二十三話 睡眠はメス捌き
「さて……追手は一旦撒けた。ここからどう動くかだな」
俺は木に背中を預け、息を整えながらつぶやいた。
城からの追撃は、太川の破天荒な橋の破壊によって完全に断ち切られた。だが、ここから先も安全とは程遠い。
俺たちが逃げ込んだこの深い森には——『魔物』が生息しているからだ。
「この森、嫌な気配がプンプンしますね、はい。城の兵士よりよっぽどタチが悪そうです」
低須が眼鏡のブリッジを指で押し上げながら、周囲の暗闇に視線を走らせる。
この世界の魔物とは、元を正せば『悪魔の成れの果て』だ。
大昔、世界に『はじまりの契約』が結ばれるより前に、何らかの理由で格を落とし魔物に成り下がった悪魔たち——それらが月へと跳ね飛ばされることもなく、この地に残って繁殖した残骸。
彼らは生存本能として、体内に「魔力」を持つ存在を感知し、それを喰らうために襲いかかってくる。
「魔物に落ちる前の悪魔がどんな存在だったかによって、見た目も攻撃の手口もバラバラなんだよな……」
俺が短剣を握り直して警戒を強めると、太川がニッと白い歯を見せて拳を鳴らした。
「要は、魔力に惹かれてやってくる害虫みたいなもんだろ? 詠唱してでかい魔法を使おうとすればするほど、集まってくるってわけだ」
「その通りです、太川さん。ここで大掛かりな魔術を使うのは『ここに上質な餌がありますよ』と叫ぶようなもの。極めて非合理的ですね」
「……ってことは、詠唱なしで殴り倒せるお前と、静かに首を刈れる低須さんの独壇場ってことか?」
「そういうこと! 任せときなって、小輔!」
太川は頼もしく胸を叩いたが、その直後——。
ガサリ……。
頭上の鬱蒼とした枝葉が揺れ、幾重もの赤い光——魔物の不気味な眼光が、闇の中から一斉に俺たちを見下ろした。
「……さっそくお出ましみたいだな」
「群れの魔物相手に魔法は悪手だ、他を呼び寄せてしまう……!」
俺は短剣を逆手に握り直し、柄を強く握りしめた。
ここで下手に大魔法なんて使ってみろ、高濃度の魔力に引き寄せられて森中の魔物が大集結する未来しか見えない。基本的にはこの短剣一本、己の技術だけで対抗するしかないんだ。
ガサガサッ、と頭上の枝々が一斉に揺れた。
木々の隙間から姿を現したのは、人間ほどの大きさの猿のような見た目をした魔物だった。
だが、ただの猿じゃない。頭にはまるで西遊記の孫悟空が着けているような金箍棒の輪っか(緊箍児)が嵌め込まれており、その鋭い手には短めの歪な鉄剣が握られている。
その数、およそ15匹。
真っ赤に濁った目が、暗闇の中でらんらんとギラついている。
「……くっ、あれは……!」
いつも冷徹な低須が、珍しく冷や汗を浮かべた焦り顔で急ぎ足の解説を始めた。
「あれは魔物の中でも比較的賢い……『デビモンキー』です! 常に集団で行動し、狙った冒険者などを周りから囲い込んでジワジワと狩り潰します……! 非常に厄介な相手です、はい!」
「15匹もいる上に剣まで持ってんのかよ……! 低須さん、どうすりゃいい!?」
「対抗策は一つ! 奴らを束ねている『ボス』を探して真っ先に潰してください! ボスさえ倒せば何とかなります。 探してください、早く!!」
「ボスか……!」
俺は息を殺し、15匹のデビモンキーたちの動きを鋭く観察した。
輪っかを嵌めた狂暴な猿どもが、キーキーと奇声を上げながらじわじわと俺たち三人を円状に囲み込んでくる。
その中で、明らかに一匹だけ……他の奴らより半歩引き、周囲の猿どもに如意棒で指示を出している「一回りデカい輪っか」を着けた個体がいた。
「見つけた……あいつだ!」
「よしきた! 突破口は俺が開ける!」
太川が魔力を込めた拳をグッと握り込み、ニヤリと不敵に笑った。
「よし、一気に行く……!」
俺は身を低くかがめ、地を蹴った。
目指すは群れの後方で指揮を執るボス——そいつの手には、他の奴らが持つ歪な鉄剣とは違う、重々しい金属の『如意棒』が握られていた。
間合いを詰め、短剣を一閃させようとした瞬間、左右から三匹のデビモンキーが死角を突いて飛びかかってくる!
「させるかよッ!」
「右と左、処理します、はい!」
太川の魔力を纏わせた無詠唱の拳が横合いの猿を吹き飛ばし、低須のメスがもう一匹の頸動脈を一瞬で切り裂く。二人の完璧なサポートによって、ボスの眼前へと至る一本の道が開けた。
(勝った……! 俺の短剣が届く——!)
そう確信した、次の瞬間だった。
ボスの掲げた如意棒が、まるで生き物のように一瞬でぬっと数メートルも伸びた。
「がはっ……!?」
間合いの外から、伸びた如意棒の先端が俺のみぞおちにズドンと垂直に突き刺さる。
カウンターの衝撃が全身を駆け抜け、視界がぐにゃりと歪んだ。俺の身体はそのまま宙を舞い、容赦なく落ち葉の地面へと叩きつけられた。
「ケホッ……カハッ……!」
喉の奥から激しくせき込み、強烈な激痛が腹を襲う。息がうまく吸えない。内臓が押し潰されたような感覚に、指一本動かすのがやっとだった。
「小輔さんッ!」
「小輔!!」
二人の叫び声が聞こえるが、状況はさらに最悪へと転がっていた。
低須と太川が確実に仕留めたはずのデビモンキーたちが、ゆらりと不気味に立ち上がり、何事もなかったかのように態勢を整え始めたのだ。
『キーーーーーッ!!』
ボスの猿が甲高い奇声を森に響かせる。
その合図に応じるように、暗闇の木々から次々と赤い目が湧き上がってきた。
十五匹だったはずの影は、いつの間にか三十匹にまで膨れ上がっていた。
「な……数が倍に増えてやがる……! 一体どこから……!?」
「くっ……先ほど倒したはずの個体も……死んでいない……? いや、ゾンビのような不死性というより、群れ全体でダメージを分散、あるいは再生しているのか……!?」
低須の焦った声が重なる。
完全に包囲網は狭まり、逃げ場のない輪が俺たちを押し潰そうとしていた。
腹の激痛で立ち上がることすらできない俺。
群れを物理で薙ぎ払おうにも、魔法を使えば森中の魔物を呼んでしまう。そして倒した端から復活し、増殖する三十匹のデビモンキーと、長さを自在に変える如意棒を持つボス。
(まずい……八方塞がりだ……! どうする……!?)
俺は土を強く握りしめ、冷や汗を流しながら必死に思考を巡らせた。
地面に膝をつき、激痛に耐えながら息を吐き出す俺の横で、低須が叫んだ。
「太川さん! あなたのその規格外の魔力拳で、この群れごと全員一気に倒せないんですか!? このままじゃ全滅します、はい!」
だが、太川は迫り来るデビモンキーたちを前にしても、どこか冷めた……だがどこまでも真剣な目をしていた。
「……いや、断る」
「なっ……!?」
低須が目を見張る。太川は腕を組んだまま、俺と低須を交互に見下ろした。
「俺はさ、お前らがこのピンチをどうやって脱するか気になるんだよね。俺が本気出せば、こんな群れ一瞬で全員吹き飛ばせるよ? でもさ……そんなんじゃ、この先この森で生きていけるわけないし、目的地のクイヤにすらたどり着けないと思うぜ」
「太川……お前……」
「申し訳ないけど、俺は本当の『死ぬ寸前の危機』まで手を出さないぜ。小輔、低須。自分たちの頭と技で、この難局を突破してみせろよ」
太川の言葉は冷放に見えて、突き放すような優しさと試練を含んでいた。
確かに、いつまでも太川の規格外なパワーに頼り切っていたら、俺たちはこの過酷な異世界で生き残っていけない。クイヤへ辿り着くなんて夢のまた夢だ。
「……ッ、言うじゃねえか……!」
俺は腹の痛みに歯を喰いしばり、泥を噛む思いでゆっくりと身体を起こした。
(倒しても倒しても立ち上がるゾンビみたいな再生力、増え続ける数、伸びる如意棒……。待てよ、なんで低須さんたちの攻撃が効かない? なんで数が一瞬で倍に増えた……!?)
俺は痛む腹を押さえながら、三十匹のデビモンキーと、中央で如意棒を構えるボスの姿を必死に観察した。
「低須さん……! 倒したはずの奴らが起き上がったんじゃない……! 幻覚か……あるいは、ボスの『如意棒』か『頭の輪っか』が何かカラクリをやっているんじゃないか!?」
「……! 幻覚、あるいは本体の魔力を分け与えた分身……!? 確かに、倒した瞬間に血の匂いや手応えが希薄でした……!」
低須が眼鏡の奥の目を鋭く光らせた。
太川はニヤリと口元を緩め、俺たちの思考が動き出したのを静かに見守っている。
三十匹のデビモンキーが、一斉に襲いかかろうと地を蹴った。
(ボスを直接叩くのは如意棒の間合いで防がれる。なら……!!)
俺は短剣を強く握り直し、低須に向かって叫んだ。
「低須さん! 俺がもう一度ボスの注意を引く! 如意棒が伸びた瞬間の『隙』か、あのボスの『頭の輪っか』を狙ってくれ!!」
「悪魔【ヴィント】——疾風と空の流動を司る者よ、その刃を示し全てを切り裂き風を巻き起こせ! 名は、峰小輔!」と声を張り上げ、短剣に風魔法を纏い始める。
「ぐっ……おおおッ!!」ボスが、如意棒を伸ばして攻撃してきた。
両手の短剣で如意棒を受け流すことしかできない。
その隙に俺が作った一瞬の隙を見逃さず、影から飛び出した低須が静かに、そして冷徹にメスを構えた。
「悪魔【スカルペル】——執刀の刻を告げる者よ、歪みし肉体を正し、あるべき形へと刻み直せ!」
低須の手に握られた小さなメスが、薄紫色の妖しい光を帯びる。その眼光はまるで、手術台の上の患者を冷静に観察する執刀医そのものだった。
「名——低須枝弥!」
真名を紡ぐと同時に、低須はメスを縦一文字に振るった。
「『精密切断』……悪魔の部位、摘出完了です」
目に見えぬほど細く鋭利な魔力の刃が空を切る。
それはボス本体を直接殺すのではなく——ボスの頭に嵌め込まれていた『西遊記のような輪っか』だけを、精密な手術のように完璧に切り飛ばした。
カツン……と輪っかが地面に落ちた瞬間。
『キョ、ギエぇぇぇっ!?』
ボスが頭を押さえて狂乱の悲鳴を上げた。
と同時に、三十匹に増えていたデビモンキーたちの身体がズズズと歪み、まるで麻酔が切れたように次々と崩れ落ちて消えていく。
「……やはり。あの頭部の環が、無数の分身へ魔力を供給し、実体化させる『中枢器官』だったというわけですね、はい」
低須は血のついていないメスをクルリと指先で回しながら、冷たい顔で解説した。
分身の術を封じられ、如意棒の隙を晒したボス猿が、恐怖に顔を歪ませて俺たちを見上げる。
分身のカラクリであった頭の輪っかが切断され、地面に転がった。
「すげえ……一瞬でカラクリを見破って、あの輪っかだけを切り落とすなんて……!」
俺が息を呑むと、低須はメガネのフレームをスッと押し上げ、静かに語った。
「この悪魔【スカルペル】の魔法は……術者のメスの技術と解剖知識に応じて『切断できる器官』が変化します。魔力を全て注ぎ込めば、相手の皮膚を傷つけることなく『心臓』だけを直接切断することも可能な最強の暗殺魔法です。……まあ、習得には膨大な魔力だけでなく、寸分の狂いもないメス裁きが要求されるため、扱える人間は限られますが」
どれほど強大な魔法使いであっても、メスの技術がなければ真価を発揮できない。まさに低須の理不尽なまでの技術と執刀経験が生んだ、唯一無二の技だった。
「……恐ろしい魔法だな。味方でよかったよ」
「合理的でしょ? さて、仕上げは任せましたよ、小輔さん」
分身を失い、如意棒の隙を晒して完全にパニックに陥ったボス猿が、恐怖に顔を歪ませて俺を見上げる。
「——お返しだッ!!」
俺は短剣に纏わせた風の魔力【ヴィント】を一気に爆発させ、地を蹴った。
隙だらけになったボス猿の懐へ潜り込み、風の刃を宿した短剣を一閃させる。
ザシュッ——!!
「ギギャッ……!」
風の刃がボス猿の胸元を深く切り裂き、そのまま巨体が倒れ伏した。
二度と動き出さないことを確認し、俺は深く息を吐き出して短剣を収めた。
「……ふぅーっ。なんとかなったか……」
「おー、ナイス連携! やればできるじゃん!」
腕を組んで静観していた太川が、ポンと手を叩きながら歩み寄ってくる。
「ボスを叩いて分身を破る小輔の判断と、あのカラクリを瞬時に外科手術した低須の魔法。俺の手を借りずに、しっかり頭と技で乗り越えたな!」
「……太川のスパルタ教育には参ったけどな」
俺は苦笑いしながら腹の痛む場所を撫でたが、心の中では確かな手応えを感じていた。
長文詠唱のスキを物理で補う太川、暗殺と精密攻撃をこなす低須、そして俺の魔法と短剣術。
この三人なら、魔物が蠢くこの危険な森を抜け、目的地のチバ王国に着くかもしれない。
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