二十話 睡眠は太川ホワイトデー
夕食の時間になり、兵士が放り投げていったのはまたしてもあの粘土だった。
アレルギーの配慮だとかそんな大層なものじゃない。ただ単に一番安いからという理由で、これで済まされているんだろう。だが、もうどうでもいい。
今まで支給された粘土は一口も食べていなかった。というか、ショックで喉を通らなくて牢の隅に溜めていたのだ。だが……パサパサで不気味な塊だろうが、これからの脱出劇を考えれば貴重な非常食になる。
俺は溜めていた粘土を布に包み、懐へと押し込んだ。
そろそろ決行の23時が近づいてくる。
そう思っていた、まさにその時だった。
低須枝弥の隣の鉄格子から、ぬっと誰かが顔を出した。
ピンク色の短髪に、健康的に日焼けした小麦色の肌。バキバキに引き締まった身体をした男が、白い歯を見せてニッと笑いながらこちらを見ていた。
「ねえ、君たち……さっきから聞いてたけどさ、超面白そうな話してんじゃん!」
男は鉄格子に太い腕を引っかけると、熱量の高い、けれどどこかフランクで説得力のある口調で捲し立ててきた。
「脱出するんでしょ? 最高じゃん! 人生さ、結局自分がどうしたいかだからね! 誰かに決められた運命の中で腐ってるくらいなら、自分の足で一歩踏み出す方が100万倍マシなんだよ、マジで!」
「……っ!? 誰だお前……!?」
俺が警戒して身構えると、隣の低須が「ああ、彼はですね」と眼鏡を直しながら穏やかに口を挟んだ。
「隣の牢に入ってきた方なんですよね。ずっと自重トレーニングでディップスと自重スクワットを追い込んでいらっしゃったので、かなり意識の高い方だなと思って僕も注目していたんですよね、はい」
「トレーニングの話はいいんだよ! 今は脱出の話!」
ピンク髪の男は豪快に笑うと、真っ直ぐな目で俺を見つめてきた。
「俺さ、話聞いてて思ったんだけど、君のその目、めちゃくちゃ良いよ。大事なもん奪われて、一回ドン底まで落ちて、それでも立ち上がろうとしてる男の目じゃん。超カッコいいよ! だからさ、俺も連れてってよ! 理由は超シンプル、面白そうだから! 部屋の壁蹴り破ってでもついてくからさ!」
いやいやいや、こいつ誰?
距離の詰め方怖すぎんだろ。初対面でいきなり「目が高揚してる」だの「超カッコいい」だの、感情の熱量がバグり散らかしている。
こんな暑苦しい上に素性のわからない奴を連れていくなんて、リスクでしかない。脱出において人数が増えるなんて、見つかるリスクを跳ね上げて失敗の確率を上げるだけだ。
よし、無視しよう。
俺は男の視線を露骨に外し、一切目を合わせないまま黙りこくった。完全に存在していないものとして扱う作戦だ。
だが、男は俺の冷たい拒絶反応なんて一微塵も気にしていない様子で、さらに身を乗り出してきた。
「あ、いま『こいつ関わったらヤバいな』って顔したでしょ! わかるよ! でもさ、超シンプルに考えてみてよ! 逃げ切るために必要なのは何? 突破力とスピードでしょ? 俺、壁蹴り破れるくらい脚力あるからマジで足引っ張らないよ? むしろデコイにでも使ってくれていいからさ!」
「……」
ダメだ、無視が効かない。メンタルが鋼すぎる。
思わず頭を抱えそうになった俺の横で、低須が「まあまあ」となだめるように手をかざした。
「小輔さん、お気持ちは分かりますけどね。彼の筋肉のキレを見る限り、体幹の安定性と瞬発力は本物なんですよね。逃走経路での障害物排除役としては、意外と合理的な選択肢になり得るんじゃないかと僕は思うんですよね、はい」
「お前まで味方すんな!!」
思わずツッコミを口にしてしまった俺を見て、ピンク髪の男は「ほら、会話成立したじゃん!俺の名前は太川ホワイトデー! 好きに呼んでよ!」
太川ホワイトデー——名前のインパクトも、見た目の濃さも、すべてが胃もたれしそうな男だ。
「ホワイトデーさん、相変わらずマインドセットが素晴らしいですね。ただ小輔さんの言う通り、人数が増えると発見率の確率論としては上がってしまうのも事実なんですよね」
「低須さん、それも超シンプルなんだって! 発見されたら倒せばいい! 悩む前に動く! 自分がどうなりたいか、ただそれだけでしょ!」
「……おい、頼むから静かにしてくれ」
俺は頭を抱えた。
23時決行だというのに、低須枝弥と太川ホワイトデーの二人が揃うと、牢屋の中が一瞬で謎のセミナー会場みたいな空気になってしまう。
(なんで俺の周りにはこんな濃い奴らしかいないんだ……)
だが、時間は容赦なく進む。
カチ、と低須の持つ懐中時計の針が、ついに23:00を指し示した。
「……時間だ」
俺の低い呟きに、二人の男が一瞬で静まり返り、それぞれの鉄格子に手をかけた。
「小輔さん、よろしくお願いいたします、はい」
「最高の一歩を踏み出そうぜ!」
俺は服の裾から短剣を引き抜き、柄を握りしめて炎の魔力を全開で注ぎ込んだ。
赤黒く激しく脈打つ炎が刃を包み込む。
「いくぞ……ッ!」
エリカを生き返らせるため、俺たちの脱獄劇が、ついに始まった。




