二十五話 睡眠は転生
無事に国境の関所を越え、俺たちはシスター・クララの後を追ってチバ王国の街並みを歩いた。
ファング王国と大きく変わらない石造りの町並みだが、すれ違う人々の雰囲気にはどこか独特の厳かさがある。この国で圧倒的なシェアを誇る『クイヤ教』の教えが、人々の生活に深く根付いているからだろう。
一般的にこの世界で魔法を扱える人間は一握りだ。だからこそ、大衆にとって「魔法」とはどこか遠く、悪魔と契約して得る不吉な力として忌避されている。その代わり、教会関係者が使う治癒や加護の力は「神聖なクイヤの奇跡」として崇められている……実に都合のいい皮肉な話だが、生き残るための知恵としては完成されているのだろう。
そんな解説をクララから聞きながら進むと、やがて大きな教会に併設された孤児院へと辿り着いた。
「あっ、院長先生お帰りなさいー!」
「あ! 枝弥兄ちゃんだ! 枝弥兄ちゃんが帰ってきたー!」
敷地に入った瞬間、ワーッと大勢の子供たちが駆け寄ってきた。
みんな揃いの小さな修道服に身を包んでおり、手には雑巾や箒を持っている。どうやら夕方の掃除の手を止めて出迎えてくれたらしい。
低須が目線を下げて子供たちの頭をなでると、一斉に歓声が上がった。無愛想で冷徹に見える低須だが、ここでは完全に「頼れるお兄ちゃん」として大人気だ。
一方で、小柄な身体から放たれる眼光と独特の雰囲気に、子供たちは「なんか……このお兄ちゃん目つきが怖い……」「おんぶしてくれなさそう……」と少し後ずさりしてしまった。「えっ、俺そんなに怖い!? ニコニコしてるのに!?」と太川はショックを受けていた。
そろそろ夕飯の時間らしく、低須は「よし、今日は僕が腕を振るいますかね、はい」と子供たちを連れて賑やかに調理場へと向かって行った。太川も「俺も手伝うぞー! 美味しいの作って汚名返上だ!」と子供たちの警戒を解くべく後を追っていった。
騒がしい廊下を抜け、俺はクララに案内されて奥の個室へと入った。
パタン、と重厚な木製のドアが閉まり、静寂が訪れる。
クララはゴシック調の修道服の裾を小さく揺らしながら執務机の椅子に腰掛け、ピンクのツインテールを払いながら、深く、深く息を吐き出した。
「……ふぅ。これで邪魔者は入らん」
幼い見た目とは裏腹に、その瞳には長年この孤児院を背負ってきた重厚な光と、同じ故郷の者と対峙する緊張感が宿っていた。
「さて、小輔と言ったな。人目を気にせず話せるのはここからじゃ」
クララは温かいお茶のカップを小さな手で包み込み、どこか懐かしむような、探るような目で俺を見つめてきた。
「わらはな、18歳の時に2,000年日本の埼玉で、トラックに跳ねられて死んでしまったのじゃ。そしてこの世界で520年生きてる。まぁ合わせたら538年じゃが……奇跡の子と呼ばれる、賢者の子孫として、たまに現れる不老の子だから寿命で死なないんじゃ」
「ゴ、538歳……! 埼玉……!?」
思わず俺はお茶を吹き出しそうになった。
2000年の埼玉出身で、18歳でトラックに跳ねられたという異世界転生の王道ルート。しかも不老の体で、この世界ですでに520年も生き抜いている超大ベテランだったとは。
「埼玉の浦和じゃよ! 当時は平成じゃったな。18歳で大学にも受かって、これからキャンパスライフという時にダンプカーにノーガードで跳ねられての……気がついたらこの不老の体になっておったんじゃ。520年じゃぞ! こっちの歴史の方が圧倒的に長いわ!」
クララは不機嫌そうにプクッと頬を膨らませ、お茶をゴクリとあおった。
「で? お主はどこから、いつの時代から来たんじゃ?」
「俺は……西暦2026年の東京からです。前世では……ブラック企業で社畜やってました……」
「に、二千二十六年……!? 社畜……!?」
クララは眉をひそめ、ピンクのツインテールを揺らしながら首をかしげた。
「おい小輔、わらが死んでから二十年以上経っておるが、日本は一体どうなっておるんじゃ!? 2000年時点でもバブルが弾けて就職氷河期と言われておったが……『社畜』とは何じゃ! 会社の下僕のように働かされておったのか!?」
「あー……はい。サービス残業で月100時間越えは当たり前で、上司のハラスメントでメンタルやられて……半分過労死みたいな感じでここに召喚されました……」
俺が自虐混じりに明かすと、520年生きている不老のロリ院長・クララの顔から、一気に血の気が引いていった。
「お、お主……そんな過酷な場所で生きておったのか……!? 死ぬ気で逃げんかバカ者! 命より重い仕事などこの世に存在するわけなかろう!!」
「あまり転生前の記憶はかなり忘れてしまっているが、ガラケーの着メロは、よく制作していたことだけは覚えてるのじゃ」
クララはお茶のカップを置き、どこか遠い目をしてポツリと漏らした。
520年という果てしない月日の中で、前世の記憶は薄れ、埼玉での記憶も大半が霞の向こうへと消え去ってしまったらしい。それでも、あの頃夢中になっていた小さな手応えだけは、魂の底に刻み込まれているようだった。
「着メロ……! 雑誌の裏表紙についてる楽譜見ながら、ボタンをポチポチ入力するやつですか?」
俺が尋ねると、クララはハッとしたように目を丸くし、それから懐かしそうに口元を綻ばせた。
「そう! それじゃよ! 単音から和音になっての、好きな曲の譜面を見ながら『ド・レ・ミ』と数値を打ち込んでな……! 完璧に再現できた時はそりゃあ嬉しかったものじゃ。……ふふ、ガラケーという言葉すら、今ではもう呪文のように聞こえるがな」
2000年当時の18歳の少女だった頃の面影が、ほんの一瞬だけ、10歳ほどの幼い容姿の奥から覗いた気がした。
「……2026年の日本じゃ、もうそんなこと誰もしておらんのだろう?」
「そうですね。今はスマホで、本物の音源がそのまま流れますから」
「そうか……技術の進歩というのは凄まじいものじゃな」
クララは小さく息を吐き、どこか寂しげに、けれど晴れやかな顔で笑った。
「まあ、過去の記憶が薄れようと、わらがこの世界で500年以上生きて、この孤児院の子供たちを守ってきた事実に変わりはない。……さて、過去の思い出話はこのくらいにしておこうか」
クララは表情を引き締め、ピンクのツインテールをサッと揺らして俺を真っ直ぐ見つめた。
「お主らがこのチバ王国に何しに来たのか、そしてこれからどこへ向かうのか……そっちの話を聞かせてもらおうじゃあないか、小輔」
おれ……この国に来たのは、成獣クイヤに会うためなんだ」
俺はクララの真っ直ぐな眼光を受け止めながら、しっかりと自分の目的を口にした。
「成獣クイヤを見つけて……大切な人を生き返らせてもらいたい。その奇跡の力を調べるために、おれたちはチバ王国に来たんだ」
俺の言葉を聞いた瞬間、クララの小さな眉がぴくりと跳ねた。
「……大切な人を、生き返らせる……とな?」
部屋の中に、重苦しい静寂が落ちる。
「確かに成獣クイヤ様は、何でも願いを叶えてくださると教典には記されておる。……だがな、小輔」
クララはそこで言葉を区切り、声のトーンを一段と落とした。
「この520年……わらがこのチバ王国で生きてきた長い年月の中で、実際に成獣クイヤ様に会ったという人間など、ただの一人も存在せんのじゃよ」
「……一人も……?」
俺の喉が、引きつるように鳴った。
520年という果てしない時をこの国で過ごし、教会の中心近くに居続けたクララが言うのだ。ただの噂や都市伝説ではない。圧倒的な事実の重みが、ずしりと部屋の空気を支配する。
ポケットの中で固く握りしめた花越しに、冷や汗が掌を伝う。
成獣クイヤという存在の異常性、そして教会の裏に潜む暗雲の深さに、息を呑むことしかできなかった。
だが——その重苦しい沈黙を切り裂くように、外から嫌な乾いた音が響いた。
この孤児院は町の喧騒から外れた場所に位置しており、敷地は比較的広い。その広大な庭を囲む垣根を、ツルハシを手にした一人の人間が、ぬうっと跨ぎ越してきたのだった。
「ひ……っ!?」
庭で遊んでいた幼い子供が息を呑んだ次の瞬間。
その男は躊躇いもなく、一人の子供を見るや否やツルハシを容赦なく振り下ろした。
ガシャッ……ッ!!
鋭い先端が子供の頭部を抉り、大量の赤黒い血が派手に噴き出す。倒れ込む小さな身体と、惨劇に悲鳴を上げる子供たちの声。
「……ッ!?」「なっ……!?」
個室にいたクララが、同時に脳裏を殴られたような強い嫌悪感——強烈な「悪寒」と嫌な予感を察知した。
「おい、小輔! 部屋から出るな!!」
クララは叫ぶなり、弾かれたような速度で部屋を飛び出し、孤児院の入り口へと一直線に走った。
廊下を駆け抜け、勢いよく扉を開け放ったクララ。
その眼前に広がっていたのは、鮮血に染まる庭と——血のついたツルハシを無造作にぶら下げた、あのおぞましい人物の姿だった。
太川は、胸の奥を激しく刺すような、ゾワッとする嫌な予感がした。
「おいおいおい待て待て待て……! なんだど今の気配!? めちゃくちゃヤバい奴が来てるじゃない!!」
太川も部屋を跳び出し、孤児院の入り口へと一直線に駆け寄った。チラッと視界の端を見ると、クララが必死にドレスの裾を撒き散らして走ってる様子も見えた。
そして孤児院の入り口にたどり着いた太川が目にしたのは——あの人物だった。
ツルハシを手に持ち、鮮血をボタボタと滴らせながら立つその異様な姿。それを見た瞬間、太川の眼光が途端に鋭く跳ね上がる。
「……ッ!? マジかよ、おい! 冗談でしょ!? あいつ、俺の知ってる奴じゃないか……!! なんでこんな所にいやがるんだど!!」
太川は小柄な体をガバッと深く沈め、一瞬で格闘家の構えをとる。素早いステップで細かく地面を蹴りながら、目の前の男を鋭い眼光で射抜いた。
「おい……ッ! 子供相手にツルハシ振り下ろすとか、頭おかしいんじゃないの!? 意味が分かんないでしょ!!」
その大声に引っ張られるように、奥の調理場から事態を全く分かっていない低須枝弥が顔を出した。
「あれ? 太川さん、そんな大声出してどうしたんですか、はい。今みんなで夜ご飯の仕込みをしてたところなんですけどね……って、え?」
漂ってくる強烈な血の匂いと庭の惨状に気づき、低須のメガネの奥の目が点になった。
「……あー、なるほど。これ、完全に外から不審者が侵入して大変なことになってるってやつですね、はい。ちょっと現実離れしすぎてて受け入れがたい状況なわけですよ……」




