二十一話 睡眠は罪滅ぼし
カチ、と低須の持つ懐中時計の針が、静かに23:00を指し示した。
「……時間だ」
俺の低い呟きに、向かいの牢の低須と太川が一瞬で静まり返り、鉄格子越しにこちらを見た。
「小輔さん、よろしくお願いいたします、はい」
「最高の一歩を踏み出そうぜ!」
俺は服の裾から短剣を引き抜き、柄を固く握りしめた。
深く息を吸い込み、胸の奥で渦巻く魔力を、短剣の刃へと一気に集中させていく。
「悪魔【フラメ】——」
静寂の満ちる地下牢に、俺の低く冷たい声が響く。
「——熾火と焦熱を司る者よ、その猛威を示し立ちふさがる全てを焼き尽くせ!」
じじじっ……と激しい音を立て、短剣の刃が赤黒く熱を帯びていく。
暗闇を照らし出すほどの眩い焦熱と炎の粒子が刃を包み込み、周囲の空気が一気に歪んだ。
「名は——峰小輔……ッ!」
俺は赤く熱した短剣を振り抜き、低須の牢の鉄格子へと一閃を叩きつけた。
ジュウうううっ——!!
激しい蒸気と火花が散り、魔力を通しにくい特殊金属の鉄格子が、まるで熱したナイフで切られるバターのようにあっけなく切り溶かされていく。
続いて太川の牢の鉄格子も、同じように一気に切り裂いた。
「おー……すごい熱量ですね。悪魔の名、術式、そして真名で締めるフォーマット……まさに教科書通りと言いますか、実に綺麗な発動なんんですよね、はい」
「うおっ! マジで一瞬で溶けたよ! 超シンプルで最高じゃん!」
鉄格子の破片がカラカラと床に転がる中、低須は感心したように頭を下げて出てき、太川ホワイトデーは豪快に笑いながら白煙の上がる牢から一歩を踏み出して来た。
「よし、二人とも出れたな。行くぞ」
俺たち三人は暗く静まり返った地下通路を見つめた。
「何の音だ!?」
重い足音とともに、松明を持った二人の警備の騎士が階段の上から駆けつけてきた。俺たちの脱出に気づいたらしい。
「しまっ……!」
俺は咄嗟に短剣を構え、悪魔【フラメ】の名を口にして魔法の詠唱に入ろうとした。
——その瞬間だった。
視界が歪むほどの、まるで光速のような動きで何かが突風のように目の前を駆け抜けた。
ドガッ、ドスッ——!!
鈍い衝撃音が二つ響いたかと思うと、二人の騎士は何が起きたのかすら理解していない顔のまま、崩れ落ちるように床へ倒れていた。
その倒れた騎士たちの前に、素手で立っていたのは太川ホワイトデーだった。
「ふぅ……超シンプル。悩む前に間合い詰めて叩く、それだけでしょ」
太川は何事もなかったかのように拳を軽く振り、白い歯を見せてニッと笑っている。
(……マジかよ……!?)
俺は開いた口が塞がらなかった。口だけの暑苦しい変人だと思っていたが、今の動き、文字通り何一つ見えなかった。
詠唱をして強力な炎を放つ——それがこの世界での最強の戦い方だと思っていた。だが、詠唱に入る暇すら与えず、光速の踏み込みで一瞬で敵を無力化する男が目の前にいる。
魔法が最強だと思っていた俺の価値観が、音を立てて崩れていく。
(あんなスピード出されたら、魔法の詠唱なんて絶対に間に合わないぞ……!?)
呆然と立ち尽くす俺の横で、低須枝弥が眼鏡の枠を押し上げながら、いつも通りの落ち着いたトーンで口を開いた。
「いやぁ、素晴らしい瞬発力ですね。フィジカルと体幹の強さを極限まで高めると、置き去りにできるんですよね、はい。まさに身体能力の暴力と言いますか、非常に合理的ですね」
「低須さん、褒めても何も出ないよ! さ、立ち止まってないで一気に行こうぜ! 迷ってる時間が一番もったいないからさ!」
太川は倒れた騎士の鍵束を腰からひょいとくすねると、階段の上を指さした。
予想外すぎる太川の圧倒的な戦闘力を目の当たりにし、俺は冷や汗を拭いながら短剣を握り直した。
「……あ、ああ。行くぞ」
驚きを隠せないまま、俺たちは倒れた警備兵を後目に、階段を一気に駆け上がっていった。
太川の圧巻の格闘術に加え、低須の隠密術もまた異常だった。
「音を立てずに排除するには、やはり急所を正確に突くのが一番なんですよね、はい」
そう言いながら、どこから取り出したのか小さなメス一本で、巡回する兵士の頸動脈を寸分の狂いもなく切り裂いていく低須。相手に声すら上げさせず、静かに倒れ込ませるその手際……低須の手はすっかり血だらけになっていたが、本人にとってはこれも計算通りの合理的な処理に過ぎないらしい。
太川の規格外な超スピードと、低須の冷酷なまでに緻密な暗殺術。
二人の変人のおかげで、俺たちは一度も警備に察知されることなく、エリカが殺されたあの悪夢の通路まで辿り着くことができた。
血の匂いがかすかに残る通路を抜け、外へと繋がる出口が見えた。森へと続く自由への扉だ。
「よし、一気に駆け抜けるぞ……!」
俺たちが脚に力を込め、出口に向かって走り出した、まさにその時だった。
「——待ってくれ……!」
暗がりからぬっと影が立ち現れ、出口を塞ぐように立ちはだかった。
全身を覆う重厚な鎧、そして顔を一切見せない金属のマスク——。
「っ……フィン王子……いや、カイロ……!!」
俺は咄嗟に短剣を構え、激しい怒りで歯を喰いしばった。
その鎧とマスクを使い、フィン王子と二人一役で俺たちを完璧に欺き、エリカを死へと追いやった男。
「お前……! よくも俺たちを……!」
俺が飛びかかろうとした瞬間、甲冑の擦れる重い金属音が響いた。
カイロは武器を抜くこともなく、そのままその場に静かに膝をつき、深く頭を下げたのだ。
「……すまなかった……小輔……」
鉄のマスク越しに聞こえる声は重く、くぐもっていた。そこには取り返しのつかないことをしてしまったという、痛切な悔恨が滲んでいる。
「……俺はお前たちを裏切った。どんな理由があろうと許されるはずがない。……だけど、これだけは渡さなくては…」
カイロは両手で包んだ小さな布を、必死に差し出してきた。
布の端がはらりと捲れ、中から現れたのは——赤黒い血で汚れた、一輪の小さな花だった。
「これ……」
「エリカが昔……初めておばあさまの前で見せたっていう『花魔法の花』だ。事件の現場に落ちててさ……血で汚れてしまっているが……これだけは、どうしても小輔に渡さないと俺は……」
エリカの命の証であり、彼女の想いが詰まった小さな花。血に染まったその花を受け取った瞬間、胸の奥から熱いものが溢れ出し、手が震えた。
その時、俺たちの背後——地下通路の奥から、大勢の足音と甲冑の擦れる音が押し寄せてきた。本物のフィン王子率いる追手が迫っている。
カイロはゆっくりと立ち上がると、マスクの奥から俺たちを見つめた。
「フィン王子の本隊が来る。……小輔、このまま外へ駆け抜けろ」
「カイロ、お前……」
「今のうちに逃げろ!俺は時間稼ぎをする!」
カイロなりの罪滅ぼしだった。
「……捕まるなよ、カイロ」
「……早く行けって!」
カイロはそう言うと俺たちに背を向け、追手の足音が響く暗闇に向かって「こちらだ! 奴らは地下の奥へ向かったぞ!」と大声で叫びながら走っていった。
「小輔さん! 彼の誘導に感謝しつつ逃げるのが合理的です! 行くんだよ、はい!」
「よし! あいつが作ったスキを突いて一気に行くぞ! 走れ小輔!!」
低須と太川に背中を押され、俺は血のついた花を胸に抱き、夜の闇が広がる城の外へ一気に飛び出した。
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