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二十二話 睡眠は大脱走

月明かりが照らす夜の城下町を、俺たちは石畳を鳴らして一気に駆け降りていた。

先頭を走るのは低須枝弥だ。

「このルートが最も勾配が緩やかで、最短で川へと到達できる最短経路なんですよね、はい。心拍数を維持しながら走るには最高のロケーションです」

そう言って、手についた兵士の血も気にせず静かな顔で道を先導していく。道すがら、深夜の街を全力疾走する筋肉労働者風の男、血まみれのメスを持った眼鏡男、そして短剣を握る俺という「濃すぎる三人組」を目撃した町人が何人かギョッとしていたが、構っていられない。

この世界の連絡手段は、基本的には馬か伝令の走者だ。脱獄が発覚してから城下町の末端まで情報が回るには、まだ少し余裕があるはずだった。

だが——。

川に架かる大きな橋が見えてきた瞬間、俺たちは足を止め、物陰へと身を潜めた。

橋の手前にある関所には、篝火がいくつも焚かれ、十数人もの甲冑を着た騎士たちが物々しい雰囲気を漂わせながら周囲を警戒していた。

「な……なんでだ……!?」

俺は物陰からその光景を覗き込み、冷や汗を流した。

「もう脱走の情報が届いてるのか……!? いくらなんでも早すぎるだろ……!」

俺の焦りとは対照的に、低須はメガネのレンズを指で押し上げながら、冷静に関所の様子を観察している。

「いいえ小輔さん、落ち着いて観察してください。彼らの視線は城の方角ではなく、橋の向こう……つまり『町の外側』に向けられていますね、はい」

「……え? 外側?」

言われてよく見ると、騎士たちは城からの脱走者を警戒して構えているというよりは、外からの侵入を防ぐ、あるいは橋そのものを完全封鎖するために配置されているように見えた。

「うおっ、マジじゃん! 城の中の騒ぎで固まってるわけじゃないんだ!」

太川ホワイトデーが身を乗り出しながら、目を細めて関所を見つめる。

「脱走の報せで急遽集まったにしては、陣形が整いすぎてるんだよね! 結局、最初から別の理由でここを固めてたってことじゃん!」

脱走がバレたわけではない。なら、なぜこのタイミングで橋の関所にこれほどの重装備の騎士たちが結集しているのか——?

関所を突っ切らなければ川へは辿りつけない。だが、あの人数の騎士と正面からぶつかれば、一気に城の本隊にも居場所が伝わってしまう。

「……低須さん、太川。どうする?」

俺は握りしめた短剣に力を込めながら、二人に問いかけた。

「——作戦? 駆け抜けるだけじゃねえか!!」

俺のツッコミなど気にも留めず、太川は「よし、突撃ー!」と満面の笑みで走り出していた。

「まあ、太川さんの仰る通りです」

低須も何事もない顔で、返り血のついたメスを両手に構えながら歩調を合わせる。

「後ろからは城の追手が迫り、前には重武装の騎士団。挟み撃ちになる確率を極限まで下げるには、情報が錯綜している今、力技で破綻させるのが最も合理的ですからね、はい!」

「ああもう、分かったよ! 腹くくって走ればいいんだろ!!」

俺は半ば自棄になりながら、二人の背中を追いかけて物陰から飛び出した。

「な、なんだ奴らは!? 城下町の方から疾走してくるぞ!」

「待て、あのピンク髪の男……速すぎるッ!?」

関所の騎士たちがこちらの接近に気づき、慌てて長槍を構える。だが、遅すぎた。

「オラッ! 邪魔だどいてくれーっ!!」

一番手に突っ込んだ太川が、光速の踏み込みとともに前列の騎士二人を肘打ちと飛び膝蹴りで吹き飛ばした。金属の弾け飛ぶ甲高い音が響き渡り、関所の陣形が一瞬で崩壊する。

「左の隙間、ガラ空きですね、はい」

すれ違いざま、低須がすれ違う騎士たちの甲冑の隙間をメスで的確に一閃。悲鳴をあげる暇すら与えず、次々と無力化して退路をこじ開けていく。

「とおおおっ!!」

俺も短剣を構え、太川と低須が開けた中央の突破口へとなだれ込んだ。

「待て! 逃がすな! 橋を封鎖しろ——」

後ろで隊長らしき男が叫ぶ声を置き去りにし、俺たち三人は怒涛の勢いで橋の関所を破り、夜の川を渡る一本橋を一気に駆け抜けた。

足元を流れる川のせせらぎ、そしてその先に見えるのは、月光を遮る黒々とした深い森の影だ。

「よっしゃあ! 関所突破!! このまま森まで逃げ切るぞーっ!」

太川の歓声が夜空に響く。

町で目立ってしまった以上、城からの追手が追いつくのは時間の問題だ。だが、あの鬱蒼とした森の中にさえ飛び込めば、追手の捜索網を十分に巻くことができる。

関所の騎士たちを倒して橋を渡りきり、これで追手を撒ける——そう思った矢先だった。

太川がピタリと足を止め、俺たちに背を向けた。

「……太川?」

いつもニヤニヤと笑っているはずのアイツの顔から、完全に表情が消えていた。鋭く冷たい、見たこともない真剣な目が、渡ってきたばかりの石造りの頑丈な大橋を見つめている。

「太川さん、どうしました? 立ち止まるのは……」

低須が問いかけ終えるより速く、太川は深く腰を落とし、全身の筋肉を限界まで躍動させた。

「——ぬおおおッ!!」

地鳴りのような咆哮とともに、太川の右拳が、重厚な石造りの橋の床面へと振り下ろされた。

ドゴォォォォンッ——!!

激しい衝撃波が弾け飛び、足元が大きく揺れた。

太川の拳がめり込んだ部分から蜘蛛の巣状に亀裂が走り——次の瞬間、ズズズと音を立てて巨大な石橋が端からガラガラと崩壊し始めた。

「な……ッ!?」

俺と低須は目を見開いた。

何十人もの騎士や馬車が通るために作られた頑丈な石橋が、たった一撃の打撃によって絶望的な音を立て、川底へと崩れ落ちていく。

水しぶきと大量の土煙が夜の空へと舞い上がった。

「ふぅー……っと。これで、城からの馬も本隊も追ってこれねえだろ」

太川は拳についた石の粉を払い、いつもの底抜けに明るい笑みを顔に浮かべた。

「追手が来てるなら、道をなくせばいいじゃん! 超シンプルだろ?」

「……正気かよ……素手で石橋を丸ごと破壊するとか、どんなフィジカルしてんだよ……!」

呆然と立ち尽くす俺の横で、低須はメガネの枠を押し上げながら、破壊された川の向こう岸を見つめて呟いた。

「素晴らしい……物理的な断絶による追撃の無効化。橋の構造的弱点を見抜いた上での破砕力……極めて合理的ですが、相変わらず規格外ですね、はい」

川の向こう岸では、追いついてきた騎士たちが崩落した橋と激しい水しぶきを前にして、「橋が……崩れたぞ!?」「奴ら、どうやって……!?」と混乱し、立ち往生しているのが見えた。

これで城からの本格的な追撃部隊は、完全に足止めされた。

「よしっ! スキができたぞ、今のうちに森へ駆け込むぞ!」

俺たちは崩れ去った橋に背を向け、黒々と広がる深い森の中へと一気に飛び込んだ。

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