部、あなたの存在が原因なんですからねぇ」
(太川が何か狙われる理由があるのかもしれないけど関係ない)
「悪魔【フラメ】——熾火と焦熱を司る者よ、その猛威を示し立ちふさがる全てを焼き尽くせ! 名は峰小輔」
小輔が必死の覚悟で詠唱を紡ぐと、両手の短剣に轟々と荒々しい爆炎が纏い立った。
もうこれ以上、一人の被害者も出してはならない。
首を切断して二度と自害などできないように完全に無力化する——それくらい徹底して追い詰めなければ、この理不尽な悪夢には勝てないのだ。
「小輔、待て!! 焦るなッ!!」
太川が戦闘体勢に入り、制止の忠告を叫ぼうとした瞬間、怒りと焦燥に駆られた小輔はすでに飛び出していた。炎を纏わせた二本の短剣を交差させ、一心不乱に人形使いへ襲いかかる!
しかし、人形使いの反応は冷酷かつ異常なまでに迅速だった。
ガギィィィンッッ!!
小輔の炎の斬撃を、人形使いは持っていたツルハシの柄で完璧に受け止めた。炎が周囲に散らばるが、痛覚のない人形には一切怯みすらない。それどころか、人形使いの体から人間離れした凄まじい怪力が発揮される。
「ハッ、威勢だけは一人前だなぁッ!!」
「ぐ、あ……っ!?」
押し返された小輔の体制が大きく崩れる。その隙を逃さず、人形使いは重厚な脚を鞭のようにしならせ、小輔の胴体へ力任せの蹴りを叩き込んだ。
ドゴォォォンッッ!!
「がはっ……──────!!」
鼓膜を突き破るような衝撃音が響き渡り、小輔の身体は羽毛のように軽々と空高く蹴り上げられた。
暴風を置き去りにしながら孤児院の上空を突き抜け、そのまま遠く離れた住宅街の家の屋根へと、猛烈な勢いで吹き飛ばされていった。
凄まじい落雷のような破壊音を聞きつけ、低須が現場へ疾走してきた時には、すでに惨劇は終わっていた。
目の前には、無惨に命を奪われた子供二人。
そして、この孤児院で子供たちを温かく見守り続けてきた育ての親——クララの首が転がっていた。
「……っ……」
流石の低須も、いつもの軽妙で落ち着いた表情を保ち続けることはできなかった。
静かにメガネの位置を直すその手が、微かに、しかし明確に震えている。眼鏡の奥の瞳には、言葉にならない静かな怒りが燃え盛っていた。
(……あー、なるほど。これは、そういうわけですか……)
普段の動画解説のような飄々とした面影は微塵もなく、低須の周囲の空気が重く冷たく沈んでいく。
(私の『メスの魔法』を使えば、あの人形を精密に切断してギタギタに刻むことは可能でしょうか……? ……いや、ダメですね)
低須は怒りに狂いそうになる思考を、持ち前の明晰な頭脳で強引に引き戻し、冷徹に脳内計算を弾き出した。
(今の私には、あのアニメーションのように動く異形の人形の『内部構造(仕組み)』についての十分な知見が足りていない。加えて……認めざるを得ませんが、この惨状を前にして私自身、現在の冷静さを欠いている……。この状態では、メスの魔法による精密な医療的切断・無力化はおそらく成功しないでしょうね、はい)
低須は状況を客観的に推測し、感情に任せた軽率な攻撃を思いとどまった。
そして、小輔が吹き飛ばされた方角と、目の前で圧倒的な殺気を放つ人形使い、そして全身の魔力を滾らせる太川の背中を、険しい視線で見つめた。




