二十六話 睡眠は最恐の人形使い
太川は、こいつの顔に見覚えがあった。
「……おいおいおい、待て待て待てッ!! 嘘でしょ!? なんでお前がここにいやがるんだよ……!!」
太川の顔から一気に血の気が引き、額からドッと冷や汗が吹き出す。
太川を暗殺するために、裏でずっとしつこく命を狙い続けてきているあの『人形使い』だ。
「みんな逃げろッ!! 全員、今すぐここから離れろ!! いいから黙って逃げろって!!」
太川は喉が千切れんばかりの大声で、クララや低須、子供たちに向かって叫んだ。
こいつだけは、マジで戦っちゃいけない相手なんだよ。
依頼を受けたら最後、ターゲットを絶対に逃がさない——暗殺成功率100%という、あまりにもおぞましい死神。
(……逃げ切れるわけないじゃない!? 俺がここで身体張って止めなきゃ、全員一瞬で殺されるのよ!!)
太川は腹をくくった。完全に覚悟を決めたんだ。
ガバッと深く脚を開き、体幹を極限まで沈めると、全身に凄まじい密度の魔力を一気にブチ込んで練り上げる。小柄な身体から、ピリピリとした圧倒的な圧力が放たれる。
相手は、メトロポリス王国の人形でできている。
どれだけ殴ろうが、急所を突こうが、痛覚なんてハナから存在しないのよ。
(分かる!? 痛覚がないのよこいつ!! だったら『効かせる』とか甘い考えは捨てなきゃダメなんだよ! 腕だろうが脚だろうが全部叩き折って、物理的に行動を無力化するしかないじゃない!!)
「来いよ……ッ!! 俺が相手になってやる!!」
太川は鋭い眼光で人形を睨みつけ、死を覚悟したステップを踏み出した。
小輔は、どうしても気になってしまい、部屋を出た。
忍び足で廊下を進み、外の様子を伺うと、孤児院の入り口にクララと太川、そして血のついたツルハシを持った見知らぬ男が立っていた。
男の佇まい、太川の全身から溢れ出る異常なピリつき、クララの引きつった表情——そこから、ただならぬ重苦しい空気がダイレクトに伝わってくる。
(なんなんだ、あの男は……!?)
小輔は居ても立っても居られなくなり、壁の陰から飛び出すと、太川たちのところへ駆けつけた。
「この人は、誰なんだ!?」
緊迫した空気を引き裂くように尋ねる小輔に対し、太川は視線を相手から一切外さず、素早いステップを踏んだまま叫んだ。
「おいおいおい! 来るなって言ったでしょ、小輔!! こいつは『人形使い』と呼ばれててね、俺を殺そうとしてる暗殺者なんだよ! マジでヤバい奴なの!!」
太川は小輔を庇うように一歩前へ出ると、噛みつくような迫力で言葉を続けた。
「お前らが近づかなきゃ、こいつのターゲットは俺だけだから関係ないんだよ! いいから全員連れて逃げてくれ!! 詳しい事情は後で全部話すから!!」
小輔は、言われた通り少し離れた。
あの太川がこれほどまでに焦り、本気で激昂している。その姿を見れば、今の自分がしゃしゃり出たところでただの足手纏いになることくらい、痛いほど理解できたからだ。
太川は、小輔が安全な位置まで離れたのをチラリと確認した。
(よし、下がったな……!)
その瞬間、太川の集中力が研ぎ澄まされる。
足裏から一気に魔力を爆発的に放出し、爆音と共に地面を蹴った。人間では到底ありえない、残影すら残らないほどの凄まじい速度で人形使いとの距離を詰める。
「いくぞッ!!」
トップスピードのまま踏み込み、鋭くしなった左手から、閃光のようなジャブを人形使いの顔面に向けて繰り出した!
人形使いは、太川の閃光のようなジャブを顔面に受けながらも、その表情には不気味な、不敵な笑みが浮かんでいた。
至近距離で見れば、その顔の造形こそ一般の人と変わりないが、首から下、露出した腕や関節は明らかに木や金属、関節球体で構成された『人形』そのものだった。
「……ッシャア!!」
手応えはあった。しかし、人形使いの体は殴られた衝撃で軽く仰け反っただけで、ダメージを感じさせる様子は微塵もない。
人形使いは、不気味に首を傾げると、地を這うような低い声で話し始めた。
「俺はなぁ、ホワイトデー……。悪魔に祝福をされてしまったんだ……」
「……あァ?」
太川が眉をひそめる。
「俺だけの、特別な能力があるんだよ……。お前らみたいに、綺麗な魔法や奇跡なんて上等なもんじゃない……。もっとドロドロした、根深い『呪い』だよ」
人形使いは、太川の警戒を嘲笑うように、ケタケタと甲高い声で笑い始めた。
「ヒッヒッヒッ……! 試してみるか? ちょうどなぁ、最近手に入れたばかりの面白い能力があるんだよ……!」
何をするかと思った、その瞬間だった。
人形使いは、右手に持っていたツルハシではなく、腰のベルトに下げていた不気味な錆びた剣を、音速に近い速さで引き抜いた。
そして、その剣を自らの首筋へと、躊躇なく、思いっきり叩きつけた。
「——ガッ!?」
凄まじい肉肉しい音と共に、剣が首の半ばまで深く食い込む。
ドクドクと、人形の体からは想像もつかないような禍々しい色の何かが溢れ出し、人形使いの目の光は完全に消え失せた。
そのまま、糸が切れた人形のように、地面へと崩れ落ち、ピクリとも動かなくなった。
その異様すぎる光景に、太川とクララは完全に思考が停止した。
「……おい、待て待て待て。何なんだ、今の? なんで自害したんだよ……?」
太川は構えを解かぬまま、混乱と戸惑いを隠せない。クララも顔を蒼白にさせ、呆然と倒れた人形を見つめている。
状況がさっぱり理解できなかった。
敵対し、襲い掛かってきたはずの暗殺者が、能力を使うと言い残し、突然自らの首を刎ねて死んだのだ。
倒れた人形使いの首は、体から完全に切り離されてはおらず、後頭部の首の皮一枚だけで、辛うじて繋がっている状態だった。
「……マジで意味が分かんねぇじゃない!? 一体全体、何がしたいんだよ!!」
太川は、人形使いの死体に向かって、怒りと困惑の混じった声を荒らげた。
すると次の瞬間——死体のはずの人形使いの体が、ギギギ……と不気味な関節音を立てて起き上がった。
皮一枚で繋がっていた首が、まるで引き寄せられるように何事もなかったかのように綺麗に繋がり直す。
「……え!?」
太川が目を見張ったのと、ほぼ同時だった。
「……ッ、がはッ……!?」
代わりに、後ろにいたクララの様子が急激におかしくなった。
クララはガクガクと身体を震わせ、口からドッと大量の血を吐き出した。顔面を蒼白に染め、何とか自らの力で魔法か何かを使おうと手をかざしたが——力尽き、そのまま地面へと膝から倒れ伏した。
そして、ドバッと血が噴き出すと同時に、クララの首が不自然な衝撃と共に跳ね飛んだ。
「……クララ……さん……?」
目撃した小輔は、何が起きたのか脳の理解が追いつかず、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。520年も生きてきたあのクララが、一瞬で、理不尽に命を奪われたのだ。
「……っ」
いつもあれほど賑やかで陽気だった太川が、完全に言葉を失い、固まったように黙り込んでしまった。
その絶望に満ちた太川の表情を見て、心底歓喜したのだろう。
急に人形使いは、耳を刺すような甲高い声で、狂ったように笑い始めた。
「ヒャッハハハハハ!! 見たかよぉ!!」
人形使いは嘲笑うように太川と小輔を見下ろすと、ベラベラと自分の『呪い』を種明かしし始めた。
「俺の能力はなぁ……! 自害をすると、自分自身から直径30メートル以内の円にいる他人をランダムで1人、身代わりに死んでもらう能力なんだよなぁ!!」
不気味に首をねじ曲げ、勝利を確信した顔で言い放つ。
「俺が死ねば、身代わりが死んで俺は生き返る……! 誰にもこれを止められないんだよなぁ!! どうだ? 自分の身代わりで仲間が死ぬ気分はよぉ!? もっと絶望しろよなぁ!!」
コロコロ……と、鈍い音を立てて、小輔のすぐ足元にクララの首が転がってきた。
さっきまで自分と部屋で向き合い、520年の孤独や異世界の話を交わしていた、あのクララだ。
見開かれたままの瞳、引きつった表情——
(なんで……? なんでだよ……ッ!?)
あまりの絶望と惨状に、最初は声すら出なかった。
せっかくこの見知らぬ異世界で、自分の素性や目的を打ち明けられ、まともに会話ができる存在にやっと出会えたばかりだったのに。
ポツンと残されたクララの小柄な体が、この理不尽すぎる現状の残酷さを、あまりにも苛烈に物語っていた。
思考が真っ白になり、脳のキャパシティを完全に超えた。
「あああ……っ……あぁぁぁぁぁぁッ───────っっ!!!!」
小輔は頭を抱え、喉を押し潰すような絶叫を上げ続けた。パニックに陥り、涙と鼻水で顔をグチャグチャにしながら、ただただ叫ぶことしかできなかった。
「クララさんっ!! クララさん!! なんでだよっ!? おい!! 嘘だろっ!! 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だーーーーッ!!」
自分のすぐそばで命を奪われた理不尽さと、恐怖、そして何もできなかった圧倒的な無力感が、小輔の心をズタズタに引き裂いていた。




