二十四話 睡眠は入国
チバ王国」の入り口へと続く街道を進むにつれ、周囲の空気が少しずつ穏やかになっていくのを感じた。
チバ王国は、俺たちが脱出してきたファング王国とは現在『休戦協定』を結んでいる。国境を越えてしまえば、ファング王国の追手もおいそれと手出しはできない。潜伏先としてはこれ以上ない場所だった。
だが——目の前に見えてきた巨大な関所を前に、俺たちは完全に足を止めることになった。
「……なぁ、低須さん。あの列に並んでる奴ら、兵士に何か渡して通ってないか?」
「ええ……間違いなく『通行料』ですね、はい。国境の関所を通る以上、当然の制約と言えます」
低須がメガネの枠を押し上げながら、冷たく現実を突きつけてきた。
「通行料……ってことは、金が必要なんだろ? 俺、この世界の通貨の単位すら知らねえんだけど」
俺が正直に明かすと、太川がハハハと乾いた笑い声を上げた。
「俺もねえよ! 服もあの監獄の囚人服から脱走途中に盗んだやつだしさ、ポケットの中身なんて空っぽだぜ!」
太川はズボンのポケットを引っ張り出して見せた。見事なまでに何もない。
「低須さんは……?」
「私に期待されても困りますね、はい。ご覧の通り、持ち物は着ている服とメスだけです。監獄に財布を持ち込めるわけがないでしょう」
三人揃って、所持金ゼロ。
俺たちが持っているのは、武器と着の身着の前の服、そして俺のポケットにあるエリカの血のついた『花魔法の花』だけだ。
「マジかよ……ここまで命からがら逃げてきて、金がないから入国できないとか笑えねえぞ……」
「まあまあ! なにか金を稼ぐ方法か、通行料の代わりに払えるようなもんを探せばいいじゃん!」
太川は能天気に胸を叩くが、関所の前には厳重に武装した警備の兵士たちが目を光らせている。無理に突破すれば、チバ王国からも指名手配されて逃げ場を失うのは目に見えていた。
「低須さん、なんかいい案はないか? 何かを売るにしても、買い取ってくれそうな店すらこの手前には……」
俺たちが関所の手前で頭を抱えていると、警備の兵士たちの視線が、怪しい三人組である俺たちの方へとチラチラと向き始めていた。
(まずいな……このまま長居すると怪しまれるぞ。どうする……!?)
「……ハァ、本当は関わりたくなかったのですが。背に腹は代えられません、はい」
低須はため息をつくと、関所を守る警備の騎士に向かって歩み寄り、落ち着いた声で話しかけた。
「すいません、そこの騎士の方。教会で孤児院を運営されているシスター・クララ様をお呼び立てしていただけませんか? 彼女の弟子だと伝えていただければすぐに来てくださるはずです」
「……なに? シスター・クララ様の……?」
騎士は一瞬驚いた顔を見せたが、このチバ王国でその名を知らない者はいないほどの有名人であるクララの名を聞き、慌てて奥の案内所へと走っていった。
「なあ低須さん……そのクララさんって、そんなに有名人なのか?」
俺が尋ねると、低須はメガネのフレームを指で押し上げながら答えた。
「ええ。チバ王国の教会で巨大な孤児院を切り盛りし、貧しい子供たちや行き場のない人々を救い続けている聖職者ですから。この国で彼女の名を知らない者はいませんよ、はい」
しばらくすると、関所の奥からトコトコと小さな足音が近づいてきた。
現れたのは——どう見ても十歳前後にしか見えない、小さな女の子だった。
修道服風のゴシック調の衣装に身を包んだその少女は、腕組みをしながら、不機嫌そうにジト目で俺たち……というか低須を猛烈に睨みつけている。
ピンクの髪のツインテールをいじりながら、「たく、呼び出したと思ったらなんだ、枝弥。金がなくて関所で立ち往生か?全く手のかかる子じゃな」
見た目は愛らしい幼女なのに、喋り方はどこか上から目線で異様な威圧感がある。
俺が呆気にとられていると、低須がどこか頭の痛そうな顔で俺たちに紹介してくれた。
「驚くのも無理はありません、小輔さん。このお方は見た目こそこのような姿ですが……先ほどお話しした私の育て親のシスター・クララです。元々は異界から『魂だけ』が召喚され、この少女の肉体に定着してしまった存在なのですよ、はい」
「魂だけ……!? 孤児院の院長!?」
「そうじゃ! 本来ならわらわは高貴で絶大な存在だったのに、この幼子の体に憑依してしまってからは、なぜか肉体の成長がピタリと止まってしまったんじゃ! クソ忌々しい体じゃ!」
プクッと頬を膨らませて地団駄を踏む姿は完全に子供なのだが、長年孤児たちを束ね、国中で尊敬を集めてきた院長としての貫録だけは本物だった。
すると、低須が俺の方を指さしてクララに語りかけた。
「まあそう怒らないでください。この人は峰小輔さん……あなたと同じ『召喚者』ですよ。合わせたかったから呼んだんです、それでいいでしょう? あんなに同じ世界の人と会いたかったじゃないですか」
「な……ッ!?」
その言葉が出た瞬間、さっきまでツインテールをいじっていたクララの動きがピタリと止まった。
ジト目だった瞳が大きく見開かれ、俺の顔を穴が開くほど凝視してくる。
「……そ、召喚者……だと……!? 枝弥、お主……戯れ言を言っているのではないじゃろうな!?」
「嘘をついてどうするんです、はい。クララ様がずっと『同じ世界から来た人間と話してみたい』と漏らしていたからこそ、こうして引き合わせたのですよ。通行料くらい、その顔立ての代金として安いくらいでしょう」
低須の淡々とした言葉に、クララの顔が一気に朱に染まった。照れくささと興奮が混ざり合ったように視線を泳がせ、口元をモゴモゴと動かしている。
「く、教会で育ててやった生意気な弟子が……! む、昔ちょっと言ったのを覚えておっただけじゃろ……!」
必死に院長としての威厳を保とうと腕組みをし直すものの、そのピンクのツインテールがどこか嬉しそうに揺れていた。
クララはコホンとわざとらしく大きな咳払いをすると、ツカツカと俺の前まで歩み寄り、胸を張って見上げてきた。
「ふ、ふん! まあよい! 枝弥の粋な計らいに免じて、今回の通行料くらいはわらわが出してやるとしようじゃあないか!」
そう言って、腰に下げた革袋からジャラリと重みのある銀貨の袋を取り出すと、関所の兵士に向かって投げ渡した。
「よし、これで三人分の通行料じゃ! さっさとあのゲートを開けるのじゃ!」




