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十六話 睡眠は…

ついに、祭典の日がやってきた。

午前中は驚くほどいつも通りの平和な時間が流れていたが、午後、夕飯の時間が近づくにつれて城内の空気は一変していった。

広場にドカッと並べられた巨大な長テーブルには、普段は見られないような豪華な特別料理や酒樽がずらりと運び込まれる。

「ガハハハ! 今日くらいは無礼講だ! 飲め飲めー!」

普段は厳しい訓練を課してくる騎士たちも、今日ばかりは大声を上げてどんちゃん騒ぎを始めていた。そんな熱気溢れる広場の中で、カイロ様はお酒や料理を前にしながらも頑なにマスクを外そうとしない。 隙間から器用に飲み物を流し込もうと苦戦している姿は、なんだかちょっと可愛らしかった。

(あんな強くて格好いいのに、そこは絶対譲らないんだな……)

思わずくすりと笑いながら、俺はふと城の大きな窓の外へと目を向けた。

西の空へと日が傾き、夜の訪れとともに空には妖しくも美しい赤い月がくっきりと輝き始めていた。

(18時以降に、こんなにたくさんの人が起きているなんてな……)

この世界に来てからというもの、夜は恐ろしい「悪魔の時間」として出歩くことが禁じられていた。18時を過ぎても城じゅうに明かりが灯り、人々が活気立つ光景は、どこか不思議で新鮮な感覚だった。

窓に近寄り、眼下に広がる城下町を見下ろしてみる。

遠くに見える街並みは、たくさんの灯りに彩られ、ここからでも賑やかな喧騒が伝わってくるようだった。

19時から始まる儀式に向け、俺は19時前にエリカとの集合場所である控室の前へと向かった。

一応これでも俺はエリカの護衛騎士だ。祭典で浮かれる城内の熱気から気持ちを切り替え、背筋を伸ばして待機する。

控室の中では、エリカが召使いや側近たちに着替えさせてもらっている最中らしく、俺はドアの横で静かに待つことにした。

(どんな感じなんだろうな……)

足元の魔石短剣の装着感を確認しながら待つこと少し。

カチャリと静かな音を立てて、豪華な装飾が施された重厚な扉が開いた。

「お待たせいたしました、小輔さん……」

中からそっと姿を現したエリカを見て、俺は息を呑んだ。

そこに立っていたのは、いつもの訓練服や控えめな衣装とはまるで違う——眩しいほどに真っ白なドレスを纏ったエリカだった。

透き通るような彼女の銀髪に、純白の生地と上品な装身具が見事に映えている。普段の可愛らしさに「息をのむような美しさ」が加わって、俺は思わず言葉を失い、完全に口を開けて見惚れてしまっていた。

「あの……小輔さん? 変……ですか……?」

俺の熱視線に気づいたエリカが、ぽっと頬を朱に染め、ドレスの裾をキュッと小さく握り締める。

「あ、いや! 変なんてとんでもない! ……めちゃくちゃ綺麗だ、エリカ。銀髪によく似合ってる」

「っ……! あ、ありがとうございます……!」

俺の素直な言葉に、エリカは恥ずかしそうに視線を泳がせながらも、嬉しそうにほころぶような笑みを浮かべた。

19時整刻。

赤銅色の月が星見の塔を妖しく照らす中、純白のドレスを纏ったエリカが塔の中央へと進み出た。

会場を埋め尽くす王族や高官たちの視線が集まる中、エリカは凛とした声を響かせる。

「悪魔【ヴィント】——疾風と空の流動を司る者よ、その刃を示し全てを切り裂き風を巻き起こせ! 名は、エリカ・ファング!」

エリカの手元から舞い上がった「花模様の粉」が青い光を放ち、風に乗って広がり始めた——その時だった。

——ゴーッ!!

突然、星見の塔の周囲で牙を剥くような狂乱の激風が吹き荒れた。

「な、なんだこの風は!? 粉が流されるぞ!」

参列していた高官たちがざわめく。フィンが影で仕掛けた妨害の突風だ。急激な乱気流によって、エリカの放った粉が揉み消されそうになる。

「くっ……風が……強すぎて……!」

ドレスを大きく揺らし、歯を喰い縛るエリカ。

(エリカ一人に背負わせるかよ……!)

俺はすぐさま一歩踏み出し、脚のホルダーから『魔石短剣』をサッと抜き放った。柄の魔石が蒼く強く発光する。

「悪魔【ヴィント】——疾風と空の流動を司る者よ、その刃を示し全てを切り裂き風を巻き起こせ! 名は、峰小輔!」

俺が放った風魔法の刃が、エリカを襲う狂乱の悪風を正面からバツンッと切り裂いた。

俺の風が障壁となって突風を押し返し、完璧な風の通り道(気流)を作り出す。

「今だ、エリカ!」

「はいっ……!」

俺の作った風の軌道に乗り、エリカの風魔法が極限まで解放された。

俺とエリカ、二人の風に乗った粉は、乱気流を完全に打ち破って夜空高くへと打ち上がっていく。

赤銅色の月をバックに、夜空全体へふわりと広がった幻想的な「花模様の光の粉」。

風に乗り、城下町の方角へとゆっくり流れていった。

塔から城下町までは、まだそれなりの距離がある。

だが、眼下に広がる街並みには無数の明かりが灯り、屋台が立ち並び、たくさんの一般の人々が祭りを楽しんでいる賑わいが、ここからでもはっきりと見て取れた。

そこへ、ふわりと舞い降りていく幻想的な花模様の光の粉。

花が街全体を包み込んだ瞬間、遠くの屋台や広場にいた人々が一斉に空を見上げ、歓声や笑い声を上げるのが見えた。距離があるから顔の細かいパーツまでは分からない。けれど、街の灯りに照らされた人々の表情に、一気に笑顔が咲き誇り、祭りの熱気が一層輝いたことだけは、はっきりと伝わってきた。

「……すごいです、小輔さん。みんな……笑ってます……!」

塔の端に寄り、街を見下ろすエリカの瞳が、感動で潤んでいた。

「ああ、届いたな。エリカの風が」

「はいっ……!」

儀式が無事に終わり、塔が歓声の余韻に包まれる中、俺とエリカは周囲の隙を突いて静かに塔を降りた。

「身分を隠すため、一度別々に着替えましょう。10分後、裏門へ続くあの暗い東通路で合流です!」

「おう、遅れるなよ!」

無邪気な笑顔で手を振り、自分の控室へと走っていくエリカ。俺も素早く自室へ戻り、動きやすい服に着替えて深くフードをかぶった。足元には『魔石短剣』をしっかり装着している。

(待たせたら悪いな。急ぐか)

胸の高鳴りを抑えきれないまま、俺は約束の東通路へと足を向けた。

城の東側は普段から人通りが少なく、夜になると松明の灯りもまばらで薄暗い。

廊下の曲がり角に差し掛かった、その時だった。

カチャリ、と重厚な金属音が暗闇に響いた。

(……ん? エリカか?)

角からひょっこり顔を出そうとした俺の視界に、信じられない光景が飛び込んできた。

薄暗い廊下の泥と血の匂いの中。

背広を着た人影と、純白のドレスを纏ったエリカが立っていた。

——そして、その人影の手には、見覚えがありすぎるあの巨大な『赤い剣』が握られていた。

「え……?」

声が出なかった。

その赤い大剣の刃は、エリカの華奢な腹部を根元まで深く貫通していた。

「あ……が……ッ……小、輔……さ……」

エリカの口から、ゴボッと大量の真っ赤な血が溢れ出す。

純白だったドレスが、瞬く間に赤黒く染まっていく。

だが、地獄はそれだけで終わらなかった。

刺した人物は、感情の篭もらない手つきで大剣を握り直すと、エリカの腹の中で刃を横へと強烈に薙ぎ払った。

ブチッ、ブツリ、と肉と筋肉が引きちぎれる生々しい嫌な音が廊下に響き渡る。

切り開かれた腹部から、ドロリとしたグロテスクな内臓が、大量の血とともになま暖かい床へとブチ撒けられた。

「ああァァァッ……!???」

俺の喉から、言葉にならない悲鳴が引きちぎれるように漏れた。

エリカの瞳から光が消え、糸が切れた人形のように、自分の内臓の海の中へと崩れ落ちる。

ぐちゃりと重い音を立てて倒れたエリカの向こう側で、血塗られた大剣を引き抜いた人物が、ゆっくりとこちらを振り返った。

顔を覆う、頑なに外さなかったあのマスク。

「カ……イロ……様……?」

俺の声に反応するように、カイロらしき人物のマスクの奥の瞳が、冷たくギラリと光った。

言葉は一切ない。

血塗られた巨大な赤剣を力強く握り直すと、残虐な迷いのない動作で、次は俺の首を刎ね飛ばそうと一気に踏み込んできた!

(っ……! 勝てるわけがない……!!)

目の前でエリカのお腹を一瞬で切り開いた相手だ。いくら1ヶ月鍛えたとはいえ、今の俺の力では正面から戦って勝てる相手じゃない。

圧倒的な死の圧迫感が全身を襲う中、脳味噌が死に物狂いでフル回転する。

俺は脚の短剣を抜く暇さえ投げ打ち、喉の奥に力を注ぎ込んだ。

「悪魔【シャルフ】——音の波長と静寂を司る者よ、その声を響かせ空間を破裂させよ! 名は、峰小輔!」

「誰か!!! 助けてくれえぇぇぇぇッ!!!!」

爆音。

俺が放った音魔法は、狭い暗い廊下で何倍にも増幅され、城の壁や天井をバチバチと震わせるほどの大音量となって轟いた。

「なにごとだ!?」「東通路からだぞ!」「兵を集めろ!」

遠くから騎士たちの怒号と走ってくる大量の靴音が、一気にこちらへ近づいてくる。

「……ッ」

襲いかかろうとしていたカイロは、城内の兵が殺到してくる気配を察すると、咄嗟に踏み込んだ足を止めた。

この場に留まるのはまずいと判断したのか、俺を一瞥したあと、素早い身のこなしで血の滴る赤剣を抱えたまま闇の奥へと姿を消した。

「ハッ……ハッ……ハッ……」

「エリカ……ッ!!」

奴を追う頭なんてこれっぽっちもなかった。俺は足をもつれさせながら、なりふり構わずエリカの元へと駆け寄り、血の海の中に膝をついた。

「な……なんだよ、これ……ッ! なんてことしてんだよ……! なんでこんな……ッ!?」

目の前の光景が信じられなかった。

さっきまで嬉しそうに笑っていたエリカが、純白のドレスを真っ赤に染め、切り開かれたお腹からなま暖かい内臓をぶちまけて倒れている。

「エリカ! しっかりしろ! エリカッ!!」

ぐちゃぐちゃになった血と肉を必死に手で押さえつけようとするが、溢れ出る赤を止めることなんてできやしない。手に伝わる温度が、恐ろしいスピードで冷たくなっていく。

「嘘だろ……なあ、エリカ……っ! 変装して城下町に行く約束……しただろ……!? 屋台で美味しいもの食うんだろ……っ!?」

叫んでも、揺さぶっても、彼女の瞳に光が戻ることはなかった。

その時、激痛と絶望で狂いそうになる俺の脳裏に、残された唯一の手段が突っ走る。

(音魔法……ッ!!)

今の俺には、この惨劇を城中に知らせて助けを呼ぶことしかできない。俺は喉の奥が引きちぎれるほどの魔力を注ぎ込み、叫んだ。

「悪魔【シャルフ】——音の波長と静寂を司る者よ、その声を響かせ空間を破裂させよ! 名は、峰小輔!」

「誰か!!! 助けてくれえぇぇぇぇッ!!!!」

爆音となった声が城の廊下に響き渡り、遠くから大勢の騎士たちの走ってくる靴音が近づいてくる——。

「嘘だろ……なあ、エリカ……っ! 変装して城下町に行く約束……しただろ……!? 屋台で美味しいもの食うんだろ……っ!?」

ぐちゃぐちゃになったお腹の傷口を手で必死に押さえつけながら、俺は血の海の中で叫び続けた。手に伝わる感触が、恐ろしいスピードで熱を失っていく。

その時、ピクりとエリカの指先がかすかに動いた。

「っ……エリカ!? エリカッ!!」

薄っすらと開かれた彼女の瞳。その光は今にも消えてしまいそうなほどに弱々しかったが、確かに俺の顔を映していた。

口から溢れる血を喉に詰まらせながら、エリカは最後の力を振り絞るように、小さく唇を動かした。

「……こ、う……すけ……さん……」

「喋るな! 今、助けを呼ぶから! じっとしてろッ!」

「ふふ……っ……ごめんなさい……約束……守れなくて……」

掠れた声で、エリカは儚く笑った。

「私……小輔さんを……愛してる……っ」

「エリカ……っ! 俺もだ! だからもう、」

「短かった……けれど……小輔さんと出会えて……すごく幸せでした……。クイヤに……感謝しなくちゃ……」

彼女の頬を涙が伝い、血の混じった黒い跡を作る。

エリカの視線は、俺の向こう側——遥か遠い空の彼方を見つめるように、静かに彷徨い始めた。

「これで……ずっと会いたかった……おばあさまに……会える……」

「やめろ……! そんなこと言うなッ! エリカ! エリカァァァッ!!」

糸が切れたように、エリカの首がガクリと横へ倒れた。

瞳から完全に光が消え、胸の上下が完全に止まる。

俺の手の中で、エリカの体から生命の温もりがすうっと抜け落ちていった。

「嘘だ……嘘だろ……エリカ……ッ!!」

胸を掻きむしられるような激痛と絶望が、俺の全神経を塗りつぶした。

許せない。カイロも、こんな理不尽な運命も、全部——!!

俺は絶望の叫びとともに、喉が引きちぎれるほどの魔力を注ぎ込み、音魔法を発動させた。

「悪魔【シャルフ】——音の波長と静寂を司る者よ、その声を響かせ空間を破裂させよ! 名は、峰小輔!」

「誰か!!! 助けてくれえぇぇぇぇッ!!!!」

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