十七話 睡眠はカイロの正体
「おい! 聞いているのか!」駆けつけてきた騎士たちが何かを激しく叫び、俺の肩を揺すっていたが、その声はまるで遠い水底から聞こえてくるようにくぐもって、何一つ頭に入ってこなかった。
俺の視界に映っていたのは、真っ白だったドレスを赤く染め上げ、冷たくなっていくエリカの姿だけだった。
やがて大勢の兵士と担架が運び込まれ、エリカの遺体は静かに布を被せられて運ばれていった。俺の手には、彼女の血の温もりと、生々しい冷たさの感触だけが残されていた。
◇
その後、俺は身柄を拘束され、城の地下にある取調室へと連行された。
薄暗い室内に、冷酷な眼差しをした取調官の声が響く。
「……もう一度聞く。エリカ・ファング様を殺害したのは誰だ?」
「……カイロ様だ」
俺はかすれた声で、はっきりと答えた。
「俺は目の前で見た。あの赤い大剣でエリカの腹を切り開いたのを……! 間違いない、あのマスクと背格好、カイロ様だった!」
「戯れ言を吐くな!!」
取調官がバンッと激しく机を叩いた。
「カイロ殿には完璧なアリバイがある! 19時の儀式が終わった直後から今まで、カイロ殿は国王陛下および王妃様、さらには諸国の使節団とともに謁見の間におられた! 数百人の目がその身を証言しているのだぞ! 19時すぎに東通路へ行くことなど物理的に不可能だ!」
「……な……に……?」
思考が真っ白になった。
あり得ない。俺はこの目で見たんだ。あの赤い大剣を握り、エリカを斬り裂いた奴を。
だが、国王たちの前にいたというなら……じゃあ、あの暗闇にいた奴は一体誰だというんだ?
「現場にいたのはお前一人。エリカ様の血で染まった手、そして大声で周囲を動揺させた不可解な行動……。第一発見者のお前が、今最も彼女を殺害した容疑者として疑われているのだ」
取調官の冷徹な言葉が、冷たい刃のように突き刺さる。
(ハメられた……!)
カイロ様と同じ姿、同じ赤剣を使えば、真っ先にカイロ様が疑われる。だがカイロ様に完璧なアリバイがあれば……その場に血まみれで立っていた「第一発見者」の俺にすべての罪が着せられる。
完璧に組み上げられた罠。
俺はそのまま、城の地下にある暗く冷たい牢屋へとぶち込まれた。
かつてカイロ様と出会った時の重々しい石壁の牢ではなく、今回は無機質な鉄格子で仕切られた牢だ。
(……こんな鉄格子なんて、今の俺の魔法を使えば一瞬で壊せる……)
だが、逃げ出す気力すら湧いてこなかった。
俺は冷たい床に膝を抱え、ただぼんやりと自分の血塗られた手を見つめていた。
何も考えたくなかった。
俺がこの異世界に転移してきてから、今日まで必死に泥をすすりながら生きてこられた理由。
それは、落ちこぼれだと虐げられていたエリカを喜ばせたくて、彼女の弾けるような笑顔が見たかったからなんだって……今更になって痛いほど気づかされた。
俺はエリカに「感謝の言葉」すら伝えられていなかった。
日本にいた頃の俺は、現場仕事でドジばかり踏んでは上の人間に怒鳴られてばかりで、何の役にも立たない人間だった。
この世界に来て、魔法を覚えて、エリカを助けている気になっていたけれど——違ったんだ。
隣で笑ってくれていたエリカに、俺の方が助けられていたんだ。
「……っ……」
溢れ出そうになる涙を必死に堪えていた、その時だった。
カチャリ、と重い金属音が静かな地下通路に響いた。
暗闇の奥からゆっくりと歩み寄ってきたのは、あの身の丈ほどもある赤い大剣を背負い、頑なに顔を隠した男——カイロ様だった。
カイロ様は鉄格子の前で足を止め、低く冷ややかな声で俺を見下ろした。
「……俺が殺した、と証言しているらしいな?」
その問いに、俺はゆっくりと首を振った。
牢屋に放り込まれてから、死んだように冷えていく頭の中で、必死に思考を巡らせてたどり着いた一つの結論。
「……最初はそう思いました。でも……違います」
俺はかすれた声を振り絞り、鉄格子の向こうのカイロ様を真っ直ぐに見据えた。
「おそらく……カイロ様の格好を真似た何者かがいて、その人がエリカを殺したんだと思います」
「……何?」
「あの時、確かに俺はカイロ様と同じ姿の人物を見ました。でも……エリカの腹部の傷口は、カイロ様の大剣で力任せに斬られたような傷じゃなかった。もっと細い刃で、内側から削ぎ落とされたような不自然な傷痕だったんです……! それに、カイロ様なら……あんな雑な殺し方はしない」
俺の言葉を聞き、カイロ様はマスクの奥で静かに息を飲んだようだった。
沈黙が地下通路を支配する。やがて、カイロ様はおもむろに頭部に手をかけ——静かにマスクを外した。
「……な……ッ!?」
そこに現れた素顔を目にした瞬間、俺の全身の血が逆流した。
薄暗い鉄格子の向こうで、蔑むような嘲笑を浮かべていたのは——あの憎い顔、フィン王子だった。
「ひ、フィ……ン……!? なぜ……っ!?」 百人組手の時、カイロ様もお前も、二人ともあの場にいただろ……!?
頭が狂いそうだった。俺は確かに見ただろ、カイロ様とフィンが同時に存在しているところを!
俺の混乱し切った様子を見て、フィンは可笑しそうに肩を揺らし、クックッと低く笑った。
「くははっ、単純だな召喚人。カイロという存在はな、二人で一役やっているんだよ」
「……二人で……一役……!?」
「俺が城の外に出たい時や、面倒な連中と関わりたい時に、影武者に代わってもらうようにしてあるんだ。ちなみに声はな、お前も使っていた音魔法で低く変えて、絶対にバレないよう対策もしていたんだよ。残念だったねぇ」
「あの女——姉上の評価が上がってもらうと、俺の立場上困るんでね。俺はこの国を納める器があるが、あいつにはなかった。ただ、それだけのことさ」
エリカを「あの女」と呼び、ゴミくずのように吐き捨てるフィンの言葉。
エリカの命を、未来を、彼女の笑顔を……そんな身勝手で下劣な理由で踏みにじったのか。
「お前も、もう時期処刑だね。……お疲れさん」
吐き気を催すような笑みを残し、フィンは再びマスクを被ると、暗い通路の奥へと歩き去っていった。
カチャリ、と地下の扉が閉まる音が響く。
「……フィ……ン……ッ!!!!」
静寂を取り戻した牢屋の中で、俺の胸の奥から怒りが込み上げてきた。
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